三途の川を渡る。
三途の川を渡る、よく言いますよね。みけマンマも渡りましたよ。マジで。まだ前の前の介護施設で働いていた時のことです。認知症専門施設で働いていたときに、「タカさん」(仮名 70代後半 女性)というお客さんがいました。認知症専門施設でしたが、彼女は全然認知症ではありませんでして、独身で身寄りもなく、とりあえずここに入居させて欲しいということで、入っていた方でした。タカさんはかなり進行したパーキンソンと身体硬直があり、首も動かせないほど。カッチンコッチンながらも、喋りだけは達者でした。ほとんど動かない身体ながらも、リハビリには積極的で、いつも「みけパンダさん!!リハビリしよ!!」と物凄い大声で呼んでくれていました。「タカさん~~、うち、みけパンダやのうて、みけマンマやで(汗)」タカさん、関西人でしたので、京都住まいの長かったみけマンマとは気が合い、いつも一緒でした。「分かってるがな。みけパンダ。」「絶対わざと言ってるでしょ~~~」「そんな事あらしまへん。」独身といえども、公務員だったタカさんは、70代後半とはいえ、お洒落にはとても気を使っていて、何十万もする帽子やらストールやらを持っていました。だから、いつも散歩に出るときは、カッチンコッチンになりながら車椅子に乗って完全武装でお出かけしていました。お化粧もして欲しい、と言うので、毎日みけマンマが口紅とか塗ったり、マニキュアをしたりと、彼女なりにお洒落もしていました。でも、いつも「みけパンダさん!!!みけパンダさん!!おしっこ出ました!!みけパンダさん!!」「タカさん~~もうええわ~。パンダでもトンガでも好きなように呼んでくださいな。」でも、そんな気丈なタカさんも、病気には勝てず。イベント好きなみけマンマが「そうだ!今度書道大会しましょう!タカさん、書道はどうです?」「書道ならまかしとき!!!」タカさん、口だけ動かして、やる気満々。みけマンマ、仕事帰りにタカさん達のために、筆ペンを購入して帰宅。その夜、タカさんは脳梗塞で病院に運ばれました。もう何度も脳梗塞を起してきたらしいので、さすがに今度は駄目かもしれない、と施設長から聞かされました。それからしばらくして、みけマンマ、倒れて救急車で病院に運ばれました。意識不明の重体で、蘇生してる最中、一回だけ意識が戻ったときは、実家の両親も来ていて、号泣していました。旦那とかが何か叫んでいて、頭の上で先生やら看護師さんがまたまた叫んでいて、えらいこっちゃ~と思いました。で、また意識がなくなって。ふと、見ると、なんか暗~い中に、ぽつんと明るい光が見えました。「お~~~い!お~~~~い!」と何人かが叫んで自分を呼んでいる。はてはて?誰や?みけマンマがそっちへ行こうとすると、突然「みけパンダさん!!!!!!!!!」という絶叫が。驚いて目が覚めると、そこはICUでした(汗)全身にいっぱい管が刺してあって、これがいわゆるスパゲッティ状態って奴だな~と思いました。どうやら、みけマンマは3日ほど意識不明だったようです(滝汗)ようやく現在の状態が飲み込めて、周りを見たら、なんと、ここはタカさんが運ばれた病院ではないですか。そうか、あれはタカさんが呼んだのか。前にも後にも「みけマンマ」を「みけパンダ」と呼んだのはタカさんだけですから。数日してベットから降りられるようになって、歩けるようになってから、タカさんを探しました。タカさんは別の病棟で入院していました。「タカさん!」タカさんは完全に脳梗塞で固まっていて、天井を見ながら、一言だけ「ああああああああああ」と言いましたが、後は全く反応がありませんでした。ほどなくして、タカさんは、息を引き取りました。夜中の12時過ぎに、誰にも看取られることなく、一人で逝ったとのこと。三途の川を渡りかけたみけマンマを呼び止めてくれたタカさん、ありがとう。まさに、人間って不思議ですわね。あの世があるとは、あまり信じていませんが、あの「みけパンダ!」だけは、確かにタカさんの絶叫でした。