テーマ:空手道(579)
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木曜日はボクシング、金曜日は年初めスパーリング祭でした☆ まだまだやらなきゃいけない課題が新年早々たくさんあって、やる事いっぱいだな~と思うみけマンマです。 何をどうしなきゃいけないって課題はいつもいっぱいあるんですが、毎回試合の度に一個ずつ克服していくようにはしています。 それでも、今回インドネシアで館長のセミナーを受けて良かったな、と思ったのは 派手な技や、小手先の技術ではなく、人が嫌がる地味な稽古を、どれだけたくさんやったか、それが最後の最後、延長戦で決着がつかず、体重判定で決着がつかず、再延長まで行った時にその成果が差になって現れる とおっしゃってくれた事ですかね。 地味な稽古。 それを何千、何万と繰り返し、その量を質へと転換させる作業が稽古の真髄だとみけマンマも思います。 技の再現性。 放たれた一撃は、偶然ではなく、何千と繰り返し繰り出された必然の一撃に他ならず、量を質へと転換させ必然という領域へと昇華させる。 よく、延長戦などになってドロドロになる試合があるんですよ。 そういうのを見て、「華やかじゃない」「綺麗じゃない」とバカにする人がいますが、
そういう人は勝負の厳しさを理解していない人だとみけマンマは思っています。
大きな大会であれ小さな大会であれ、一戦を勝ち抜くという事がいかに難しいか。 一戦の価値に大きいも小さいもありません。 アマチュアである以上、試合の良し悪しの評価は戦う本人達に帰属するもの。 いかに日々の稽古の課題を試合という、ルールに基づいた没個性的領域で克服できたかどうか。 そう思うと、型の試合も同じだなぁとみけマンマはいつも思います。
型は、誰もが知っている動きを連ねたモノです。同じ名前の型なら、みな、同じ動きをする事をルールとします。 「撃砕小」という型なら、みんな同じ動きをするわけです。勝手に個性的なアレンジをしてはいけないのが、型の試合です。 なのに。 同じ動きをしているはずなのに、人によって全然違って見える。 ピアノ曲の「メヌエット」が、弾く人によって全然違って聞こえるように。クラッシックのCDが同じ曲なのに指揮者によって何枚も違うCDが出るのと一緒です。 型の世界大会を見て思ったんですよ。 型試合は、美しさを競う競技ではないんだな、と。 綺麗に足が挙がったとか、綺麗に手が動いてるとか、足が高く上がるとか、そんなんじゃなくて 一つの動きにはめ込みながら、何千何万繰り返した果てに得られた
敵を倒す必然の動きの再現 だったんですね。 ほんま、自分は型試合とか全然出ないんで、今までそんな事を考えた事もなかったんですが(汗) すみません。今さら何言ってんだよ、って怒られそうです((;´Д`)) その一挙手、一踏足が、何回繰り出されても全く同じであろうと思われる技の再現性。その一撃は偶然に繰り出されるものではなく、必然的にその位置であり、技を出したから倒れるのではなく、倒すためには必然的にそこにある技、なんでしょう。 世界チャンピオンの伊熊先生の型を見ていたら、まるで音の無い世界で確実にそこに存在するであろう敵との戦いを再現している先生がいました。 うわぁ。 これが型なんや。 その一挙手一踏足を、試合という客観的な世界で再現する事の難しさ。 組み手の試合も型の試合も、アプローチの仕方は違えど、目指す境地は一緒なんやろうなぁ、と思いました。 組み手でも、試合では稽古の6割も出ないのが普通です。積み重ねた稽古を質に転換し、それをいかにルールと言う没個性的領域で偶然ではない必然を再現するか。 そう思うと、ますます試合が楽しいな、と思う今日この頃です。 まあ、その量ってところが
めちゃめちゃ辛くて大変なんですけどね。
試合は2分か3分。まあ、延長も入れると5分とか、7分とか。 その数分のために、何日も何ヶ月も稽古するんですよ。一瞬の再現のためにww そういう客観的な状況に身をおかせてもらえるのも、ある意味幸せなんでしょうけど…ね。
厳しいーーーー。 アッヒャッヒャ!ヽ(゚∀゚)ノアッヒャッヒャ! ちなみに、生まれて初めてのロシア戦だった世界大会。まだヘナチョコもいいとこだった当事の写真が出てきました…。懐かしいです。 今思うと、ほんまに貴重な素晴らしい体験をさせていただき、極真館には感謝しています。
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最終更新日
2012年01月07日 14時36分29秒
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