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mik.hamaのいい加減にします

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クルマ

2017.08.17
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カテゴリ:クルマ
クルマの免許を取って初めてのクルマは、空冷のタイプ1/VWビートルの1303Sの中古。

どういうわけか1975年までの3年しか生産されなかったビートルであるけど、
理由は、フロントのカーブドガラスとか、大きなテールランプとか、
02Sから続くポルシェ設計のサスペンションを奢ったのはいいのだけど、
どうやら、1974年に登場したFFの初代ゴルフがヒットの兆しを見せていたからだろう。

既にビートルの時代はとっくに過ぎていた上に、
旧来のビートルがまだあったので、もうそれで十分と判断して、
新しい傑作車のゴルフにコストを集中したのだ。

手元にやって来た1973年式の大体7年落ちだったけど、前のオーナーが好き者でメンテバッチリ。
実は黒い程度極上の左ハンドルが見つかったという事で下取りに出てきたのだ。
ピカピカの紺メタのボディーに、ATSのアルミとリアのレインガード付き。
極め付きが、テールから4本突き出た太いパイプで、
音だけなら実馬力の3倍は出ていそうな排気音で吠えていた。

とにかく手入れ無用のグッドコンディションは嬉しかった。
後にランプをシビエに交換、ついでにシビエのドライビングを一個追加して、
左前方の見切りが悪いのでポジションランプを追加。
ステアリングもナルディのウッドに換えたので、
オリジナルのステアリングは今でも手元にある。

1978年までドイツで生産された空冷ビートルの一台は、
その後6年ほど私の相棒であった。

輸入車を買うと言う事は、単にクルマを買うという事だけではなくて、
その生産国の文化や趣味、更にメーカーの哲学までも、
一緒に手に入れる事であると教えてくれたクルマである。

昔から、空冷フラット4独特のエンジンの音が好きで、
遠くからでも一目で分かる、丸っこいカブトムシと称されたデザインが大好きであった。

ヒトラーとポルシェが手を組んで、最初のビートル(KdF-Wagen)が生産されたのは1938年。
以来、2003年まで生産された超ロングセラー。
アメリカでも人気のクルマで、その独特の宣伝コピーだけを集めた本まであるけど実によかった。
基本的にフルモデルチェンジをしないのだから、いつまでも古くならないのだ。

日本では、空冷なので長い暖気も要らず、シンプルで頑丈なVWビートルは、
緊急時に呼ばれたらすぐに出発できるので、医者のクルマとも言われていたのである。

空冷RRのVWビートル自体は絶えてしまったけど、
ポルシェ356に始まり、今に繋がるRRのポルシェ911は遠い親戚のようなものである。

所で、復活したFFのNEWビートルだけど、あれは何か違うんだな。
ポルシェの哲学と必然のデザインで出来たRRのデザインを、
売らんかなというだけで、Type1のお面をFFに無理やり被せただけなので、
インテリアのダッシュボードの奥行きをみてもそうだけど、とにかくバランスが悪くて、
こう言ってはなんだけど、偉大なType1とは比べ物にもならない出来損ないだ。


手元に1972年のVWのカタログがある。
Type1だけも、オリジナルに近い1200から、
操縦安定性の為に新しくポルシェで設計された新型サスペンションの1302系や、
1200の倍もするカブリオレまで色んな種類が載っている。

この中には、VW初の水冷FFのK70の資料もある。
期待していたType4が全く売れなかったVWが、
ロータリーエンジンのR80がトラブル続出でコケて買収した、
NSUで開発されていた次の新型車に目を付けて自社ブランドで発売したけど、
結局は古くて時代遅れだけど偉大なType1には及ばず売れなかったクルマだ。

K70は、R80のメカもデザインも先進的で今でも古びないのと比べると、
クルマとしてはまっとうで正義だったのだろうけど、なんとも退屈である。
ただ、その後のパサートに始まるVWのFF車に及ぼした影響はあったと思う。


この頃の国産車には、マスキー法を最初にクリアしたホンダの名車、初代シビックがあった。
例のCVCCエンジンのスペックは、1200ccで60Ps。車両価格は54万5千円だった。
VWは、一番安い1200でも70万円近いので、かなり高いクルマである。






最終更新日  2018.06.27 17:34:14
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2017.08.08
カテゴリ:クルマ
個人的に世界で最も好きな自動車メーカーは、アルファ・ロメオである。
いつ頃か分からないけど、走っているジュリアクーペを
家の前で見掛けて何ともカッコいいなと思った。

特に、あの変なバッジが印象に残っていて、
停まっているジュリアクーペをじっくりと見たのは、
近所の中古車屋に放置されてサビ付いた奴であった。


その後、いつかはアルファを買おうと思っていたけど、
大人気のジュリアクーペではなくアルフェッタを選んだのは、
へそ曲がりというよりは、箱のセダンに隠れた凝ったメカニズムだ。

やがて、70年代になり、あの自動車メーカーをどん底に陥れたオイルショック前に復活した、
新しい4ドアセダンに付けられたアルフェッタの名前は、別に伊達でも単なるノスタルジーでもなく、
アルファ・ロメオの、戦前から続くプライドと哲学に裏打ちされた理想主義を具現化したクルマであり、
あのグランプリマシン、Tipo159アルフェッタのメカニズムを内包したクルマなのである。

以前、アルファ・ロメオが156の次のクルマに7と8を飛ばして、
あのグランプリマシンにちなんだ159と付けた事があった。
当然期待したのだけど、出てきたのはドンガラがデカいだけで中身は特に何もなく、
新しいジウジアーロのデザインも評価されたとは思えないクルマであった。

この時期のアルファロメオはGTAもそうだけど、
これはレースで活躍したオリジナルとは殆ど繋がりのないクルマであり、
かつての名車のネーミングは、単にクルマを売るためだけのイメージ作りだけに成り下がっていた。


70年代生まれのアルフェッタの概要は以下の通りである。

ツインチョークの2基のウエーバーをエンジンのインテーク側に直付けした4連キャブ。
世界中のDOHCエンジンの教科書になった、オリジナルの軽合金製エンジン。

フロントがダブルウイッシュボーンと、リアが凝ったド・デオン・アクスルのサスペンション。
リアに置かれた、デフとミッションが一体化されたトランスアクスルのレイアウトと、
そのミッション・ケースの直ぐ脇に配置されたインボード・ディスクのリアブレーキ。

これが、そのままTipo159アルフェッタのシャシーレイアウトと同じ構成なのである。
所で、’50年代にレースで活躍していたグランプリマシン、
Tipo159の愛称アルフェッタは、小さなアルファという意味だけど、
イタリア語の名詞で、最後の母音がA(複数だとE)で終わるのは女性名詞である。
アルフェッタを良いなと思った場合は、Blavo!ではなくBlava!が正しい。


トランスアクスルのお蔭で室内は結構広く、ほぼ前後50:50の重量配分と短い鼻先が特徴。
凝ったサスペンションのお蔭でドッシリとした乗り味と、特に全体的に低いギアが特徴。

シートも今時の樹脂製の一体成型とかではなくて、見た目は平板な感じがするけど、
実は凝った造りで、かなり厚みもあって座ると体をサポートしてくれて、
座り心地が良いのは石畳の道対策だと思う。

この時代のクルマはどこのなんであれ、まだ輸出先をそれほど考慮する必要がなく、
あくまでも本国での使用を前提に作られていた点に留意する必要がある。

当時のアルファロメオは、ローマ時代に繋がる狭くて曲がりくねった石畳や、
ステルヴィオ峠のような事故ったらアウトになる山間部でも、常に駆動輪を路面に接地させつつ、
市販車としてはギリギリまでチューンされたといわれる、中速トルクの厚いエンジンをバンバン回し、
全体的に低めのギアの中でもセカンドやサードを多用して、
腕が良ければ上手に走り抜けるようにデザインされたクルマである。


アルフェッタは、CG誌を作り上げた自動車評論家の小林章太郎氏が、
ローバーから乗り換えた時に、もっと早く買うべきだったと言わしめ、
同じく自動車評論家の徳大寺有恒氏が、『間違いだらけのクルマ選び』の印税で購入した、
最初の新車がこれであった事も忘れてはならない。


このクルマは、東京のアルファ専門店へ何回か足を運んで、元はベージュだったのを、
地中海の色と言われる純正の紺色に塗り替えてもらい、ブッシュやシートの座面を変えたのである。

ショップの説明では、このクルマはワンオーナーで、
最近娘さんが免許を取ったので、運転させてみたらダメで下取りに出されたらしい。
落ちぶれたとはいえ、実は元貴族の娘の様な気位の高いクルマである、
あの重いクラッチと弱いシンクロは、免許取り立ての手には負えないと思うし、
冬はエンジンの始動もままならないだろう。

そんなこんなで、初期型の9年落ちで’75年式の、全部で2011台しか作られなかった、
右ハンドルのアルフェッタ・ベルリーナ(セダン)が手元にやって来たのである。
当時のアルファは、それこそ好きモノだけのクルマで、世間の大多数には全く関係のない存在。
従って、アルファ・ロメオに乗っているというと、
「何?それ」とか、たまには、「大変でしょう」と憐れむ返事が殆どだった。


一時期155から147辺りまで、そこらじゅうでアルファを見かけるようになったけど、
あれが間違いで、今のように滅多に行き会わないのが本当のアルファ・ロメオであり、
クルマに興味が無ければ覚える必要もないブランドなのだ。

もうあれから、ミラノ・アレーぜ生まれのアルフェッタも今年で42歳。
既に付き合いも33年になってしまった。
まだ、クルマが人間に近い位置にいた時代のクルマなので、
こちらが気を使ってやらないといけない部分が結構あるけど、
それも含めて、今でも時々一緒に散歩に出掛ける度に良いクルマだなと思う。


フェンダーミラーはドアミラーに変えたけど、特に左側は殆ど役に立たない。
ステアリングはパーソナルのウッドに、
ホイールはロナールのアウトデルタ・モチーフの奴に変えてある。

まだレースで頑張っていた時代なので、エンブレムに月桂冠が添えられている。
4気筒とはいえ、フロントにミッションが無いので、縦置きエンジンの割に鼻先の短さが分かると思う。
排ガス規制前の初期型は、盾のグリルが狭いのが特徴で、
アルファ・ロメオ最後のクロームメッキバンパーのクルマでもある。


斜め後ろからの様子。
ワックスを掛けると分かるけど、結構複雑な面で構成されている。


アルフェッタのリアサスペンションの様子。
テーパーチューブの凝ったド・デオン・アクスルと、
アルミのトランスミッションケースとその後端脇にある、インボード・ディスクが見える。


イタリア語のベルリーナとはセダンの事だけど、
元はサルーンを意味する、ベルリン式の屋根付き馬車の事である。

アルフェッタのミニカー。黄色いのはタクシーだけどポリスカーもあった。


アルフェッタのラリーカーは、こんな風だった。


これが、オラッツィオ・サッタ・プーリガが作り上げて、
ニノ・ファリーナと、ジュアン・マヌアル・ファンジオによるドライブでチャンピオンになった、
グランプリ・マシンのTIPO・159アルフェッタ。


アルフェッタのヘインズのマニュアル。
アルフェッタ・ベルリーナのパーツは、他と互換性のあるもの以外は殆ど国内に無いし高い。
行きつけのクルマ屋さんに持ち込んで、部品が無いとなると、
このマニュアルのページをめくって、海外へ発注する事になる。


ドイツから届いたリアのエンジンマウント。
これがイカれると、削岩機みたいな振動が発生する。


先日、アルフェッタのクラッチが切れなくなった。
トランスアクスルでリアにクラッチがあるアルフェッタの場合、
クラッチはペダルから油圧で制御している。
踏み圧は16Kgだったか、この重さには小林章太郎氏も呆れていた位のクラッチペダルは、
渋滞に巻き込まれると、次の日に何となくダルさが残る程である。

一度、そのクラッチの油圧ホースからのオイル漏れでクラッチが作動しなくなったけど、
ブレーキフルードを足しながらクルマ屋さんに連れて行った事がある。
今回は踏み応えはあるので、どうやらクラッチが張り付いてしまったらしい。

この場合は、ギアを入れたままクラッチを踏んで、
セルを回してクルマを動かしてみるのが第一にやる事。
必ずクルマが動くので前方には何もない事を確認。

今回は一発でクラッチは離れてくれたようだ。
症状によっては長めのクランキングが必要らしい。
お陰で、今日はアルフェッタを散歩に連れ出せた。
大体、アルフェッタは寒い時期の方が快調である。

2017-12/10加筆

サーモスタットがイカれて、水温計が上がらなくなった時、
純正ではなく日産のサーモスタットを入れてみたけど何の問題もないようである。
純正だと4千円位するけど、日産なら1/3位だったと思う。

大体、海外から部品を取り寄せても、
送料を入れても特に小さい部品だとかなり安いというのは、
クルマ屋が足元を見ているとしか思えない。

例えば、鉄でボロボロになる排気系を一新した時の、パーツ一揃いを海外から取り寄せた場合、
その価格は日本国内の半分以下だった。
何せマニホールドから先の、膨張からマフラーまで一式だったので大きく重いのであるけど、
送料がパーツ一式と同じ位掛かったけど、それでもまだ安いのである。

2017-12-17追記

2020-5月 車検取得






最終更新日  2020.05.19 11:07:32
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2017.07.30
カテゴリ:クルマ
マツダの初代キャロルというクルマがある。
最近のOEMの上っ面だけ違う奴ではなくて,
オリジナルの360cc規格時代の小さなクルマだけど、
当時はそこら中で見掛けたスバルのてんとう虫とは違って、
リアガラスがいわゆるクリフカットという奴で、
随分とあか抜けたイメージがあった。

当時の殆どの軽自動車は2ストロークエンジンだったけど、
その特有の音と排気ガスが好きで、
歩いている自分を追い越していく時の後姿が好きだった。

今でも、クルマは斜め後ろからのデザインが重要だと思っているけど、
こういう古い印象から来ているかもしれない。


初めて日産のS30系フェアレディZを見たのは良く分からないけど、
日本でも、まともなスポーツカーが出来たかと感激した覚えがある。

ジャガーが下敷きとはいえ、ロングノーズ・ショートデッキのデザインは、
スポーツカーそのものであり、今見ても色褪せる事がないのは見事。
アメリカが主な市場のせいか、ちょと国産車にはないバタ臭い雰囲気があるのだ。

ただ残念な事だけど、どうも個人的にZは2代目までであり、
それ以降は全く興味が無くなってしまった。


所で、住宅街の中にある自動車屋さんの一角に、その2台が並んでいる場所がある。
ドンガラだけになろうと、サビサビになろうと、この時代のZはやっぱり良いなあと思うし、
キャロルのクリフカットは、今でも個性的だし確かに機能的であるなと納得できる。


今のクルマに足りないものは、一体何だろうかと考えさせられる2台である。
21世紀に入り新しいクルマを見ても、
頭金ぐらい貯めようかという気が起きないのはどうしたものか。
カネが唸るほどあったら、こういうのをレストアして乗りたいとは思うけど。






最終更新日  2019.02.02 23:12:47
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