書簡集
入院中のベッドの上で鴎外の時代物と太宰の短編集を読んだ。鴎外はさほど面白くもなかったが太宰の『きりぎりす』には共感した。ある日、流れてくるラジオから「近代日本の作家の中では太宰が一等良い」というコメントを耳にした。志賀直哉の間違いでしょうと思ったが、それほど良いなら全作品を読んでみようと決めた。筑摩の太宰全集を端本で揃えて行くうちに“随想集”と“書簡集”の手前ではたと考え込んでしまった。全集を読破するならこれらにも目を通すべきだろうが、全集に添えられた書簡集など読んだことがない。そこでまず『もの思ふ葦』を所収している随想集を開いた。すると十ページほど読み進んだところに『書簡集』という文があるではないか。これには驚いた。**********************************************おや?あなたは、あなたの創作集よりも、書簡集のはうを気にして居られる。───作家は悄然とうなだれて答えた。ええ、わたくしは今まで、ずゐぶんたくさんの愚劣な手紙を、はうばうへ撒きちらして来ましたから。(深い溜息をついて、)大作家にはなれますまい。これは笑い話ではない。私は不思議でならないのだ。日本では偉い作家が死んで、そのあとで上梓する全集へ、必ず書簡集なるものが一冊か二冊、添えられてある。書簡のはうが、作品よりずっと多量な全集さへ、あったやうな気がするけれど、そんなのには又、特殊な事情があったのかも知れない。・・・・・・・・・・・・・・・・書簡集に用ゐるお金があったなら、作品集をいよいよ立派に装丁するがいい。・・・・・・・・・・・・・・・・**********************************************太宰は自身の全集に書簡集が添えられているのを知る由もないが、意思を汲んで書簡集の購入を止したのは言うまでもない。