ドイツ空軍のクロノグラフを手掛けNATO軍にも正式採用されたプロ用の道具・チュチマのミリタリークロノグラフ
1918年に設立されたドイツ・グラスヒュッテの時計工房、Deutsche Präzisions-Uhrenfabrik (DPUG)は、1920年代には機械で大量生産された安価なスイス製時計の攻勢と、時計の価格が1922年8月に22.500マルクだったのが、5か月で価格が5倍の105.000マルクになるというハイパーインフレに直面していた。DPUGは機械を導入して時計生産を続けていたが、それも1923年11月になると、ついに時計の価格は109,000,000,000,000マルクという価格になっていた。やがて、1925年には金融システムが崩壊して、DPUGの工場と生産設備は売り払われる事になっていった。この時に、ハンブルグ出身の法学者であったエルンスト・クルツ博士の指導により、破産したDPUGから、1926年に新たに設立されたUROFA(Uhren-Rohwerke-Fabrik AG)とUFAG(Uhrenfabrik AG)が、現在のTUTIMAへと繋がっていく事になる。クルツ博士の手腕と、丁度1930年代からの景気の上昇に支えられ、2つの会社はスイスと同じ自動製造技術を取り入れて危機を脱出する事が出来たのである。UROFAは主にムーブメントの製造を担当し、UFAGは腕時計の生産を担当していて、その時計にはTUTIMAの名前を付けて高品質を謳っていた。1938年には2つの工場は軍に接収されたが、1939年にはドイツ空軍の依頼でパイロット・クロノグラフを開発。1941年には正式採用されて供給を始めた。これが、戦前にクルツ博士が関わったグラスヒュッテで作られた最後の時計であった。この有名なパイロットクロノに対する空軍の仕様は、1時間半の衝撃や高い加速度に加えて1.5気圧の加圧と、-10℃~40℃に於いて日差ー3~+12秒と定義されていた。1945年5月7日のソ連による爆撃の1日前に、クルツ博士と従業員は南ドイツに疎開していたが、8月8日までには、グラスヒュッテの2つの工場にあるものはソ連に接収され解体され、同時にパイロット・クロノのムーブメント、キャリバー59の全てが失われた。疎開先で、1949年にはオーバーフランケンのメメンスドルフで、米軍の為に回収されたキャリバー59の再構築を試みて、グラスヒュッテの部品を使いムーブメント作った。1951年にはニーダ―ザクセンのガンダーゲゼーに拠点を移し、 Kurtz Glashütter Traditionというサインの腕時計を生産。グラスヒュッテが源流の、そのクルツ25というムーブメントは高品質で注目を集める。所が、5年後の1956年には安価なスイス製との競争で、クルツ博士は破産してしまう。これをクルツ氏の同僚のヴェルナー・ポーラン氏が買い取り、社名を、UROFAに北ドイツの北を意味するNを追加したNUROFAに変更。Tutimaの名前も復活する事になる。ヴェルナー・ポーラン氏は、チュチマ・ウォッチ-グラスヒュッテ・トラディションという販売会社を設立していたが、実際の時計生産は、今ではクルツ氏の後継者で同僚だった、ディーター・デレカーテ氏が、1960年代前半に外国の工場を買収して時計の生産を続けていた。その西ドイツで作られた初めての時計に再びチュチマの名前を付けられる事になる。やがて、デカレーテ氏は1970年後半に、クルツ氏のために、西ドイツの特許庁にTUTIMAの商標出願を行った。ラテン語で精密を意味するTUTUSから由来している、TUTIMAという名前が正式な社名になったのは1983年の事である。1985年には、再びドイツ空軍用のパイロット・クロノグラフの契約を結び、798というクロノグラフが誕生する。1941年の最初の軍用パイロット・クロノグラフとは違いジェット機の時代であり、仕様は更に厳しくなり、日差ー2~+8秒、7Gの加速度に耐える必要があった。1998年のベルリンの壁が崩壊すると、デカレーテ氏は2005年に、グラスヒュッテの鉄道整備員を収容していた建物を購入して、その建物の改修が終わった2008年にチュチマはグラスヒュッテに戻っていき、2011年にはムーブメントからの一貫生産を開始した。そして、TUTIMAにとって重要な拠点であったガンダーケゼーで、1996年に97歳で亡くなった、チュチマブランドの父であるクルツ博士をオマージュした、ミニッツリピーターを発表する事になる。2012年まではドレスデンのマイスター時計技師のロルフ・ラング氏が、チュチマのチーフデザイナーであったが、2013年には、チュチマ・グラスヒュッテから、以前の時計を踏襲した、サクソン・ワンやグランド・アビエーター等のニューモデルが発表された。1986年にドイツ空軍に再び採用された、チュチマのミリタリー・クロノグラフ760-02。1987年にはNATO正式採用となり、20気圧1500メートルに耐えるチタンの外殻を持つ。使われているムーブメントは今では希少なレマニアの5100である。カレンダーはドイツ語表記。バンドも含めて全体的に滑らかな形状と面取りがなされていて、引っ掛かりのないケースの特徴が良く分かる。独特なクロノ・プッシュボタンは、グローブを嵌めたまま操作可能で、袖口の引っ掛かりがなくて、乱気流等の衝撃で故障する事もなく、パイロットに怪我をさせにくい特徴を持つ。写真では緩めてあるリューズは、ねじ込むと引っ込んで飛び出した感じがなくなる。