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2020.02.15
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カテゴリ:旅行
バックパッカーをしていた頃は、ミレーの青いリュックに色んなものを詰め込んで、
そいつをそのまま機内に持ち込んで、時には前の座席下に押し込んで足を乗せて寝ていた。
これは特に、エコノミーでも前席との間に余裕がある、
アエロフロートのイリューシン62に当たった時にはありがたかった。

その頃は、まだアーミーナイフは勿論、
複数のカメラや小型三脚も簡単に持ち込めたので、
預けた荷物のターンテーブルの前に並ぶことも無く、
さっさと税関へ行けたので、かなり時間の節約ができたのだ。

所が、金属製の道具類は勿論、液体に関する規制が煩くなると、このやり方が出来なくなった。

仕方なく、預けても大丈夫なように鍵付きのハードケースを選んだのだけど、
最初に探し出したのが、ゼロハリバートンのカメラ用トランクで、
行きつけだったカメラ屋さんの閉店セールで、
埃を被って放置されていたのを半額以下で譲って貰ったものだ。
これは旅行用トランクと言う事で、
中に隙間なく詰められたスリット入りのスポンジは全て捨てて使っていた。


ゼロハリバートンの始まりは、
テキサスの油田地帯を行き来していた、アール・P・ハリバートン氏が、
1938年に、頑丈で埃や水から中身を守るためのアルミ製のカバンを、
航空機エンジニアに委託したのが始まりで、
カリフォルニアのバンクーバーにハリバートン・ケース社を設立する事になる。

1940年頃に映画スターのマレーネ・ディートリッヒが、
4つのゼロハリ―バートンと一緒に旅行をしている写真を撮ると、
ハリーウッドとの繋がりが出来て、映画スター御用達となり、
以来300を超える映画やTVの小道具として登場する事になる。

実際にアルミカバンを製造していたズィロルド・カンパニーは、
戦後の1946年になると構造的安全性を上げる為に、
高強度のアルマイト処理と、今では商標登録もされている、
ゼロハリバートンのアイコンとも言うべきダブルリブデザインを発表。
社名をゼロ・コーポレーションへと名前を変えた。

翌年にはヴォーグ紙にイラスト入りで紹介されて、ブランドを確立させていく。

1952年に、ゼロ・コーポレーションはハリバートン・ケース社を傘下に収めて、
1959年にはハリバートン部門をゼロ・ハリバートンに統一する。

ゼロハリバートンのカバンはその後、ハリウッド映画との繋がりは相変わらずのようで、
アポロ計画の月の石の運搬や、米大統領のすぐ傍で核ボタンをお伴させたりして、
今でも昔のイメージそのままの、憧れだった豊かなアメリカを象徴するような存在である。

2006年以降になると、日本のエースが商標・販売権を持っていて、
アメリカのソルトレイクシティ工場に加えて、北海道の赤平にも生産拠点を持つようになった。


最初に入手したゼロハリのカメラトランクは、
その内側がアルミの地肌そのままというのがお気に入りだったけど、
ある日、旅先で見つけたネイティブアメリカンがデザインした、
三日月をモチーフにしたステッカーを貼ってみると、
旅先の夜にトランクを開けると中々の雰囲気である。

全て内側なので、当人しか見られないというのがミソ。
(大きさ= 縦:320 横:520 厚さ:160 <mm>)


ゼロハリのアルミカバンの次は、もう少し大きい容量の物が必要になり、
アルミケースで少し安価で軽量だったリモワのケースを選んだ。
一番最初に買ったのは、1950年から続いているトパーズシリーズの、
大き目で銀色の4輪トロリー(470X710X250)だけど、
数回使っただけで殆ど出番は無くなってしまった。


リモワの歴史は古く、パウル・モルシェック氏とハインリッヒ・ゲルツ氏により、
ケルンのべシェルガッセで1898年に馬具の生産から始まったようで、
サットレライ(=馬具職人」<ゲルツ & モルシェック>として、
後のフィルゼングラーベン18で創業。
1900年以降は、レーレルガッセ30に移転すると、
スーツケースや帽子ケースに加えて自動車用のケースも販売。

1904年にはギルバッハに生産拠点を移し、1908年にはGmbHへ改組。
アーヘナー・シュトラッセにあるエンジンメーカーのカールエバハルトハーゲンから、
ケルン・ユンカースドルフの会社と住宅を取得する。

1930年に、息子のリヒャルト・モルシェック氏が引き継ぐと、
リヒャルト・モルシェック・ヴァーレンツァイヒェンの、
各々頭の2文字からROMOWAとなり、1931年に特許庁へ商標登録。

リヒャルト氏は、堅牢で頑丈なケースを目指して色々な素材を試すうちに、
1937年にユンカースのJU-52などの航空機からジュラルミン製のケースを考案する。

大戦中には、アーヘナー・シュトラッセの工場も破壊されたが、
アルミニウムが残り、以降は金属ケースのみ製造する事になり、
1950年には、いよいよリーレン(=溝)デザインを取り入れた、
今に続く商標登録もされている補強リブ入りのアルミケースのトパーズが登場。

1972年にはリヒャルト氏の息子で19歳のディーター・モルシェック氏が入社。
彼の趣味である写真の為に、1976年には防水防塵のフォトケースが登場。

1981年にディーター氏が会社を引き継いで、
1986年にマティアス ブリュッケン シュトラッセオッセンドルフに移転して、
1990年の後半には、アルミと比べて1/4軽量のポリカーボネート製の軽量ケースを考案。
2000年にはポリカーボネート製の商品を販売。

2008年にリモワは40万個のケースを販売して、
その内の2/3はポリカ―ボネートのサルサシリーズだったが、
2013年になると、アルミ製が45%と伸長してきている。

現在の生産拠点はドイツ以外にも、チェコとカナダでも行われている。


手持ちのリモワで一番出番が多いのは2つで、
2輪キャスターが付いた青いプラスチックの筐体で、
4隅をアルミで補強してあるタイプ(410X620X230)。

この2輪を引っ張りながら、一緒にタスキ掛けでぶら下げているのが、
ピッコロという小型のアルミトランク(220X350X150)。
このサブトランクは、時々一回り小さいゼロハリのミニトランク(230X300X120)も使うけど、
どうしても圧倒的にリモワの方が出番が多い。

ピッコロは外観の割に結構モノが入るので、
レンジファインダーの銀塩カメラを始め、すぐ必要な身の回りのものを入れて機内に持ち込み、
ホテルに着いたら簡易の手提げ金庫という役割も果たしてくれる上に、
場合によっては足置きや椅子になってくれるので、とても重宝している。


ゼロハリバートンとリモワは対照的な存在で、ゼロハリバートンは剛、リモワは柔。

ゼロハリは筐体を指で押してもびくともしないし、凹むと戻すことは困難。
お蔭で、外圧により限界を超えて変形すると開閉が困難になる事があるそうで、
修理はプロに任せるしかない。
手持ちの写真機材トランクも大分角が凹んでしまったりしているけど、
まだ修理が必要な状態にまでなっていない。傷や凹みは勲章みたいなものだ。

リモワの筐体は指で押すとヘナヘナだけど、
必要な部分はステンレスで補強してあったりするのでかなり頑丈。
多少の外圧もしなやかな外板が吸収してしまうらしく、
大分傷が付いたと思っても意外にシャンとしている。
特にポリカ製はリモワの軽量で頑丈であるという、
その思想の進化版であるなと実感できる。

ただ、どちらも人気があるために偽物も多く、割高でもちゃんとした所で買った方が安心。
更に中古となると、ネットの個人売買では真贋もあやふやになってしまうのが怖い。
空港で見掛けるゼロハリ/リモワは少なくないけど、
この中で偽物は一体どの位の割合なのだろうかと考えてしまう。





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最終更新日  2020.02.20 17:21:58
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