人が人と戦う意味。
世界大会まで2ヶ月を切りました。2ヵ月後の今頃は、みけマンマ、ハンガリーで帰り支度でしょうか。よくみんなに聞かれるのが、 素手素足で殴り合いして痛そうなのに、なんで空手してるの そうなんですよね~。こんな一見野蛮そうなこと、何故好き好んでやるのかってなりますよね。こんな素手素足で殴り合いするものに、18,19、20歳の女の子達が今回の全日本では思った以上に大勢エントリーしてくれていました。 みけマンマ、嬉しいです。 若い人たちが頑張ってくれてこそ、空手界が世に認知されていくわけですから。でも、今回の女子の世界大会メンバー、重量級の女の子を除いて、みな30代なんですね~もちろん、みけマンマが最年長ですけど。 ほとんどが20歳前後の中にいて、なぜ、こんなオバサン達が(すみません、軽量級の皆さん)勝っていったのか。 それは、みけマンマの個人的な意見ですけど、社会に出ると、本当に女という生き物は、辛いのですわ。大学卒業までは、男女の区別無く、きちんと自分の能力と努力に応じて必ず評価されて来たのに、社会に出たとたん、女だから。 の一言で、本当に理不尽な思いをいっぱいしなくてはいけません。学生時代には想像できない程の理不尽な思いをいっぱいいっぱいするんです。 それが、主婦になったり、母になったすると、もうその理不尽さは、ある意味地獄です。 そんな主婦が空手なんてするとなった日には、世間様が許しません。 空手を始めて8年ですが、空手の事だけ考えて楽しかった、という時間は1年も無いでしょう。常に非難され、糾弾される中で空手を続ける事が、いかに辛いか。 でも、ここで止めてしまったら、誰も子供産んでも空手を続けられる、と思えなくなってしまう。だからこそ、空手の試合は、みけマンマにとっては一条の光であり、唯一自分の生を肯定してもらえる貴重な場でもあるわけです。試合では、自分が主婦であるとか、子供がいるとか、歳がいってるとか、そんな事はまったく加味されません。当たり前だけど。更に言えば、自分のキャラクターすら評価の対象にはならない。人格すら真っ白な状態で、自分の努力して来たこと、研鑽してきた成果を取り出す場になるのです。5人のジャッジが、ただ、2人の人間の攻防を見て、白か赤か、と旗を挙げる。 そんなシンプルな状況が、普段の生活に皆無だからこそ、人が人と戦う試合は、みけマンマにとっては意味があるのです。だから、常に試合の相手には心から感謝します。相手がいるからこそ、私はここで試合が出来、まっさらな評価を頂くことが出来る。勝っても負けても、こんな素晴らしいことは無いと思います。 そのぐらい、試合は、涙が出るほど嬉しいのです。だから、今回の全日本は30代ばっかりだったのかな、何て思ったりします(笑)もちろん、選手層が薄いっつーのもありますけどね♪ いつか、今回の試合に出場していた19,20歳の女の子達も、色んな理不尽な世間に放り出されて、空手の更なる良さが身に染みちゃう時が来るのかもしれません。本当は、そうならないように、先立つ自分達が環境を調えてあげられるようにしなくてはいけないんでしょうけど。 とりあえず、みけマンマはこれからも試合に出続けて、 「あたし、みけマンマに勝ったんだぜぃ~」 と若い子に負けて、若い子に自慢されるようになりたいですね。自分が負けても、それが若い子の更なる試合への励みになったり出来れば、空手をやり続けてる甲斐があるというものです。勝って自慢できるのも、若さです。あいつに勝った、こいつに勝った。そんな事を自慢しているうちに、いつか あの人に勝たせてもらったお陰で今があるんだ と自慢が感謝の気持ちに変わる日が来るのです。それが、若さというトンネルを抜けた先にある大人(?)の風景なんじゃないかなあ、と思うのです。MISIAの歌に夜の露を払って花は咲くもの人は涙を払って生きて行くものという歌詞がありますが、本当に、人は絶えず涙を振り払って生きていかなくてはなりません。でも、泣きながらでも前に進むのが人間です。どんなに理不尽な思いをしたり、悔しい思い、辛い思いをしても、絶対負けない。 みけマンマは、いつもそう思って、空手をしています。そして、いつか、女子の試合を女子がジャッジする。女子の主審になって、若い人たちの希望になれるよう、がんばります。というわけで、稽古行って来ます~~~