手に取る度に写真家の飯田鐵さんを思い出す機械式コンパクトの傑作ローライ35・テッサー40mmf3.5
ハインツ・ヴァースケ氏によるローライ35が登場したのは1966年。カール・ツァイスのオーバーコッヘン製テッサーに、ヴァースケ・コンパーのシャッターとゴッセンのcds露出計を内蔵して、1961年に規格化されたハーフサイズと競合しつつ、結局は数百万台を売り上げる大ヒットになった傑作だ。初期バージョンは1974年まで製造され、1971年からは製造がシンガポールに移管されている。その初期バージョンはドイツで生産されたものは31万2千台、シンガポールで生産されたものが21万5千台ありその中には3万台のクセナー付が含まれる。因みに発売時の日本での価格は6万9千円で、当時の大卒初任給が2万5千円程だったことを思えばかなり高価なカメラだった。1974年以降はシンガポール生産だけになり、レンズはローライによるライセンス生産に変更された。次にテッサー付きの後継機はローライ35Tとなり44万台が作られ、上位機種のゾナー付きローライ35Sがありこちらは26万台が生産された。以降、プラチナバージョンや35TE、35SE、35クラッシク、75周年記念のゴールドバージョンや特殊なものでは写真測量用の35メトリックなどがあり、他にも廉価版のC35、B35とか35LEDなどバリエーションが多く、もし購入を検討する場合はある程度の知識が必要になる。家にある初期バージョンのローライ35は写真家の飯田鐵さんから譲って頂いたもので、レンズのシリアルから大体1969年辺りに製造された個体と思われる。もう30年くらい前になると思うけど、飯田さんが”こんなのがあるけど、要る?”と取り出したのが黒い初期型でドイツ製のローライ35だった。当時、コンタックスのサブで持ち歩いていたカメラは、軽量コンパクトな絞り優先AEで写りも一級のミノックス35EL。ローライ35は余り興味が無かったのだけど、実際に手にした時のミノックスとは違う金属の質感と、指先から伝わってくる内部に詰め込まれているであろう機械の高密度にやられ、飯田さんのレクチャーで実際に操作してみると決して使い易いとは言えないけど、その精密感にやられた。飯田さんには幾つか機材を譲って頂いたけど、何故かこのローライ35が特に印象に残っている。どういう事かと改めて考えてみれば、この黒くて高密度で精密感に溢れたコンパクトで高価なカメラのイメージを、勝手に飯田さん自身や飯田さんの写真とダブらせていたのではないかと思われる。以来、時々黒いローライ35を目にしたり手にすると、入手した時の場面が即座に蘇り、つい飯田さんを思い出してしまい他のカメラでは感じない感情が湧いてくる。そしてカメラや写真にのめり込んで滅茶苦茶だった昔の自分を思い出し、何ともノスタルジックな気分になってしまう。歳を重ねてあの頃を振り返ってみれば、何とも贅沢で何とも愉快なバカらしい程のお祭り騒ぎであった。専用のケースは後にレモン社で新品を購入したけど、90年代のケースでも60年代のローライにはピッタリだ。初期型ローライ35の作例(全て銀塩写真)いつもビルの隙間の景色が気になる。古くなって良い味わいになっている看板と右側の最新自販機の対比が面白い。地域猫だろうか、近付いても逃げもせず一心不乱に皿に盛られたキャットフードを貪っている。冬の夕暮れ時、葉を落とした梢の上で一羽の烏が佇んでいる。アクロバティックな態勢で頑張っている案山子。雪が降った後の静謐。雪を被った田んぼの土手の向こうには雪を被った北八ヶ岳連峰。冬の畑の片隅にススキが一株揺れている。そう言えば飯田さんが、テッサーを”鐵さんならぬ、テツサーだ”と笑って仰っていたのを思い出した。いつも写真を撮る事に拘ればテッサーが一本あれば十分と言っているけど”テツサー”もテッサー贔屓の一因になっているらしい。