2018/06/27(水)17:34
VW/Type1の思い出(空冷のVWビートル)
クルマの免許を取って初めてのクルマは、空冷のタイプ1/VWビートルの1303Sの中古。
どういうわけか1975年までの3年しか生産されなかったビートルであるけど、
理由は、フロントのカーブドガラスとか、大きなテールランプとか、
02Sから続くポルシェ設計のサスペンションを奢ったのはいいのだけど、
どうやら、1974年に登場したFFの初代ゴルフがヒットの兆しを見せていたからだろう。
既にビートルの時代はとっくに過ぎていた上に、
旧来のビートルがまだあったので、もうそれで十分と判断して、
新しい傑作車のゴルフにコストを集中したのだ。
手元にやって来た1973年式の大体7年落ちだったけど、前のオーナーが好き者でメンテバッチリ。
実は黒い程度極上の左ハンドルが見つかったという事で下取りに出てきたのだ。
ピカピカの紺メタのボディーに、ATSのアルミとリアのレインガード付き。
極め付きが、テールから4本突き出た太いパイプで、
音だけなら実馬力の3倍は出ていそうな排気音で吠えていた。
とにかく手入れ無用のグッドコンディションは嬉しかった。
後にランプをシビエに交換、ついでにシビエのドライビングを一個追加して、
左前方の見切りが悪いのでポジションランプを追加。
ステアリングもナルディのウッドに換えたので、
オリジナルのステアリングは今でも手元にある。
1978年までドイツで生産された空冷ビートルの一台は、
その後6年ほど私の相棒であった。
輸入車を買うと言う事は、単にクルマを買うという事だけではなくて、
その生産国の文化や趣味、更にメーカーの哲学までも、
一緒に手に入れる事であると教えてくれたクルマである。
昔から、空冷フラット4独特のエンジンの音が好きで、
遠くからでも一目で分かる、丸っこいカブトムシと称されたデザインが大好きであった。
ヒトラーとポルシェが手を組んで、最初のビートル(KdF-Wagen)が生産されたのは1938年。
以来、2003年まで生産された超ロングセラー。
アメリカでも人気のクルマで、その独特の宣伝コピーだけを集めた本まであるけど実によかった。
基本的にフルモデルチェンジをしないのだから、いつまでも古くならないのだ。
日本では、空冷なので長い暖気も要らず、シンプルで頑丈なVWビートルは、
緊急時に呼ばれたらすぐに出発できるので、医者のクルマとも言われていたのである。
空冷RRのVWビートル自体は絶えてしまったけど、
ポルシェ356に始まり、今に繋がるRRのポルシェ911は遠い親戚のようなものである。
所で、復活したFFのNEWビートルだけど、あれは何か違うんだな。
ポルシェの哲学と必然のデザインで出来たRRのデザインを、
売らんかなというだけで、Type1のお面をFFに無理やり被せただけなので、
インテリアのダッシュボードの奥行きをみてもそうだけど、とにかくバランスが悪くて、
こう言ってはなんだけど、偉大なType1とは比べ物にもならない出来損ないだ。
手元に1972年のVWのカタログがある。
Type1だけも、オリジナルに近い1200から、
操縦安定性の為に新しくポルシェで設計された新型サスペンションの1302系や、
1200の倍もするカブリオレまで色んな種類が載っている。
この中には、VW初の水冷FFのK70の資料もある。
期待していたType4が全く売れなかったVWが、
ロータリーエンジンのR80がトラブル続出でコケて買収した、
NSUで開発されていた次の新型車に目を付けて自社ブランドで発売したけど、
結局は古くて時代遅れだけど偉大なType1には及ばず売れなかったクルマだ。
K70は、R80のメカもデザインも先進的で今でも古びないのと比べると、
クルマとしてはまっとうで正義だったのだろうけど、なんとも退屈である。
ただ、その後のパサートに始まるVWのFF車に及ぼした影響はあったと思う。
この頃の国産車には、マスキー法を最初にクリアしたホンダの名車、初代シビックがあった。
例のCVCCエンジンのスペックは、1200ccで60Ps。車両価格は54万5千円だった。
VWは、一番安い1200でも70万円近いので、かなり高いクルマである。