000000 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

mik.hamaのいい加減にします

全243件 (243件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 25 >

2020.11.21
XML
カテゴリ:クルマ
1889年ルイ・ルノー氏により創立されたルノー。
戦前は高級車も手掛けたけど基本は大衆車にあり、
戦後は生活の道具たる大衆車に傑作を見いだせるメーカーだった。

所が、今の日本ではルノーが何とも不思議な売れ方をしている。

市中で見掛けるのは主に2種類のクルマ。
一番多いのが、どういう訳か元が商用車というカングーで、
もう一つが、その昔に国営の公団時代は、
アルピーヌも巻き込んでレースで活躍していた事を今のユーザーが知っているのか分からないけど、
ニュルブルクリンクでタイムアタックをしていたメガーヌに代表される、
ルノー・スポールというものだ。


ルノーは1910年に初めて日本に輸入されて以来、
戦後のタクシーにも使われた日野ルノー4CVのノックダウン生産もあり、
元来は日本との縁も深いメーカーだった。
しかし、日野ルノー以降は、タバカレラ、三井、日英、キャピタル、ジヤクス、…と、
クルクルと輸入元が変わった事もあり、日本のユーザーから忘れ去られてしまい、
どちらかというとマニア向けのクルマというイメージが強かった。

それでも、2000年から日産とルノーによるルノージャポンが立ち上がり、
やがて、2006年には日産トレーディングの管轄になった後は、
2012年には日産の子会社に格上げされている。

今では日産と三菱を含めた3社でアライアンスを組んでいる以上、
パーツの流通や診断コンピューター等も統一して、
全国の日産や三菱のディーラーでもルノーを販売したらどうか。
最近の不振で辛酸を舐めて来たディーラーだって少しは潤うと思うのだけど。


そのルノーから、Bセグメントのルーテシアの新型が登場した。
本国ではクリオという名前だけど、ホンダの登録商標なので改名。
言ってみれば、この名前のクルマは日本専用という訳で、
ルノーはかなり日本市場には気合が入っているように思えるし、
こういうクルマの名前を大事にするメーカーには好意が持てる。

このクリオという名前のクルマは1990年に登場しているので、
2020年で30周年記念と言う事か。
この初代クリオは、ルノーの名作で看板だった5(サンク)の後継であり、
年間50万台を生産する予定の極めて重要なモデルであった。

このクリオをデザインしたのが、
フォードからVWへ移籍した後にルノーへやってきたパトリック・ルケマン氏。

そのルケマン氏に、今後のルノーデザインの全てを任せると口説き、
かつては設計部門の下に位置していたデザイナ―(スティリスト)を、
トップ直轄の専門部門に引き上げたのが、当時の総裁だったレイモン・レヴィ氏だった。

ルケマン氏は早速、スティル・ルノー(=ルノー・デザイン)と呼ばれていたデザイン部門を、
ディレクシオン・デュ・デザイン・アンデュストリエル(=インダストリエル・デザイン)と変更。
単なるデザイン部門で表面だけのデザインではなく、
設計の初期段階から、工学的なものも含めて商品開発の段階から積極的に関与する事になる。

これは、別に目新しい事ではなくて、
イタリアのカロッツェリアでは昔から行われていたやり方だった。
それでも、今流行りの勘違いデザイナーが出しゃばった、
クニャクニャしたデザインと人間工学を無視した悪趣味の氾濫は、
ルノーがきっかけになったのかもしれない。


フランスは、軒並み民族メーカーの消滅したイギリスを横目に、
昔からクルマを重要な基幹産業と位置付けて保護をしていて、
それは、どうやら現在でも受け継がれているらしく、
例の日産とのゴタゴタで、ルノーとフランス政府の大きな結びつきが明るみに出た事は記憶に新しい。

ただ、それだけで今時はクルマがが売れる筈もなく、
クリオ(ルーテシア)が、モデル末期になってもセグメントで一番売れているという事実から、
やはり、クルマ自体がユニークで、他には無い魅力がちゃんと存在しているのだろうと思う。

その、かつてのルノー5(サンク)同様に、
今のルノーを代表する看板であり基幹となるクルマと言えば、
繰り返すけど、スポーツでも商用車でもなく普通のルーテシアである。

実はルーテシアの初代と2代目は結構好きで、
一時、AXの後釜に考えた事があったけど、
3代目のご面相が気に食わなくて興味が離れてしまった。


新型の5代目ルーテシアは、例のルノー・日産・三菱アライアンスという、
三社で共有する新型のCMF-Bプラットフォームと、
日産が力を入れている安全装備も取り込んだ意欲作となっている。

発表前の予想には、横幅が1800mm越えになるというのもあったけど、
実際の大きさは、全長4075mmX全幅1725mmX全高1470mmとの事で、
旧型の、全長4060mmX全幅1730X全高1450と比べても殆ど変らないのは良かった。

新型になり、リアの荷室は旧型よりも60Lアップの390Lとクラス最大。
リアシートも余裕が生まれて、小回りが利いて、内装は上質に…。

エンジンはダイムラーベンツと共同開発した、
1.3Lターボの131Psと1650rpmから240N・mを発揮。
トルクが自然吸気の2000ccオーバーと同格なので動力としては十二分だろう。

これに組み合わされるトランスミッションは、
デュアルクラッチ式のEDCで多段化された7速の湿式だけど、
これも本音を言えばマニュアルか、
ライバルのプジョー108同様に多段ATの方が良いと思う。

ルノーはトゥインゴもダイムラーのスマートとの協業だけど、
ルーテシアは最初からベンツAクラスの下に位置するのものとして、
ルノーとベンツの間で話し合われて企画されていたのかもしれない。


オランダ生まれのローレンス・ヴァン・デン・アッカ―氏によるデザインは、
未だに売れ続けている旧型から外れる事もなくキープコンセプトは一緒なので、
新型でも一目でルーテシアであると分かるのは良いと思う。

全体的に旧型を下敷きにして、丁寧に新しい技術を盛り込みながら、
ここをもっと良くしようというやり方でブラシュアップされた様な雰囲気はある。

大概の新型車は、初めは緩い出来で段々良くなっていくものだけど、
とにかく上っ面だけで中身が無くても売れる協業相手のボトムクラスと違い、
ルノーの屋台骨になるルーテシアは最初から相当練り込まれている筈だ。


フランスの安グルマは本来、
ルノーなら4(キャトル)や5(サンク)なんかもそうだったけど、
決して趣味で乗る為に選ばれるマニア向けのクルマではなくて、
一般市民が日常の生活道具として使うものなので、とにかく要らないものをバッサリと捨てて、
日常使いの道具として、使い勝手と乗り心地を含めた実用部分に重点を置いた、
簡素でシンプルなクルマが本来の姿であり、それがカッコ良かったのである。

モデル末期まで売れていた旧型ルーテシアも完成度は相当高い筈で、
どうしても選択肢の一つになると思う。


旧型のインパネはシンプルで機能優先のもので、
質感がイマイチという評価もあるけど個人的には好感が持てる。


旧型のルーテシアの外観図。とにかく大きさが良い。
新型は、横幅が1800mmを超えると予想した雑誌もあったので、
ルーテシアを買うなら旧型だな、と思ったら…。



新型のイメージイラストを見ても、
一目でルーテシアであるとわかるけど、
個人的にはもう少しシンプルに出来ないものかと思う。

旧型よりもフロントウインドウが寝そべって、
全てのガラスの面積が旧型に比べて小さくなったように見える。
これも流行りなのか。

最近はシトロエンC3もそうだけどクルマの隅の見切りが悪くて、
何というか穴倉から外界を斜に見る様な感じがある。
そのせいで、開放感のあるカングーが日本では売れているというのであれば勿体ないなと思う。

とにかく、昔のイタフラの大衆車が纏っていた、
機能と合理性を追求して必然の結果で完成したデザインが懐かしい。
流行りのクニャクニャデザインも見慣れて来たけど、
個人的にはインテリアも含めて旧型の方がシンプルで好ましい。

松本で見た新型の現車で一番印象的なのは、やはり大きすぎないサイズだ。
クルマの大きさは、これで十分。


新型のインテリア。
とにかく、勘違いデザイナーが出しゃばった、
今流行りの人間工学無視とかアチコチでクロームがギラギラしていて、
逆に安っぽくなっている所まで行っていない点は救いだけど、
最近の流行りらしいタッチパネルの操作は嫌だな。
ステアリングも普通の真円に戻したら良かったのに。

個人的には安いクルマの内装なんか、機能性が一番大事で別に安っぽくても良いんだけど、
今のヨーロッパ車の内装は、時代を先取りした新提案と勘違いした変なのが増えて来て残念。
昔のイタフラの安グルマの内装はプラスチックや鉄板が丸出しだったけど、
そういう見切り方が味でカッコ良かった。


新型は、日産が力を入れている安全装備も文句ないとはいうものの、
自動ブレーキとカメラとパーキングセンサー以外の、
中途半端な自動補助見たいものは一切不要で邪魔でしかない。


ルーテシアはポップな色も似合う。
無難で流行りのモノトーンは他のクルマに任せてカラーを楽しみたいクルマだ。


普通のルーテシアのタイヤは45サイズが標準なようだけど、
日常のアシであればインチダウンしたい。
インテンスを買って、受注生産というゼンの55サイズに交換かな。
高価で硬くて重くてホイールにキズが付く扁平タイヤは、
少なくとも生活の道具には要らない。






最終更新日  2020.11.21 19:30:06
コメント(0) | コメントを書く


2020.11.14
日本ではキワモノ扱いのレンズにA・シャハトというメーカーがある。
そのラインナップの中で、二種類ある広角レンズの一つがトラベゴン35mmf3.5だ。

このレンズを手に入れたのは前玉にクモリがあって、それなりに安かったので買ってみたのだけど、
クリーニングの為にバラしてみて、更にレンズ構成図を確認して驚いた。

その類例がないレンズ構成はA・シャハトと関係があった、
元カールツァイスの鬼才ベルテレ氏独特のもので、
1950年登場のレトロフォーカスを横目に見ながら、それに倣う事を拒否して、
オマケに戦前の大ツァイスのように高価な新しい硝材も好きに使えず、
製造コストの予算が低いサードパーティーメーカーの為に、
結構苦労して設計したものではないかと推察する。

独特の3群6枚のレンズ構成は、
最初に2枚張り合わせの凹レンズを配し、
次に鼓型を含んだ2枚張り合わせの凹レンズを置いて、
絞りを挟んで、最後にテッサー型でお馴染みの二枚張り合わせの凸レンズとなっている。


レトロフォーカス登場以前の一眼レフ用の広角となると、
以前紹介した、イソゴンやオロールのようなF値の暗い38mmとか40mmしかなかったのだけど、
レトロフォーカス以外の35mm広角では、このトラベゴンしか思い当たらない。

このレンズ構成に他の追随が無かったところを見ると、
どうもレトロフォーカス以上のものは無かったと見える。
ベルテレ氏の35mm広角レンズというと、戦前からあるビオゴンが余りにも有名だけど、
これの追随者も旧ソ連止まりで終わっているのは、製造コストの高さではないかと思う。

トラベゴン35mmf3.5は1954年には登場していて、
1970年辺りまで生産されていた。
価格はDM(ドイツマルク)168だった。


シャハトの広角レンズには、もう一つ1964年に登場した、
同じスペックのSトラベナーという3群7枚構成のレンズがあって、
更にビオゴン臭が濃くなっている。
これは、シャハト製のレンズで最も高価なものでDM318。
3枚張り合わせのレンズエレメントは手間とコストが掛かるのだ。



実際の所、トラベゴン35mmはレンズ後端からバックフォーカスの余裕が無くて、
手持ちの銀塩M42マウントカメラではEOS・RTにしか使えない。

EOS・RTに付けた、トラべゴン35mmf3.5。


A・シャハト・トラベゴン35mmf3.5の作例(全て銀塩写真)

夕方になり誰もいない日が傾いた田んぼの奥で、案山子が一人で田んぼを見守っている。


今年は天候が不順で、
7月頃までのトウモロコシは背が低くてヒョロヒョロだったけど、ここは8月以降の酷暑で復活。
八ヶ岳山麓のトウモロコシは昼夜の寒暖差で特Aクラスの味わいである。


真ん中左に蓼科山。
ここの畑は今年の天候不順で、暑さが大好きなトウモロコシはヒョロヒョロで丈も短い。
その代わり、手前のサツマイモは8月の暑さで元気に回復中。


農道脇のユリの花が、これ以上咲きようがない位に満開になっている。


稲の出穂。
今年は7月までの寒い長雨で、どうなるか心配していたけど見事に立ち直ったようだ。


頭から植物を生やした元茅葺屋根の建屋。
トラべゴンは、レンズの周辺部に逆光気味のシチュエーションがあると、
ハイライトにフレアが出て、このレンズでしか作れない写真が出来上がる。


家屋のある、生垣の方に開口部があると思われるトタンの物置?
元はゴミ置き場だと思うけど、使われなくなって反対側に向けられたのか。
朽ちるに任せてオブジェになっている。


夏になると弦植物に覆われて何だか良くわからないけど、
鉄塔の上には有線放送のラッパスピーカ―がある。
こう見えても現役なのだけど、拡声器特有の耳障りな歪も、
植物のお蔭で幾らかマイルドになっているんじゃないかな。






最終更新日  2020.11.17 21:15:36
コメント(0) | コメントを書く
2020.11.07
カテゴリ:映画・ドラマ
円谷特技プロとTBSにより制作されて、
今に続くウルトラシリーズの原点とも言うべき、
1966年1月から半年に渡りTVで放映された”ウルトラQ”。

これの発端は、1962年頃から話が進んでいたフジTVによる特撮番組に向けて、
円谷特技プロがアメリカに先行発注していた、当時で4千万円もしたオプチカルプリンターが、
番組の調印当日のキャンセルで宙に浮いてしまう事に始まる。

特撮では円谷特技プロは日本で名を知られていたとはいえ、
規模の小さかった同社には支払う能力がなく、
オマケに日本へ向けて発送済みだった高価な機械をキャンセルも出来ない状況に陥ってしまった。
そこに手を差し伸べて資金の肩代わりをしたのが、当時のTBSテレビの編成局長だった。
幸運な事に1963年には、TBSの特撮ドラマ《UNBALANCE》の話が進んでいたのだ。


TBSは、この高価な機械を生かそうと、
特撮ドラマを作る上で円谷特技プロの言い値の7000万円を拠出し、
当時は一本150万円だった30分ドラマに対し500万円の予算をつぎ込むことになる。

予算の内訳としては、一社スポンサーだった武田薬品の負担分は180万円で、
グッズや海外への販路を見越して残りはTBSが負担した。

オマケに円谷特技プロは、
通常のTV番組は16mmフィルムの使用が普通だったのに、
特撮を口実に、チャッカリとカネが掛かる、
映画で使われる35mmフィルムを全編で使用する事になる。


公開されると、視聴率は30%を超える大ヒットとなり、
後に、「ウルトラマンが地球を訪れる以前、人間が自分たちの力で怪獣と戦っていた時代」という、
設定をこじつける事になる。

映像コンテンツとしては、1980年代にレーザーディスク化されて後、
2001年には、映像と音声の修復を行ったデジタルリマスター版のDVDを発売。
2011年にはカラー化されたけど、色付きは個人的に何の興味も湧かなかった。


今見ると、特撮の甘さもあるけど、
それをもって余りあるカネを掛けたセットや映像に驚愕する。
独特のドラマ感も含めて、当時のモノクロ映像ゆえの味わいを大切にするべきだ。

前半はバランスが崩れた地球に於いて、人類へのしっぺ返しという内容だけど、
後半になると宇宙からの侵略者が前面に出て、地球人に味方をする宇宙人まで登場してきて、
嫌でもウルトラシリーズの続編、”ウルトラマン”への期待が高まる内容になっていく。

第19話は、今年の年号が入った「2020年の挑戦」。
飯島敏宏監督、金城哲夫氏と千束北男氏が脚本を担当した本作は、
世界中がコロナ禍で喘いでいる今現在という未来から俯瞰すると、
半世紀以上前の1966年に、今の状況を暗示しているのではないかと思える傑作だ。

カメラ好きには、毎日新報報道カメラマンの江戸川記者が持つ機材が毎度気になる。
最初の頃は1965年発売で、当時ヤシカの最高級機だったペンタJ5の50mmf1.4付。
他にもミノルタのニューSR-1らしきカメラも登場して、
後半には、135mmと思しき望遠付きのニコンFまで登場しているけど、
これは江戸川記者には似合わないように思う。
それから、一平くんが持つオリンパスのペンFも必見。

クルマだって、主役の万城目の愛車が、当時は高価で今でも珍車の、
ミケロッティデザインのプリンス・スカイライン・スポーツのオープンカーで、
アメ車のオープンも乗っているけど、万城目は何台クルマを持っているのだろうか。

相棒の一平くんだって負けていない、
オープンの日産フェアレディ-を乗り回しているし、
他にも、トラックを含めた、当時の実際に動いている国産車がてんこ盛りで楽しめる。

腕時計も、当時はオメガこそ男達の憧れだった事が分かる。






最終更新日  2020.11.07 19:30:05
コメント(0) | コメントを書く
2020.10.31
オリンピアゾナーと呼ばれ、現在でも大口径の180mmf2.8という望遠レンズが、
カールツァイスから発表されたのは1936年だった。

当初は距離計コンタックスに直に取り付けるタイプだったのが、
やがてミラーボックスを介して取り付けるタイプに変更され、
戦後には東側のカールツァイス・イエナから、
一眼レフの35mmと6X6判用の大口径望遠レンズと言う事で再登場している。

以前紹介した、家にあるイエナ製ゾナー180mmf2.8のパンフレットの表紙。
特に真ん中のエレメントは、大塊の硝材が必要で3枚張り合わせの製造も面倒という、
製造コストが嵩むホンモノの3群5枚構成のオリンピアゾナー直系の銘玉だ。


西側からは、1966年にコンタレックスマウントで180mmf2.8ゾナーとして復活したけど、
中身は戦前のゾナーからかけ離れた4群4枚構成となり、たったの965本の製造で完了している。

1975年に登場した、ヤシカ/コンタックスのRTSシステムが登場してから暫くして、
1979年にゾナー180mf2.8が復活する事になる。
やはり、市場からは戦前の銘玉への憧憬と共に、販売リクエストが多かったのではないか。

オリンピアゾナーの復刻との触れ込みだったけど、
レンズ構成は既に一眼レフ用として一般的になっていたテレフォトタイプに変更されている。
それでも重さは985gとオリジナル並みのヘビー級で、
5群6枚のフローティング機構まで内蔵した凝ったレンズだった。

これが、1983年になるとマイナーチェンジで815gと幾らか軽量化された。
Y/Cゾナー180mmf2.8のレンズ構成図。
テレフォトとはいえ、何となくオリジナルのゾナーの雰囲気を持っている。


Y/Cゾナー180mmf2.8のパンフレット。


【10 1086】1stバージョンのゾナー180mmf2.8の外観。
ゾナー135mmf2.8や初期型のテレテッサー200mmf3.5と同系列のデザイン。
妥協なき大口径望遠レンズを画策したと思しき、
カールツァイス渾身の造り込みと意気込みが重量と共に伝わってくる。


【10 1117】2ndバージョンのゾナー180mmf2.8の外観図。
新しい、テレテッサー200mmf4と同じ様な、直線的なデザインに変更された。


【10 1086】1stバージョンのMTF曲線


【10 1117】2ndバージョンのMTF曲線


一応、1086も1117もレンズに変更は無いとされているけど、
実際には、MTF曲線を見ると微妙に違うので、写りも少し違うと思われる。
それでも、理想主義の追求で好き放題をして作った重い初期型の方が好きだ。

オリジナルに近い、イエナ製ゾナーと記念撮影。
数回の使用で無限遠のピントが出なくなったという、
コンタックス・マウントのケンコーカメラは写真を撮れないけど、
こういう物撮り用では大きさの確認で役に立つ。


”ヤシコン”ゾナーはフードを内蔵。
”イエナ”ゾナーにはコンタックス用のメタルフードを装着して並べてみた。
望遠で主流のテレフォトタイプはレンズの全長が短くできるけど、
レンズ本体の長さはイエナゾナーの方が更に短い。


コンタックス・ゾナー180mmf2.8の作例(全て銀塩写真)

晩秋になり、すっかり葉を落とした木々の下で薪を割る。


フローティング機構で近接時の補正もしているゾナー180mmf2.8。
わざと逆光気味の厳しい条件で枯れ尾花をアップにしてみる。


蓼科山の頭頂部に淡い雪が被っている。もう直ぐ、里にも雪が舞う時期が近い。


八ヶ岳の方は、既に雪が降りはじめたようだ。


ついに里にも雪が舞った。真ん中の下に林から飛び出た鳥が雪の中を飛ぶ。












最終更新日  2020.10.31 22:19:24
コメント(0) | コメントを書く
2020.10.25
カテゴリ:
ブログを始めて、ずっと毎年嘆いてばかりの秋が続く。
今年はコロナ禍のせいで、辛気臭い世相に加えて夏前と同様の長雨と寒さで寂しさが募る。

人生で、これ以下の事もそうそう無いだろうと、
先週、雨の中を秋送りの酒でも探そうと買い出しに出たら、
乗っていた318tiが、ガソリンスタンドから飛び出したクルマに突っ込まれた。
たまたま通り掛かったパトカーに事故処理依頼をしたけど寒さが身に染みたぞ。

実は、今年に入って右側面を老人に突っ込まれたのは2回目である。
この時も、向こうから一時停止を無視して突っ込まれたけど、
バンパーに傷がついてウインカーが割れてドライビングランプが外れた。
事故処理は行き付けの自動車屋さんが知り合いという事で、
先方が全額支払うという事で終わったのだけど、ヤレヤレである。

どちらも、大してスピードを出していなかったので、
体の方は双方共に何ともなかったのだけど、
何か、318tiが次の車検がない事を悟って、
厄を一身に背負いこんでいるようで切ない。

とにかく田舎道で一番怖いのは年寄りである。気を付けられたし。
もう今年も2ヶ月しかないけど、これ以上の災厄が無い事を願いたい。

事故後に厄落としで買い込んだ2本の酒。

世の中がどうであれ、個人的にどうであれ、
秋になると、ちゃんと馴染みの秋酒が登場していてホッとする。
岡谷の「高天」ひやおろしと、塩尻の「アルプスワイン」の完熟”ヌーヴォー”を連れて来た。
来年の秋はどうだろうか。もういい加減に、これ以下の世界ではありませんように。


もう一本、いつもの塩尻「五一ワイン」のヌーヴォー「収穫の詩」。
完熟と共に、辛口で葡萄が凝縮された無添加ワインはこの時期のお楽しみ。
家では、どちらも辛口。出初めのボジョレーヌーボーの1/3の値段で、
こっちの方が遥かにコスパは上なのだ。


我が家で週末に開ける、基準ビールはサッポロ黒ラベル。
缶に付いているシールなんか簡単に貯まるので、ハガキで応募したら見事に1ケースが当選。
これは、ご難続きの後で、ホンの少し見えた光明である。何ともありがたい。

ウイークデーは黒ラベルよりも、同じサッポロのホワイトベルグが良い。






最終更新日  2020.10.25 19:30:06
コメント(0) | コメントを書く
2020.10.24
カテゴリ:クルマ
個人的にシトロエンは昔から好きなので、
最初に手に入れたAX14TRSは14年に渡り所有して、
今でも無くなった親友の形見という初期型C5が手元にある。

実は318tiの後釜を考える上で、
真剣にシトロエンの原点とも言うべき2CVにしようかと思ったのだけど、
どうしても古い分、普段のアシグルマとしては厳しい。
例えば、これ用のミシュランタイヤなんか、
数がまとまらないと作らない上に高くて驚くけど、
冬タイヤなんかどうなるんだろうか。

シトロエンの場合、ハイドロか安グルマのどちらかに魂が宿ると考えているので、
今現在、日本で普通に手に入る一番安いのはC3と言う事になる。
初代は2002年に登場して、フランスの日本車みたいな出来にガッカリしたけど、
その派生車だったプルリエルはシトロエンらしくて良かったと思う。

2代目は2009~2016年に渡って生産されて、派生車としてDS3も登場した。

現在の3代目C3は、先代達とは似ても似つかぬクルマに生まれ変わった。
C4ピカソやカクタスに始まる、魔人ブーのふくれっ面に最初は面食らったけど、
慣れてくると、これも悪くないなと思うようになる。

この最初に”?”という感覚は、シトロエンの場合に時々起こる現象で、
2CVも初期型のC5も、最初は良く分からなかったのだけど、
気になってから見慣れてくると、これはこれで良いなと思えるようになる。

元々、フランス車はヘンチクリンなもので、
今のC3は、世界中のどこを探しても似たものが無いというのが実に良い。

大きさも絶妙で、全長3995mmX全幅1740mmX全高1470mmで、
重さは968~1080Kgというもの。
諏訪でも時々見掛けるけど、遠目からもC3であるというのが分かる。
現車を見るとサイズ以上に大きく見えるのは、その丸っこいデザインのせいか。

側面にエアバンプを備えたC3は、世界のどこにも似たデザインが無い。
こいつを腹に収める事が出来れば、シトロエンの思う壺というわけだ。


最近の限定車は、日本をモチーフにしているらしいけど、
この茶色のインテリアは定番化しても良いと思う。


インパネは、外観程に奇をてらってなくて好感が持てる。
ただし、タッチパネルによる操作は、
走行中だと手探りでは難しいので好きになれない。


数の少ない限定カラーでも、それ程価格アップしない点が良い。
日本の輸入元とシトロエン本社との連携は大したものだと思う。

同じPSAグループのプジョー208が8速ATになった今、早晩C3も変更されると思う。
どうせ、上の方なんか高速でもない限りは要らないと思うけど、
そうなれば、現在のローギアでのギクシャク感も解消されるのではないか。


C3に加えて、ずっと屋根の開くクルマは一つの憧れだったので、
もうこれは、既に生産中止なので中古を探すしかないけど、
先代のシトロエンC3がベースのDS3カブリオも気になるクルマの一つだ。


独特のオープン機構は、走行中でも開閉が可能なのが良い。
アバルトの595Cも似たような開閉機構なので同じメーカーなのだろう。


普通のDS3は諏訪でも見掛けるけど、このカブリオには今まで出会ったことが無い。
問題は、ソフトトップの対候性で、交換の費用も最初から考えておかなくてはならないかもしれない。


DS3の良い点の一つが、もう選ぶことは出来ないけど豊富なカラーバリエーション。


ただ、DSの一番の問題は、
そのコンセプトが一体何なのか、ずっと飲み込めない所がある。
このDS3だって、C3に幾ばくかのプレミアム分を払った上で、
元のシトロエンと比べて、何が得られるのか良く分からない。

これはDS全般に言える事だけど、
ちょっとばかりお洒落で珍しいだけでは先が続かないのではないか。

例えば、トヨタから1989年に登場して、
その徹底したオーバークオリティの造り込みで、
驚異的な静粛性をもって世界中の自動車メーカーを驚愕させて、
ヨーロッパの高級車にまで大きな影響を与えたセルシオがある。

海外ではレクサス銘で販売されてアメリカで大ヒット。
あのジャガーでさえ静かさの秘密を探ろうとして、
エンジンまでバラして社内に展示までされたらしい。

世界の高級車メーカーを瞠目させたレクサスは、その後確固たる地位を築いているけど、
これに触発された、日産のインフィニティやホンダのアキュラを見ても、
余りパッとしないのは、根っ子になる哲学や伝説のようなものが無いからではないか。

もう一つ、個人的にはVWポロの方がずっと良いなと思うけど、
そのポロと同じプラットフォームなのに、それよりも高価なアウディA1というクルマがある。

大分薄らいだとはいえ、まだ階級社会が存在するヨーロッパにおいて、
本来は、金持ちがセカンドカーとして買うA1は、
インテリアとかパーツの質感が多少違い、エクステリアだって違っているという事だけではなく、
それよりも主に鼻先に4つの輪っかが光っている、由緒ある老舗のアウディブランドは、
国民車という名前と出自のVWよりもランクは上と言う事で選ばれるのである。


その昔、フランスの大衆車だったルノー5にバカラ(BACCALA)という、
ホンモノのお金持ちのセカンドカーとして企画されたクルマがあった。

1989年当時、日本ではオリジナルのGLは169万5千円という価格で、
それは、素っ気ない内装の、ケチなフランス市民の生活道具丸出しという安グルマなのに対し、
バカラは250万円もする結構な高級車だった。

そのバカラの内装は、何とも趣味の良いシックな色調のインテリアを与えられて、
シートには当然のようにインテリアと同系色の本革が驕られ、
リアには上級車の25と同じパーソナルクローゼットまで備わっていたのだ。

そのルノー5バカラに比べると、
今のDS3からは、ベースになったC3との差異が殆ど見いだせない。

これでは素のシトロエンの方がずっとカッコ良くて、
値段が高いだけのDSは、見栄と札ビラが透けてしまい却って貧乏臭く見えてくる。
サスにハイドロでも使えば一考の余地はあるけど、
まあ、こんなクルマもあった、という事で終わってしまうのではないか。

今のDSも、どうせ数が出ないのなら、もう少し奮発して気合を入れて、
大衆から離れたヨーロッパの上流社会と繋がる、
ホンモノを纏ったクルマにするべきではないかと思う。

話しついでにもう一つ。
偉大なイギリスの安グルマだったミニ(ADO15)の後継車、
ADO16には大衆車からスポーツまで色んな兄弟がいたけど、
その中に、まごう事なく小さいけれどホンモノの高級車だった、
バンデンプラ・プリンセスがいた事を忘れるべきではない。

新しいDSは、この様なクルマを目指すべきではないか。






最終更新日  2020.10.24 19:30:05
コメント(0) | コメントを書く
2020.10.17
1952年から1964年まで作られていた、
マイヤー・ゲルリッツの広角レンズにプリマゴンというのがある。
女性バレエダンサーの最高位の称号であるプリマを冠したレンズだ。

マイヤー・ゲルリッツのネーミングは独特なもので、エジプト/ギリシャ神話に関わるものが多い。
エジプト神話の中核になる9柱神の居る太陽の都市、ヘリオポリスからヘリオプラン。
これの太陽神ヘリオスという名前は、旧ソ連でもダブルガウスの明るいレンズに使われた。
他には、調べても良く分からないけど、古代の英雄らしいドミロンからドミプラン、
オレストネンは大分お気に入りだったようで、オレステゴンにオレストンやオレステゴール等々。


1950年代、一眼レフ用の広角レンズは、まだ特殊な存在で、
1953年に登場したカールツァイス・イエナのフレクトゴン35mmf2.8は、
当時としては特殊な大口径広角であり、とてもアマチュアの手に届かない高級レンズであった。

東ドイツにおける、初期の一眼レフ用広角レンズとしては、
テッサーとヘリオプランの40mmf4.5があったけど、
これに変わるアマチュア向けのレンズとしてプリマゴンは企画されたらしい。

中身は、ひたすら安価にするためf値を4.5に抑えて、
トリプレットの前にワイドコンバーターを配した、
4群4枚構成のシンプルなレトロフォーカスの広角レンズで、
設計は、ゲルリッツ・ヴァインヒューベルのヒューバート・ウルブリッヒ氏。

1955年にはカタログに載って、1956年には春のライプツィヒ見本市にも出品された。
最初のメニスカスレンズに、分散の小さいFK5(フッ珪クラウン)という硝材を使用しているけど、
現在、この硝材はEDとかLDという特殊低分散ガラスに分類されている。

そのお陰で、当時のプリマゴンはコスパが良くて驚く程の描写だったようで、
濃い青から中間の赤(434~656㎚)に至るまで色収差の補正も良好だった。

1957年3月26日に西ドイツで連邦意匠登録・実用新案を取得して(DBGM. Nr. 1.749.770)、
1958年1月29日には東ドイツでも同様にGMを取得(DDR-GM Nr. 5107)している。
(DBGMは"Deutsches Bundes-Gebrauchsmuster"の略)
価格は、当初165マルクだったのが、1960年から130マルクに値下げされた。

その後、マイヤー・オプティックは1964年になると、
プリマゴンの後継アマチュア用の広角レンズを企画して、
新しい30mmf3.5を開発する事になり、
それには旧約聖書に出てくる若い女性の名前Lidythを冠して、
プリマゴンと交代する事になる。


プリマゴンのパンフレット:1
社名がVEB・ファインオプティッシェズ・ヴェルク・ゲルリッツ
/マイヤー・オプティックとなっている。

VEBは旧ソ連が接収していた企業の返還に関わり作られた企業形態で、
1946年7月に成立したフォルクセイゲナー・ベトリーブ/人民公社の事。
次の社名はゲルリッツの精密光学機器製造所/マイヤー光学といったところだ。



プリマゴンのカラーのパンフレットでレンズ構成図を見ると、
フロントの大きなFK5硝材のメニスカスレンズと、
その後にある小さなトリプレットの対比が面白い。


キヤノンEOS・RTに付けたプリマゴン35mmf4.5.

昔、プラハで手に入れたプリマゴンは、
阿鼻叫喚だったクラッシックカメラブームの時でも、
この手のレンズは需要が無かったので日本では殆ど見掛けなかった。

一応、東側の高品質レンズを示す、虫という字に似た刻印が入っている。


プリマゴン35mmf4.5の作例(全て銀塩写真)

古い建屋に柔らかい初冬の日差しが暖かい。周辺光量の低下も、このレンズの特徴の一つ。
幹にツル植物を巻き付けた脇に立つ大きな木も、この建屋と一緒に過ごしてきたのだろう。



風にそよぐ枯れた葦の向こうには、すっかり葉を落とした雑木林。その上には月が昇っている。


田んぼの土手に生えているボーボーとした木が3本。
土手の補強と思うけど、邪魔なのか時々根元からちょん切られている。


小高い丘に挟まれた田んぼは開墾も大変だったと思う。
昔は、ここら辺の土地を掘ると、矢じりとか縄文期の遺物が出て来たらしい。


コンクリートの構造物の下にソファーが2つ。
意図して置かれたのか、ゴミとして捨てられているのか分からないけど、
背景とはマッチしているな、とは思う。


以前紹介した同じ様なスペックを持つ、
西側製のシュナイダー製ローコスト広角レンズのラジオゴンと比べると面白い。
どちらが優れているかという事は無意味だけど、どちらも良いレンズだと思う。






最終更新日  2020.10.17 19:30:05
コメント(0) | コメントを書く
2020.10.10
カテゴリ:時計
小鳥のマークで有名なフランスJAZの時計。

JAZは、1919年1月28日に、オメガの創立者ルイ・ブラン氏の子孫である、
ルイ・オーギュスト・ブラン氏と、フランス人エンジニアのイヴァン・べネル氏によりパリで創立。

名称は、Compagnie Industrielle de Mécanique Horlogère(C.I.M.H.)というもので、
組織としてはSociété Anonyme (S.A.)なので、機械時計工業株式会社という所か。
当初は60万フランの資本金も直ぐに180万フランに増資されて、
本社はマルゼルブ大通り18に置かれた。
更に、パリ郊外のピュトーに2500平米の工場が新設されて、
従業員は50人という規模であった。

1921年になるとオメガから派遣された技術者と共に、
最初の目覚まし時計”CLASSIC”が作られた。
それはアラームストップボタンが上面に配された画期的なもので、
およそ一万個を生産される事になった。
以来、JAZの時計は最後に”IC”で終わる名前が付けられるようになる。

時計のヒットにより、約10人ほどのエージェントによる販売網ディーラーが作られ、
1922年には、目覚まし時計=JAZという同義語になるほど注文が殺到。
1924年にはヨーロッパやアジアにも輸出を開始して、
ピュトー工場の従業員は100人を数えるまでになり、
やがて1925年には50万個、1929年には786万+7個の時計が販売された。

その後。1934年にはゼンマイを巻く必要が24時間以内にある場合、
インジケーターで表示するワインディングインジケーターを搭載し、
1935年には従来の30時間から8日巻きのムーブメントを開発。

第二次大戦中は、真鍮の使用を制限されて亜鉛で代用。
やがてベークライトと陶器の使用も禁止されると、振り子時計と壁掛け時計の生産を中止。
ドイツ占領下の1941年には、JAZ音楽が親米的という事から、
検閲回避の為にJAZの上に、JAZと関連性を持たせるために、
渡り鳥のキレンジャク【フランス語で(Jaseur de Bohème)/ジャズール・ド・ボエム】を配して、
例の有名なトレードマークが誕生する事になる。

戦後の1946年に時計の生産を再開すると、650人の従業員を雇い、
1947年には資本金は4680万フランとなり、
会社はアルフレート・マイトリピエール氏が議長を務め、
ルイ・ギュスターブ・ブラン氏が副議長を務めていたが11月に死去してしまう。

1948年には、C.I.M.HはJAZ SAとなり、
1951年には世界61か国へ輸出されていた。
同年、ラグジュアリーモデル専門の時計製造の為に、
コルマールとアルザスに工場があったSociété Alsacienne dePrécision(S.A.P.)に参入。
その時計には(Jaseur de Bohème)鳥のシンボルと、
Sapic、Colmic、Alsicなどの常に「ic」の名前が付けられた。

1954年には、フランスで最も古い時計メーカーだったジャピーを合併。
1955年には、Jaz、Japy、Caratの3つのブランドがGénérale Horlogèreのもとで提携。
1957年には2000万台の時計が生産されて、市場の1/3を独占。
1959年になると、時計は電池を使用したものが登場し、3つの電気式ムーブメントを発表。

1961年にはピュトー工場は解体されて、生産はアルザスのヴィンツェンハイムに集約。
1962年には、2500万個目の時計を生産し、P・シャルボナ氏により開発された、
トランジスター式のDRICをはじめとする、JAZISTORシリーズを発表。
1967年には、ロゴマークの変更が行われて、小鳥の尻尾が上に上がったものになった。

1971年の従業員数は850人。その後LEDや液晶表示のクオーツ時計も生産。
1975年にS.A.Pを合併し、売り上げは1億5千万フランに達し、
500万以上のモデルが生産されたが、工場で火災発生。
1976年は、電子目覚ましに1000万フランを投資。
JAZを含めた、Finhor、Cupillared Riemeの各社が、
1,700人を雇用する新会社Framelecを設立する。

所が、1979年になると有力な株主でJAZを支配していた、
アンパン・シュネーデル財閥がマトラに株を売却する。
年間の生産数は60万に低下し、従業員も500名に減少。
1981年、日本の服部とマトラの話し合いによりクオーツ時計の生産の一部を中止。
1983年から、ヴィンツェンハイムの工場は縮小されて、ブザンソンに移管しつつ、
1990年には閉鎖された。これに先立ち、ナンテールのサイトは1984年に閉鎖。

1986年、マトラは保有していた時計部門をセイコーに売却。
1987年には、日本とフランスの時計ブランドを管理統合する為の、
Compagnie Générale Horlogèreを設立。
JAZブランドの時計は日本製ムーブメントを使いモルト―工場で生産。

1989年にJAZは70周年を迎え、
ネオアールデコの時計を企画するが叶わず、全ての時計生産を完了した。

それでも2016年になると、DATA ACESS社により復活を遂げて、
パリの15区にあるワークショップにより、
1970年代のモデルとクラッシックシリーズを復刻している。


家にある、高さ8cm弱の真鍮で出来た2つのJAZ製目覚まし時計。
正面が扉になっていて、表面の画は細い線を張り付けて画を構成した、
フランスでエマーユと呼ばれる手間の掛る七宝だと思う。

左の時計には熱帯魚がモチーフで、
右の時計には日本の漆芸で見られる蒔絵のような画が描かれている。
どちらも和室にも合うと思うので、日本向けに作られた製品かも知れない。

正面の扉は、左右にヌルヌルとした絶妙な感触で回転して本体に格納される。
ちゃんと開閉の完了時には緩いストッパーが効いて簡単に動かないようになっている。


小ぶりな割に重い時計。扉が開くと文字盤が現れる。
右側の時計は、外側だけではなくて文字盤まで日本画風に仕立てられている。

トレードマークのキレンジャクの尻尾が下がっているので、1966年以前の時計。
アップライトの時間表示をはじめ、各部のパーツを見ても全体的に造りが良い。


背面にも、結構複雑な形状で七宝の片開きの扉が付いている。


これを開けるとムーブメントの操作が可能。
黒い熱帯魚の方は11石の8日巻きで、白いジャポニズムの方は7石のムーブメント。
刻まれている文字が黒い方は彫刻だけど、白い方は打刻だろう。
全体的に、かなり高級な時計で、いわゆるラグジュアリーシリーズと呼ばれるものだろうか。
そうなると、1951~1966年の間に作られたと言う事になる。


2つとも、天板の化粧板らしきものが無い。
元から無いというのではなく、どうやら剥落して紛失したらしい、
というのも接着剤の痕跡らしきものが残っている。


黒い方は、オーバーホール上がりで快調。白い方も近々オーバーホールの予定。
細かい七宝などの造り込みを見ても、元は高貴なお方のトラベルクロックだったのかもしれない。






最終更新日  2020.10.10 19:30:07
コメント(0) | コメントを書く
2020.10.03
個人的にも大好きなテッサーレンズ。

1902年に登場してから、少なくとも戦前までは高級レンズの代名詞であり、
実際には一般庶民とは無縁のレンズであったらしい。

そこそこ明るくてシンプルなレンズ構成の割に高性能が見込めるテッサー型は、
やがて、戦後になると東西を問わず世界中の色んなメーカーで作られて、
色んなカメラにも組み込まれ拡散していく事になる。

主にパウル・ルドルフ氏のプロデュースにより完成した最初のf6.3テッサーは、
エルンスト・ヴァンダースレプ氏により1907年にはf4.5に改良されて、
更に1930年になると、ヴィリー・メルテ氏も加わりf3.5とf2.8が登場。
以降、スタンダード・テッサーのf値はこの2つが標準となる。

所で、手元には最初に改良されたf4.5明るさを持つ、
黒塗りの真鍮鏡胴で、回転ヘリコイドを備えた、
テッサー10.5cmのライカLマウントのレンズがある。

ネットを突いても何もヒットせず、
どういうレンズかまるで分らないのだけど、
ちゃんとライカの距離計にも連動するカールツァイス製のレンズ。

レンズに刻まれているシリアル番号(1018357)から、
どうやら製造年は1930年(922488-1239697)らしいので、
同年に登場したライカCの為に作られたものではないか。

戦前のライカマウントの社外レンズというと、シュナイダーのクセノンが有名だけど、
他には第二次大戦でドイツからの供給が不足したアメリカで、
ウォレンサックがライカ用として供給したヴェロスティグマートがある。

世界大戦は1939年から始まるので、戦時中の不足分を補うという事も無いので、
ひょっとしたら、1930年から登場したf3.5とf2.8のお蔭で、
旧型のf4.5がダブついて在庫消化の為に転用したのだろうか。

造りを見ても、取って付けた何かの改造品というものではなく、
今となっては、ライツよりも遥かに大企業だったカールツァイスが、
ライカの距離計に連動する鏡胴をわざわざ仕立てて作った理由は闇の中である。


ベッサR3Mに取り付けた、戦前のテッサー10.5cmf4.5。
小振りだけど、真鍮なので比重が高い。


先の世界大戦を潜り抜けて90年という歳月が経ち、
大分年季の入った黒塗りの真鍮鏡胴は工作も上々。
ライツのエルマー9cmf4よりも細身ですっきりした外観を持つ。
今でもヘリコイドは滑らかで、絞りの動きも問題ない。


絞り環を含めたレンズヘッドは簡単に外せる。
本来は何かのカメラのレンズボードに嵌め込まれるものを、そのまま流用しているのではないか。
別の同じ焦点距離のレンズで、鏡胴側のネジが合えば付け替えられるかもしれない。
オリジナルの初期型プラナーが合えば面白いのだけど。


1930年製ノンコート・カールツァイス・イエナ製テッサー10.5cmf4.5の作例
(全て銀塩写真)

阿弥陀岳が見守る初秋の頃の八ヶ岳山麓の田んぼ。
今年の稲は、7月まで寒さと長雨でヒョロヒョロした無残な光景だったけど、
8月の猛暑で回復したようだ。但し、丈は全般的に短い。


蓼科山を望む田畑。
手前の稲も色づいて、奥の左側にはキャベツ、右側にはソバの白い花見える。
土手に見える白いポチポチしているのは案山子。


カラマツの梢の上から覗く夏の名残りの白い入道雲と、
上空の煙の様な黒い雲の対比が面白い。どうやら雨が近いようだ。


大分日が傾いてきた夕方のソバ畑。その脇を犬の散歩をする人が歩いていく。


お盆も過ぎると日が沈むのも大分早くなる。
プレハブの脇に、僅かな残照を受けて咲くコスモスが秋の訪れを告げている。


古いテッサーの描写は戦前のノンコートというものを考慮しても、
戦後に作られた東西ツァイスが作ったf3.5テッサーのイメージとはかけ離れたもので、
画には何とも柔らかい優しみがある。

大御所のパウル・ルドルフ氏は、
f6.3からの大口径化には難色を示したというけど、
f4.5の柔らかさは人像用としては評価されたと思う。

今時はキリキリとした固い描写や、
普通に写るレンズなんか幾らでもあるので、
たまには、こういうレンズで息抜きをするのは悪くない。






最終更新日  2020.10.03 19:30:06
コメント(0) | コメントを書く
2020.09.26
カテゴリ:クルマ
自身もプロ級の腕前でレースに参戦している、
モリゾウこと豊田社長の肝いりでプロジェクトがスタートして、
2020年9月に発売が開始されたトヨタのGRヤリス。

マスタードライバーでもあるモリゾウさんの、
トヨタのスポーツカーを取り戻したい、という想いのもと、
【モータースポーツ用の車両を市販化する】という逆転の発想で
WRCで勝つ為のクルマを作り上げ、それを市販するというやり方で登場したクルマだ。


それは、開発段階から最後まで大嶋和也選手(2019年スーパーGT・GT500クラス王者)と、
石浦宏明選手(スーパーフォーミュラ・2015年/2017年王者)というホンモノのプロレーサーが、
GRヤリスの開発責任者である齋藤尚彦氏をはじめとするGRのスタッフ達と共に、
マンパワーと時間を投入して練り上げてきたクルマでもある。

生産も尋常ではなく、トヨタ全社から熟練工が集結した上で、
愛知県豊田市の元町工場で専用ラインの【GRファクトリー】を立ち上げて、
ベルトコンベアーを使わない方法で、
パーツも一つずつ計測されて管理しながら組み込まれていくという入念さに恐れ入る。

面白いのが、ボディーの前半がヤリスに使われているGA-Bプラットフォームで、
後半がプリウスやカローラに使われているGA-Cプラットフォームというハイブリッドという点。


今時の世界中にある自動車メーカーのトップでも、
ひょっとしたらF・ピエヒ氏以来ではないかという、筋金入りのカーガイである豊田社長。

そのモリゾウさんは、
トヨタでは以前からプロのレーシングドライバーには、
クルマの開発に関わってもらっていたけど、
彼らがメーカーに忖度する事を知っていて、
加えて自ら現場でレースを行う上でとても重要な事は、
本社の社長室には届かない情報を直に拾える事である、と言い切っている。

モリゾウさんのマスタードライバーとしてのホンモノ度を知るには石浦選手の言葉がある。
自身のクルマ運転感覚に関しては、1つめのコーナーで感じた事が、
2つめのコーナーでは分からなくなってしまうような微妙なことを、
モリゾウさんはすぐ指摘する、という証言を聞けば充分だろう。

大嶋選手はGRヤリスに関して、
今までは、開発の最終段階でクルマに乗せてもらうことはあったけど、
その状態だとダメ出しをしても直ることはないので、既にあまり言うべき事が無かった。
所が、今回のクルマは開発の初期段階だったのでドンドン注文を出したと話している。
改めてGRヤリスの成り立ちが良く分かるではないか。

それから、GRカンパニー・プレジデントの佐藤恒治氏の、
モリゾウさんがいつも言われている【もっといいクルマづくり】というのが、
モータースポーツ起点で始まりだして変わっていくんだというのを、
本格的に示していきたい、という言葉からGRヤリスの立ち位置が明確に見えてくる。

自動車メーカーにとって、モータースポーツが企業イメージの起点になる事は事実であり、
実際にヨーロッパのメーカーは、そこら辺の事を良く分かっていて実に上手い。
最近ではアメリカのGMでさえ、SUVにウツツを抜かしている、
ポルシェ真っ青のホンモノのスポーツカーを仕立てて、
ル・マン24hにまで挑戦して実に巧みに企業のイメージを高めている。


GRヤリスのラインナップは以下の通り。
RS:1.5L、直3/CVT/FF 265万円
RC:1.6L、直3ターボ/6速MT/4WD(GR-FOUR) 330万円
RZ:1.6L、直3ターボ/6速MT/4WD(GR-FOUR) 396万円
RZ High Performance:1.6L、直3ターボ/6速MT/4WD(GR-FOUR) 456万円

この手のクルマで、とても重要なリアからの眺めも悪くない。
張り出したオーバーフェンダーとギリギリまで広げられたトレッド、それに加えてGRのバッジ。
これが、追い越された時に斜め後ろから見せる景色だ。


幅の1800mm越えは少々残念だけど、
これは走りを追求した結果であると言われれば言葉も無い。
長さを4m未満に抑えたのはお見事。

とにかく、ルーフにカーボン、ボンネットやドアにアルミを使用して、
4WDのくせに1.2t少々に抑えた重量に驚く。
今時の、並べてデカくて重くて暑苦しいスポーツとは別次元のクルマ。

速さに拘った上で、DCTではなくてMTに拘ったのも嬉しい。

いずれにせよ、専用エンジンと専用シャーシーとボディーを使い、
専門の工場で、専門の職人によって組まれるクルマとしては、
驚く程のバーゲン価格ではないか。

これが、ヨーロッパの車であれば、
恥ずかしげもなく各々倍額のプライスタグをぶら下げていた筈である。

少々惜しいのがボディーカラー。
まあ、走りがウリなんで、と言われればそれまでだけど基本的に白と黒と赤では寂しい。
個人的には、世の中に溢れ返っている白と黒は嫌なので、そうなると選択肢が赤しか無くなる。
後からシルバーなんか出そうだけど、これも好きではないので、
赤ならもう少し暗いダークレッドマイカ”3Q8”なんかどうだろうか。

内装は真っ黒けの機能を優先したコックピット。
今時の勘違いデザイナーがシャシャリ出た人間工学ぶち壊しではなく、
あくまでも、シンプルにクルマを走らせる為の仕事場でしかない。

往年のランチアデルタ・インテグラーレもそうだったし、
手元にある、素の318tiも含めて往年のドイツ車は皆そうだった。


申し訳ないけど、トヨタが本腰を入れて作り上げたGRヤリスを見ていると、
外注されているスープラや86は幾ら出来が良くても霞んでしまう。

ヴィッツの後継車であるヤリスのイメージと名前を残しつつ、全く別物のGRヤリスは、
かつてヨーロッパに存在した、往年のWRCカーで今に至るまで名を残すルノー5ターボや、
ランチアデルタ・インテグラーレを彷彿とさせる。
どうやら、それらと同じ少量生産の特殊なクルマというわけでもないGRヤリス。
こういうクルマが、よもやトヨタから市販されるとは露にも思わなかった。


フロントを見ればコンパクトカーのヤリスでしかないのが実に良い。
サイズは、全長3995mX全幅1805mmX高さ1455mmで、
重さは1130~1280Kg。

ボトムのRSが1130Kg+120PSなので充分速いとは思うけど、
せめてエンジンはノーマルのままではなくて、
GRの看板を背負う以上は、スイフトスポーツ並みの140Psは欲しかった。
4WDの重量増は大体150Kgという所で、普通車であれば一般的な数字だ。


GRヤリスのディメンションを、
1985年にWRC/グループBのホモロゲーション獲得の為に作られて、
後の名作、ランチア・デルタ・インテグラーレの下敷きになった、
2人乗りのミッドシップ4WD/ランチア・デルタS4と比べてみると興味深い事に気付く。

S4のディメンションは、
全長4005mm×全幅1800mm×全高1500mm、ホイールベース2440mmに加えて、
重量は1197Kgというように、殆ど似たようなスペックなのだ。

機能を追求したら、似たようなディメンションになってしまった、という事だろう。
逆に言えば、今時の走りがウリのクルマが、いかに無駄にデカくて重いか良く分かる。


実は、個人的に初期型のトヨタ・ヴィッツが一時手元にあった事がある。
小型車は、初心者向けの安グルマであるというイメージを壊し、
流行りのミニバンやSUVを蹴散らして世界中の小型車に影響を与えたヴィッツ。

その頃から既に、ヴィッツRSターボ Powered by TRDという辛口のホットハッチを仕立てて、
ヴィッツGRMNでモータースポーツに参戦して、トヨタのイメージアップに一役買ってもいた傑作車だ。

そのヴィッツが、先頃海外で使われていたヤリスという名前に統一されたのは少々寂しいけど、
新しいヤリスは好評らしく、再びSUVばかりの世の中を変えていって欲しいなと思う。






最終更新日  2020.10.01 16:21:44
コメント(0) | コメントを書く

全243件 (243件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 25 >


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.