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時計

2020.10.10
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カテゴリ:時計
小鳥のマークで有名なフランスJAZの時計。

JAZは、1919年1月28日に、オメガの創立者ルイ・ブラン氏の子孫である、
ルイ・オーギュスト・ブラン氏と、フランス人エンジニアのイヴァン・べネル氏によりパリで創立。

名称は、Compagnie Industrielle de Mécanique Horlogère(C.I.M.H.)というもので、
組織としてはSociété Anonyme (S.A.)なので、機械時計工業株式会社という所か。
当初は60万フランの資本金も直ぐに180万フランに増資されて、
本社はマルゼルブ大通り18に置かれた。
更に、パリ郊外のピュトーに2500平米の工場が新設されて、
従業員は50人という規模であった。

1921年になるとオメガから派遣された技術者と共に、
最初の目覚まし時計”CLASSIC”が作られた。
それはアラームストップボタンが上面に配された画期的なもので、
およそ一万個を生産される事になった。
以来、JAZの時計は最後に”IC”で終わる名前が付けられるようになる。

時計のヒットにより、約10人ほどのエージェントによる販売網ディーラーが作られ、
1922年には、目覚まし時計=JAZという同義語になるほど注文が殺到。
1924年にはヨーロッパやアジアにも輸出を開始して、
ピュトー工場の従業員は100人を数えるまでになり、
やがて1925年には50万個、1929年には786万+7個の時計が販売された。

その後。1934年にはゼンマイを巻く必要が24時間以内にある場合、
インジケーターで表示するワインディングインジケーターを搭載し、
1935年には従来の30時間から8日巻きのムーブメントを開発。

第二次大戦中は、真鍮の使用を制限されて亜鉛で代用。
やがてベークライトと陶器の使用も禁止されると、振り子時計と壁掛け時計の生産を中止。
ドイツ占領下の1941年には、JAZ音楽が親米的という事から、
検閲回避の為にJAZの上に、JAZと関連性を持たせるために、
渡り鳥のキレンジャク【フランス語で(Jaseur de Bohème)/ジャズール・ド・ボエム】を配して、
例の有名なトレードマークが誕生する事になる。

戦後の1946年に時計の生産を再開すると、650人の従業員を雇い、
1947年には資本金は4680万フランとなり、
会社はアルフレート・マイトリピエール氏が議長を務め、
ルイ・ギュスターブ・ブラン氏が副議長を務めていたが11月に死去してしまう。

1948年には、C.I.M.HはJAZ SAとなり、
1951年には世界61か国へ輸出されていた。
同年、ラグジュアリーモデル専門の時計製造の為に、
コルマールとアルザスに工場があったSociété Alsacienne dePrécision(S.A.P.)に参入。
その時計には(Jaseur de Bohème)鳥のシンボルと、
Sapic、Colmic、Alsicなどの常に「ic」の名前が付けられた。

1954年には、フランスで最も古い時計メーカーだったジャピーを合併。
1955年には、Jaz、Japy、Caratの3つのブランドがGénérale Horlogèreのもとで提携。
1957年には2000万台の時計が生産されて、市場の1/3を独占。
1959年になると、時計は電池を使用したものが登場し、3つの電気式ムーブメントを発表。

1961年にはピュトー工場は解体されて、生産はアルザスのヴィンツェンハイムに集約。
1962年には、2500万個目の時計を生産し、P・シャルボナ氏により開発された、
トランジスター式のDRICをはじめとする、JAZISTORシリーズを発表。
1967年には、ロゴマークの変更が行われて、小鳥の尻尾が上に上がったものになった。

1971年の従業員数は850人。その後LEDや液晶表示のクオーツ時計も生産。
1975年にS.A.Pを合併し、売り上げは1億5千万フランに達し、
500万以上のモデルが生産されたが、工場で火災発生。
1976年は、電子目覚ましに1000万フランを投資。
JAZを含めた、Finhor、Cupillared Riemeの各社が、
1,700人を雇用する新会社Framelecを設立する。

所が、1979年になると有力な株主でJAZを支配していた、
アンパン・シュネーデル財閥がマトラに株を売却する。
年間の生産数は60万に低下し、従業員も500名に減少。
1981年、日本の服部とマトラの話し合いによりクオーツ時計の生産の一部を中止。
1983年から、ヴィンツェンハイムの工場は縮小されて、ブザンソンに移管しつつ、
1990年には閉鎖された。これに先立ち、ナンテールのサイトは1984年に閉鎖。

1986年、マトラは保有していた時計部門をセイコーに売却。
1987年には、日本とフランスの時計ブランドを管理統合する為の、
Compagnie Générale Horlogèreを設立。
JAZブランドの時計は日本製ムーブメントを使いモルト―工場で生産。

1989年にJAZは70周年を迎え、
ネオアールデコの時計を企画するが叶わず、全ての時計生産を完了した。

それでも2016年になると、DATA ACESS社により復活を遂げて、
パリの15区にあるワークショップにより、
1970年代のモデルとクラッシックシリーズを復刻している。


家にある、高さ8cm弱の真鍮で出来た2つのJAZ製目覚まし時計。
正面が扉になっていて、表面の画は細い線を張り付けて画を構成した、
フランスでエマーユと呼ばれる手間の掛る七宝だと思う。

左の時計には熱帯魚がモチーフで、
右の時計には日本の漆芸で見られる蒔絵のような画が描かれている。
どちらも和室にも合うと思うので、日本向けに作られた製品かも知れない。

正面の扉は、左右にヌルヌルとした絶妙な感触で回転して本体に格納される。
ちゃんと開閉の完了時には緩いストッパーが効いて簡単に動かないようになっている。


小ぶりな割に重い時計。扉が開くと文字盤が現れる。
右側の時計は、外側だけではなくて文字盤まで日本画風に仕立てられている。

トレードマークのキレンジャクの尻尾が下がっているので、1966年以前の時計。
アップライトの時間表示をはじめ、各部のパーツを見ても全体的に造りが良い。


背面にも、結構複雑な形状で七宝の片開きの扉が付いている。


これを開けるとムーブメントの操作が可能。
黒い熱帯魚の方は11石の8日巻きで、白いジャポニズムの方は7石のムーブメント。
刻まれている文字が黒い方は彫刻だけど、白い方は打刻だろう。
全体的に、かなり高級な時計で、いわゆるラグジュアリーシリーズと呼ばれるものだろうか。
そうなると、1951~1966年の間に作られたと言う事になる。


2つとも、天板の化粧板らしきものが無い。
元から無いというのではなく、どうやら剥落して紛失したらしい、
というのも接着剤の痕跡らしきものが残っている。


黒い方は、オーバーホール上がりで快調。白い方も近々オーバーホールの予定。
細かい七宝などの造り込みを見ても、元は高貴なお方のトラベルクロックだったのかもしれない。






最終更新日  2020.10.10 19:30:07
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2020.09.12
カテゴリ:時計
アラーム付きの機械式時計が好きで幾つか持っている。

セットした時間に音が鳴る機能の主な使い道は、旅先での目覚ましなのだけど、
実の所、セットしてもアラーム機構が滅多に作動しないのは、
どういう訳か、旅先では起きたい時間の前に勝手に目が覚めてしまうからだ。

実際には宝の持ち腐れではあるけど、
手元にあるだけで時報をいつでもセットできるという安心感を得られるのは、
やはりアラーム時計の最大の特徴だと思う。

今時はスマホでアラームという手もあるけど、
あれは電源をオンしているだけでも電池の消耗が早いので、
個人的に殆ど用事のない夜は電源をオフにしているので使えない。

以前は、大事な仕事の目覚まし用の機械式アラームに加えて、
用心して旅先で購入したブラウンの電池式トラベルクロックが、
時間差で作動するようにしていたけど、
かつて一度もそこまで行きつく事がなかったので、
もう仕舞い込んだままになっている。


世界初のアラームウォッチは1947年登場のヴァルカンのクリケットで、
国産では1958年から10年ほど生産された、シチズンの4針/フォーハンドが最初だった。

一方、精工舎のアラームウォッチには、
1966年11月に発売された4006-7000という、
通称ビジネスベルと呼ばれたセイコーのベルマチックがある。
世界初の回転ローターによる自動巻きアラームウォッチで、
アラーム駆動には別の手巻きスプリングを使用する腕時計だ。

当初は27石だったのが1967年半ばになると、
セイコーの最大の稼ぎ頭だったアメリカでは、
使われている石の数が17を超えると関税が急激に高くなると言う事で、
北米向けの製品に、まず21石の7019と7029という製品が作られる事になる。

1968年には、日付のみの4005Aというムーブメントが作られ1年間だけ生産され、
1969年になると、更に石の数を減らしてコストダウンを図った、
17石の4006Aムーブメントが作られて、以降はこれが標準となっていく。

17石になり関税の問題も解決して、
本格的にアメリカで売り出した頃と思われるパンフレット。


ベルマチックは、クオーツが登場した後も人気があったらしくロングセラーとなり、
最後は1978年に生産が中止された。
稀に1979年のシリアルを持つケースを見掛ける場合があるけど、
これは補修用のケースが後に出回ったものらしい。


手元にあるのは諏訪セイコー舎製で、曜日表示の付いたCal.4006Aの27石仕様。
ナンバーで4006の後にある7011と7012は日本国内専用モデルだ。

日本国内モデルらしく、カレンダー表記は英語以外に日本語が可能で、
土曜日は青、日曜日は赤という具合に、ユーザーに細かい配慮をされているのが良く分かる。

発売当時の価格は17,500円というもので、
その頃の大卒初任給は30,600円だったので、今の感覚だと12万円位か。
価格の割に人気があったらしく、その後1970年代の終わり頃まで生産される事になる。


ベルマチックの裏側。最初はイルカの画が刻印されていたらしい。


今でも、かなりの人気がある時計の一つで、海外のコレクターも注目しているらしい。
そのせいか、ネットで中古の時計屋さんを探っても売り切れている所が殆どである。
復刻したら売れると思うのだけど、どうだろうか。






最終更新日  2020.09.12 19:30:06
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2020.03.07
カテゴリ:時計
1887年にスイスのラショードフォンで、
1865年生まれのジョージ・エミール・エベラール氏により創業したエベラール。
1849年にはタイムセッティング機構を組み込んだ時計を開発。
1905年には時分をデジタル表示をする腕時計を発表。

1919年には息子のジョルジュ氏とモーリス氏に事業は受け継がれて、
その年に腕時計のクロノグラフを発表している。
1930年にはパーペチュアル・クロノグラフを開発。

その後、モーリス氏はイタリアの恋人に会いに行き、
ナポリでシャツを買い込んだのがきっかけで、
イタリア王立海軍の将校向けのクロノグラフを開発する事になった。

やがて1935年には、リセット無しの2プッシュボタンのクロノグラフを発表。
1938年には時間表示を装備したクロノグラフ、翌年にはスプリットセコンドを開発。
クロノグラフに関して常に先端を行くエベラールは、イタリア将校の評価も高かったようで、
同国での高級時計としての地位を確立していく事になる。

1940年には、今でも名が残るエクストラフォルトのクロノグラフがデビュー。

1942年になると、1920年に続く2回目のローマー>東京飛行計画にあたり、
エベラールは、システマ マーニというスプリットセコンドのクロノグラフを作り、
サヴォイア・マルケッティのSM75輸送機をベースにしたSM75RTと共に、
東京を目指して空を飛ぶ事となる。

戦後の1950年には、
エクストラフォルトのクロノグラフで復活してファンに健在ぶりをアピール。

1960年代後半に、モーリス氏の娘と義理の息子が交通事故で亡くなってしまう。
その後、ついに1969年には財政難に陥り、
イタリアのチェルメナーテ出身で30歳のパルミロ・モンティ氏に買収された。

70年代にはクオーツにも挑戦していたけど、
やがて1982年になるとクラシカルな機械式クロノグラフへの回帰を果たし、
1986年にはイタリア空軍のフレッチェ・トリコローリ向けのクロノマスターを発表。
1992年にはイタリアレース界の英雄、タツィオ・ヌボラーリ氏の名前を冠した時計を発表。


とにかくエベラールは、イタリアとの結びつきがとても大きいというのがミソで、
デザインも含めてイタリアの哲学や趣味が色濃く反映されていて独特の雰囲気がある。
実際に彼の地では、ロレックスと同格に扱われているらしい。

現在のエベラールはパルミロ氏の娘である、
バーバラCEOによって受け継がれているという事実も、
エベラールにとっては重要なポイントだと思う。


手元にある、ワインカラーのエクストラフォルト。
まともな腕時計で文字盤が白と黒以外となると余り選択肢がないのだけど、
とにかく、理詰めで機能丸出しというドイツ語圏の時計とは対極にある時計の一つ。

パッと見は遊びを全面にちらつかせているけど、
実際には何とも巧妙に機能を紛れ込ませた、
まごう事なきイタリアのデザインだ。


文字盤が単純でフラットなワインカラーではなく、ギョウシェ彫が施されていて芸が細かい。


エクストラフォルトの裏側。裏蓋は6本の小ネジにより締結されている。


独特の色気と華やかさがあるエベラールの時計を見ていると、
ロレックスなど何とも野暮で権威主義が鼻について田舎臭く見える。

イタリア語で時計(=Orologio )は男性名詞だけど、
女性名詞のくせに、むさくるしいドイツ語圏の時計(=die Uhr)からみると、
この時計が持っている品と可愛らしさは、まるで身分の高いイタリア貴族のご令嬢ではないか。
恐らく、バーバラCEOがそういう方なのであろう。






最終更新日  2020.03.10 09:39:46
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2020.02.08
カテゴリ:時計
香港は、主にまだ中国に返還される前に何度も訪れたけど、
華やかで入るのに勇気が必要なブティックの超高級品から、
道路わきで広東語しか通じない、直にビニールシートの上に置かれた低俗コピー品まで、
ありとあらゆるものが、それ程長くない距離のネイザンロードに沿ってひしめいていた。

時計も色々あり、日本ブランドの時計もそれなりに地位はあった。
中には、Automatic 21 Jwelsの刻印があるのに、
針の動きは明らかにクオーツというパチモンだったりするけど、
それを見てもセイコーやシチズンはそれなりに人気があったのだろう。


ネイザンロードの割と上級な繁華街の尖沙咀(チムサーチョイ)で、
少し外れた場所に良く顔を出していた時計屋さんがあった。
お目当ては、数千円で買えた国産ブランドの機械式時計である。

そこはパチモンお断りの時計屋さんで、元から日本のブランドが主力らしく、
クオーツやデジタルに混ざって、日本では見掛けない海外向けに作られた、
機械式国産ブランドの時計が豊富で見ているだけで楽しかった。

実は機械式時計に関して、以前にドイツのノモスに触発されて、
自分で機械式時計を形にして見たいなと思い、
地元が諏訪精工舎のお膝元である以上、まずセイコーさんへ打診したところ、
OEMの場合は、最小ロットが1000個という数字と、
お目当ての自動巻きムーブメントは生産中止で、早々にとん挫した時計の事がある。

この時計屋さんに何回か通っている内に、ふと店主に半分冗談で、
「自分もこういう機械式の時計を作りたいけど、特にムーブメントが難しいんだよね」と言うと、
「それなら、すぐそこのペーパースタンドで時計雑誌を買ったらいい、
そこにはあらゆる香港の時計に関するパーツメーカーが出ているから、
何か参考になるんじゃないか」と言うのである。

帰国してから、まあダメだろうなと思いつつ、
試しにその雑誌に出ている香港ETAに、
ムーブメントの入手をFAXに書いて打診してみた。

何も期待しないでいたら、やがて日本のスウォッチグループから連絡が来て、
銀座のスウォッチ・グループ・ジャパンへ赴き、打ち合わせをする事となった。

対応してくれた担当部長さんも、懇切丁寧にムーブメントの説明や入手法に関して教えて頂き、
やがてスイスからカスタマイズされたETA社の特注ムーブメントが到着したのは、
まだETAがスウォッチグループ以外の系列には出荷を手控えて、
行き先を厳密に管理して投機目的の売買を禁止する前だった。


オリジナルの時計は、
国内で時計を作っている地元の元セイコーマンをツテに、
ムーブメント以外は全て国産で賄う事になるけど、
今時珍しい金型からケース部品を作るやり方に拘って、
何とか完成するすることは出来た。

ETAのムーブメントに関しては、直ぐに日本と香港のブランチは、
ムーブメントの投機的な売買を含めた管理強化で廃止。
それでも、スイスのETA本社と直接の付き合いは継続して、
以降、何の問題も無かったのはありがたかった。

ただ、時計業界は最小ロットが1000という数字が基本。
ETAからのムーブメントは、割高な1ロット100個の最小で分けて貰う状況の上に、
時計一つを作るにしても、素材でも時計に余り使われたことのない物に拘ったり、
どこにもない時計を目指したので、生産数は1機種で数十本が限界。
お蔭さまで売れ残りは余り無かったけど、とにかく手間暇が掛かる割に商売としてはスカスカだった。

やがて最初にパーツや時計組み立てを頼んだ所は、思う様なモノにならなくなってしまい、
次に探し出した東京の隅田川沿いの工房は、銀座和光にもクロックを納めている位で良かったのだけど、
いつの間にか廃業してしまい高価な金型共々に音沙汰が無くなってしまった。
もうこうなると気力も無くなって、ついに時計からはアシを洗う事になる。


大好きな時計をプロデュースする夢を叶えてくれた香港の時計屋さんで購入した、
国産ブランドの時計は今でも大事にしまってある。
実は、いつか店主に作った時計を渡そうと思っていたのだけど、
返還後から最近の香港には、わざわざ行く気力も機会も無くなってしまった。

値段の割にきちんと真面目に作られているのは流石の国産ブランドと言うべきか。
生産は全て香港だと思うけど、そこら辺のパチンモンとはレベルが違う。
どれも実用品としては申し分ない時計だ。

香港で購入したシチズンの機械式時計。真面目に造り込まれていて安っぽい感じは無い。
中には、カレンダー表記にアラビア文字があったりして、
電池の交換が難しい地域には人気があったらしい。


同じく香港で購入したセイコーの機械式時計。こっちも真面目に造り込まれていて安っぽさはない。
定番のセイコー5以外の余り見掛けない時計を選んでみた。


高級時計といえば機械式の昨今、高い時計は投機的な意味合いもあるらしい。

こっちは、そういう生臭い話とは全く無縁の、誰でも新品が数千円で購入できた実用品ではあるけど、
別に数十万円クラスのスイス製時計と比べたところで、性能的に何の違いもないんだよ。






最終更新日  2020.02.08 19:30:06
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2020.01.25
カテゴリ:時計
目覚まし時計のように、設定した時刻になると、
音と振動で知らせてくれる腕時計で有名クリケット。
元はヴァルカンという時計メーカーが1947年に発表したものが最初だった。

このヴァルカンというブランドは、
フランスから、スイスのラ・ショー・ド・フォンへ移住してきた一家の子供だった、
モーリス・ディティシャイム氏により1858年頃からスタートしている。

1889年のパリ万博で、銅賞を獲得するまで評価された時計だけど、
1891年には2代目のエルネスト・アルベール氏に会社を譲渡。

後に看板商品となるクリケットの開発に着手したのは、
3代目のロベール・ディティシャイム氏により1942年から始まった。
物理学者のポール・ランジュヴァン氏の有名な助言、
コウロギの様な小さな生き物が30m先でも聞こえる音が出せる以上、
複雑な機構な時計でも可能であるという事をヒントに、
苦労しながら完成させることが出来たのである。

世界に先駆けてニューヨークで発表されたクリケットは、
センセーションを巻き起こし、当時のトルーマン大統領を始め、
歴代の大統領に愛用される事になっていく事になる。

1950年代になると、クリケットを世界トップレベルのアルピニストへの提供を行い、
次には潜水ウォッチの開発が始まる事になり、
当時の潜水記録保持者だったハンス・ケラー教授と共同で、
1961年にはクリケット・ノーティカルが完成する。

所が、ヴァルカンは単独での維持が困難に陥り、3社を加えたMSRという企業連合を結成。
その後、1社を加えた後に1986年には、当初から実効支配していた、
レビュートーメンのブランドに統一されてヴァルカンは休止する。

その後、2002年になりベルナール・フレウリー氏により、
ヴァルカンのブランドは復活する事になる。


手元にあるクリケット・ノーティカルは、独特な文字盤に惹かれて購入したもの。
最近では新バージョンも出ているけど、最初に見た時のインパクトは忘れられない。

当然、この文字盤には何か機能がある筈で、取説にも使い方が書かれていた筈だけど、
潜水には何の関りも無いので、何の為で何に使うものか全く分からない。
元々、防水性と時報機能が目的の時計だったので仕方ない。


3重構造のケースの裏側には音を通すサウンドホールが開いている。
コウロギ時計の時報は、特に目覚ましに有効で必ず目が覚める。
ヴァルカンは全ての部品を自社生産する希少なマニュファクトールだ。






最終更新日  2020.01.25 19:30:06
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2019.12.07
カテゴリ:時計
ドイツにジンという時計がある。
正式にはSinn Spezialuhren GmbH
<ジン シュペツィアルウーレン ゲーエムベーハー>(ジン 特殊時計 有限会社)
という社名で、1961年にパイロットでフライト・インストラクターの、
ヘルムート・ジン氏によって設立された。

当初は航空クロノグラフを始め、
産業用やレーシングとかダイバーウォッチを開発し、
それを中間業者を省いて直接顧客に売るスタイルをとっていた。
元がパイロットと言う事で、特に航空クロノグラフは有名だったらしい。

やがて、同社は1994年に、
1993年から同社で働き始めIWCと関りもあったローター・シュミット氏に売却され、
1996年にスイスの時計メーカーGuinand und gründeteを買収。
1998年にフランクフルト・アム・マインに新会社を設立して、
ジュビラー、クロノスポート、ギナンのブランドの時計を直販で販売。
2006年にはシュミット氏は一線から退き顧問となっていて、
創業者のジン氏は2018年に101歳で亡くなった。


個人的にドイツの時計は1997年に発売された、
このジン503.EZM1という時計が初めてだったけど、
その成り立ちと内容に加えて、デザインが理詰めで実用主義バリバリという、
往年のドイツの機械に対するイメージそのままという機械濃度がとても濃いのが良い。

このEZM1という時計は、ドイツの関税に関わり、
麻薬事件などでは、時に国境を越えた監視体制をとり、
関税局職員が検挙や摘発を行う際に、彼らを危険な状況から守るための支援を行う、
ZUZ:Zentrale Unterstuetzungsgruppe Zoll の為に開発された極めて特殊な時計である。
<(ツェントラーレ・ウンターシュトゥツングスグルッペ・ツォル)/関税局中央支援グループ>

因みに、ZUZ(ツェット・ウー・ツェット)のメンバーは、
ドイツ連邦警察の対テロ特殊部隊という、
GSG9(ゲー・エス・ゲー・ノイン)から選別された20名で構成されている。

その彼らに支給されているEZM-1のEZMとは、
Einsatzzeitmesser/(アインザッツツァイトメッサー)の略で、
最初のアインザッツはオーケストラにおける、
指揮棒が振り下ろされた最初の一音を表す事もある、突撃というような意味で、
次のツァイトは時間、メッサ―はナイフではなくて計測のMessungからきたもので、
トータルの意味を日本語にすると突撃時間計測器とでも言うべきものだ。

EZMは、ジンの時計でも特別なものに付けられる称号で、
ZUZ向けのEZM-1の場合、全ての作戦行動は数分内に完了すると言う事で、
レマニアの5100という、多針のクロノグラフ・ムーブメントを使いながら、
中心軸の時・分針と同軸にある60秒計と60分計のクロノグラフ針以外の、
本来は小窓で表示される、スモールセコンド、12時間計、24時間計を外してあるのが特徴。

濃いグレーの艶消し文字盤は、
計時に関わる表示以外の、全ての文字が暗赤色で目立たないようにしてあり、
リューズとクロノグラフ・ボタンは、故障を防ぐ為と邪魔にならないように左側に配置。
ケースは純チタンを使い、サファイアガラスの風防とねじ込みスクリューで300m防水を実現。
使われているオイルもジンが開発したオリジナルで、内部をアルゴンガスで満たした上に、
内部の水分を除去する為のドライカプセルを仕込んである。

手元にあるEZM-1は一般向けで、ZUZ仕様はトリチウムの3Hの所にZUZのマークが入る。
オリジナルのラバーベルトはボロになったので、NATOのナイロンベルトに交換。
チタンの外殻を持つこの時計は、とても軽量なのも特徴の一つだ。


斜めから見ると、2本のクロノグラフ針が良く分かる。
写真の分針が指している位置にある、ケース側面にある水色の丸い物がドライカプセル。
ケースがチタンなので軽くて、風防からベゼルからカン足までRと面取りで滑らかなのが分かる。


最近になり、20周年記念と言う事で、生産中止のレマニア5100に変わり、
バルジュー7750ベースのSZ01ムーブを使用したEZM1.1が500本限定で発売。
名作の時計デザインは、20年以上経った今でも古びる事は無い。






最終更新日  2019.12.17 10:51:55
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2019.10.19
カテゴリ:時計
精工舎初の自動巻き腕時計は、
1955年にスイスのASのムーブメントを下敷きにして第二精工舎から発表された。
但し、大卒公務員の初任給が8700円程であった時代に、
16、000円と高価であったために余り売れなかったらしい。

そこで、諏訪精工舎によりコストダウンが図られる事になった。
ローターに国産初のベアリングを入れて、今に続く独自のマジックレバー機構を開発して、
精工舎初のオリジナルの自動巻き時計という、ジャイロマーベルが発売されたのが1959年。

価格は6、400円というもので、当時の大卒公務員の初任給は10、200円なので、
今の感覚だと12万円というところだろうか。
まだ高いけど、腕時計は高級品だった時代だったので結構売れたらしい。

シンプルで端正なデザインの時計。文字盤上部の独楽マークが良い味を出している。


戦後になって1956年に諏訪精工舎より、
セイコーブランドの実用機として発表されたマーベル。

このマーベルを改良して、1959年に登場したのがクラウンで、
この時計は、その後グランドセイコーを始めとする、
様々な時計のベースとなって発展していくマザーウォッチである。

家にあるのは、結構珍しいクラウンのポケットウォッチ。
スネークチェーンが良い感じでケースもオリジナルだと思う。

ただ、御覧のように吊輪の隙間に余裕があまりないので、
チェーンを取り付けると、リューズ操作が実にやりにくい。






最終更新日  2019.10.19 19:30:06
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2019.10.05
カテゴリ:時計
イタリアのクルマやバイクの計器盤ではお馴染みの、
ヴェリアやイタリア・イエーガーが作った電磁テンプの時計がある。

ヴェリアの電磁テンプの目覚まし時計は’70年代と思しき製品で,
20年以上前にデッドストックで入手したものだ。
色も、他にはオレンジと白があったような気がする。

単二電池1本を装填して、
暫くするとコチコチと機械式時計と同じ音がして動き始める。

どうやら、何でも出てくるe-Bayを見ても、この時計は全然見当たらず、
ヴェリアの電磁テンプのクロックは、僅かな時間で消えてしまったらしい。


家にある’75年式のアルフェッタにも、
イエーガー製のインパネの中に同じ機構の電磁テンプクロックが付いていて、
大概は殆ど止まっているのだけど、時々思い出したようにコチコチと動き出す所を見ると、
バラして整備すると復活するかもしれない。
これは部品取りから外したメーターパネル。


アルフェッタのインパネに装備されている、
イエーガー・クロックの背面はこんな感じ。
バラして整備をしてから12Vを繋ぐと使えると思う。


どうも、イタリアン・電磁テンプクロックに関しては、
これに関する資料が全然見つからないので、
ついでに国産の電磁テンプの腕時計を探ってみる。

クオーツが一般的になる前に、
日本でも電池で動く時計が幾つか登場していた。

以前取り上げた音叉時計がそれで、
もう一つがテンプをエレキで制御する電磁テンプ式である。

1957年にハミルトンが基本技術を作り上げ、提携先をリコーに決定した後に、
1962年に日本で合弁のハミルトン・リコーが設立されたのだけど、たった2年で撤退。

シチズンでも電磁テンプは、1966年にコスモトロンの名前で発表している。
1972年頃になると、当時の大卒初任給は47,200円の時代に、
コスモトロンの価格は23、000円だった。
この年には10振動のクロノメーター級の精度を持つ、
コスモトロン・スペシャルが発表されたけど、
1975年にはシチズンの電磁テンプ時計は終焉を迎える事になる。

諏訪精工舎からも1968年に電磁テンプの31ELを発表。
これの当時の値段が43.000円という事だけど、
大卒初任給が27.600円だったので相当高い時計だった。

その後、諏訪精工舎ではクオーツのアストロンが1969年に発表されて、
1970年に2番目の無接点電磁テンプ時計のEL-370が発売されたけど、
これが諏訪精工舎における最後の電磁テンプ時計になった。

これ以降のセイコーブランドの電磁テンプ時計は、
第二精工舎に受け継がれて、EL-330から、
最後のエルニクスという8振動に進化するけど、
クオーツが軌道に乗って来た頃の1973年には消滅していった。






最終更新日  2019.10.05 20:13:26
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2019.08.10
カテゴリ:時計
手元には、文字盤が50mm程の、
シチズンと旧ソ連製のスラバの可愛らしい目覚まし時計がある。

リビングに入る引き戸を開けた正面にある、古い本棚の上に置いてあって、
来客があるとネジを巻き上げてオブジェから時計へと変化する。

普通のサイズの目覚まし時計に比べて、
余り見掛けないけどコレクションするには場所も取らないので良いと思う。


シチズンは、公園や街路にあるような、
背の高い時計をそのまま縮小したようなデザイン。

これは見掛ける事が殆どないけど、時計本体以外の部分でも、
小さなパーツを幾つも使った凝った造りの時計だ。
中身はオーバーホールしたので動作は快調。



旧ソ連のスラバの時計。
栄光を意味する「Слава」/スラバの創業は結構古くて1924年。
第二モスクワ時計工場が本拠地で、民生用の時計を主に生産してきた。

腕時計では、フランスのLIP T-15というムーブメントを、
ライセンス生産したのが始まりらしく、
同系統で第一モスクワ工場のポレオートのムーブメントを、
LIPのブランドで供給した事もあった。

戦後の1950年代後半になると、まず女性用が作られ、
その後はクオーツも手掛けて、腕時計以外にもポケットウォッチや、
目覚まし時計とか壁掛け時計を作るようになっていった。

ライプツィヒ国際見本市で1964年には音叉時計で、
1975年にも金賞を受賞している。

2005年には、スラバの工場と商標はGlovex Bankに買収され、
モスクワ市の財産になり、2006年からはスラヴ・トレーディング・カンパニーにより、
モスクワ第二工場の機械式と日本のミヨタのクオーツムーブメントを使い、
今でも、モスクワ工場とペンザのザリヤ工場で生産されている。

似たようなブランドに、
Слава Созвездие(英訳するとGlory Constellation)というのがあるけど、
これはロシア人により、中国製ムーブメントを使った、可能な限りで安く作られた紛い物である。



文字盤の数字がギリシャ文字のようだけど独特で見慣れないものだ。

これもオーバーホール上がりなので快調だけど、
実は入手時に天芯が曲がっていて、時計屋さんが元に戻そうとしたら折れてしまったらしい。
焼きの入った鉄芯が曲がる筈がないので、元から曲がっていたのではないか。


シチズンとスラバの裏側。
スラバはネジの巻き上げが独特。ラチェットが無くて無音で巻き上げる。


スラバの内部構造は独特なもので、
目覚まし時計というよりは懐中時計の雰囲気がある。
テンプの上がアラーム機構で独立した構造になっている。
テンプ受けは2石で、全体にガッチリとした造りだ。






最終更新日  2019.08.10 19:30:07
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2019.06.22
カテゴリ:時計
1882年、ヨハン・A・ハンハルト氏がスイスにハンハルト社を設立し、
1902年には職人の不足からドイツ南部のフィリンゲン・シュヴェニンゲンへ移転したハンハルト。

1924年には息子のヴィルヘルム・ハンハルト氏により、世界初の手ごろなストップウォッチを開発。
これが成功して、1926年には懐中時計と腕時計の生産拡大。

1932年にヨハン・ハンハルトは亡くなり、
1938年に最初のクロノグラフ用のキャリパー40を発表。
そのレプリカは、現在ではパイオニアMk1という名前で復刻されている。

1939年に発売されたワンプッシュのEindrücker Chronographは、
海軍と特に空軍で重宝されて、チュチマと同じくらいの人気があった。

1940年には2つの押しボタンが付いた、
Zweidrückerモデルキャリバー41が作られて、
パイロットウォッチが主力商品となっていくが、
それに加えて生産された船舶用砲兵用のポケットクロノグラフと共に、
8種類のストップも作られて、その一つは1/100秒まで計測が可能であった。

戦後は暫く生産は途絶えてしまったけど、
スイスにいたヴィリー・ハンハルト氏が、
1948年に新しく設立されたバーデン・ヴュルテンベルクに戻ると、
パイロットウォッチの生産を再開。
出来たばかりの新生ドイツ空軍の唯一のサプライヤーとなる。

1950年代にはストップウォッチの主要メーカーになり、
連邦海軍や西ヨーロッパの空軍にも販路が拡大。
その後、パイロットウォッチと、
ドイツ連邦軍と医者の為のクロノグラフ製造は1962年まで続いた。

1970年代のクオーツの登場で、
腕時計と目覚まし時計に進出するも日本製時計の席巻で事業は縮小。
1992年には事業の売却をせざるを得ない状況に陥ってしまう。

ここで、ヴィリー・ハンハルト氏の義理の息子であるクラウス・エブレ氏により、
高品質時計へのシフトに集中し、1997年にはグーテンバッハへ移動する事となる。
ここで、1939年に作られたワンプッシュクロノグラフを復刻。
折からの機械式時計ブームの始まりもあり、危機を脱出する事となった。

所が、2014年には投資家に買収されて、
そこからクロノグラフはA. Hanhart GmbH&Co. KGに移管されてしまう。
破産宣告をした後、ストップウォッチを含めた時計事業は、
新しく設立されたHanhart 1882 GmbHで継続。

実際の事業内容は2015年まで、
グーテンバッハでクロノグラフとストップウォッチは一緒に生産されていたようで、
結局は、2016年にHanhart 1882 GmbHに統合される事となった。


家にあるハンハルトのワンプッシュクロノグラフ。
ウリのストップウォッチ機能は、
スタート、ストップ、リセットを赤い押し釦一つで行うタイプ。

これは’90年代の復刻バージョンだけど、
ムーブメントはバルジューを改造して仕立て、
外装は1930年代のオリジナルそのままで良くできている。

赤いクロノグラフの押しボタンは、出撃する兵士が無事に戻ってくるようにと、
恋人が口紅を塗ったという逸話があるけど、これは後付けの作り話だろう。


ハンハルト・ワンプッシュ・クロノグラフの裏側。
裏蓋の開閉も、当時そのままの独自の工具が必要。









最終更新日  2019.09.09 16:30:20
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