キンキラキンのシェーファーのペンと濃い菫(スミレ)色のエルバン謹製のビオレパンセというインク
筆記具で有名なシェーファーは、レバー式のインクフィラーシステムを思い付いた、ウォルター・A・シェーファー氏により、1912年にアメリカのアイオワ州フォート・マディソンに創立された。当初はシェーファー氏が経営する宝石店の奥で、7人の授業員を抱えてペン造りを開始して、1913年には法人化された。その後1930年代まで、「どんなインクでもすぐに満たされて、指1本で自動洗浄」と宣伝されて、袋のないプランジャーシステムを開発しつつ、最初のレバーフィラーも1940年代終わりまで販売されていた。1949年には、タッチダウン空気充填式を考案し、この次には今でも好き者には堪らないシュノーケル式が登場。1959年には、今でも高級ペンに使われている独自のインレイ式のペン先を持つ、大きなPFM(ペン・フォー・メン)を最後に、以降はカートリッジとコンバーターによるインク充填式に重点を移していく。同社はやがて1997年7月31日になると、ジュネーブに本拠地を置くジェフィノールS.Aから、ビックでお馴染みのフランスのSociété Bic S.A., により、5000万ドル未満で買収される。当時のシェーファーの従業員数は550人。2003年になると、最盛期には1000人を超える従業員を抱えて、1世紀に渡りペンを作っていたフォート・マディソン工場の閉鎖を決定。2008年に閉鎖作業は完了して、ペン先は中国のサードパーティーに委託され、カスタマーサービスや品質管理等の事務関係はスロバキアに委託される。2013年には高級路線のフェラーリ・コレクションを発表するも、2014年になるとフランスのビックから、同じアメリカの、筆記具では1846年創立の老舗、A.T.Cross Companyに1500万ドルで売却された。一方、フランスのJ.Herbin/エルバンは、ルイ14世が32歳だった1670年に創立された老舗で、封蝋とインクで有名なメーカー。【La Societe Herbin, Maitre Cirier a Paris】元々は船乗りだったJ・エルバン氏が、インド行きを通じて、シーリングワックスとインクの製法を持ち帰った事が創業にきっかけらしい。その後、同社のシーリングワックスは、ルイ14世からココ・シャネル氏に至るまで何世代にも愛用される事になる。エルバンがインクを生産したのは1700年で、インクでは世界最古の名前を持つ "La Perle des Encres"(=The jewel of Inks)を発売。更に年代は不明だけど、"L'Encre des Vaisseaux" (=Ship's Ink)がそれ以前に登場しているらしい。 1798年には4代目のジャック・エルバン氏により、工房と店舗をRue des Fosses-Saint-Germain-l'Auxerrois に移設。フランス革命が終焉を迎え、ナポレオン・ボナパルト氏が登場して、スチールペンが羽ペンに取って代わり始めた頃である。1829年には墨汁を生産しつつ、自然をモチーフにしたインクを発表すると大反響を巻き起こした。中でも、代表的な濃い菫(スミレ)色のヴィオレパンセ(=ヴィオラ・パンジー)は、第三共和国時代(1870~1940年)から、1966年に至るまでフランス全土の小学校における指定色であった。今でも、エルバンのインクはフランスで作られ、ボトルの最終仕上げはパリで手作業にて行われている。個人的には、このナポレオン時代から生き残っている、ヴィオレパンセのインクが気になってボトルを買い込んだのは良いけど、紫色のインクの愛用者で知っている有名人は、フェラーリでお馴染みのエンツォ・フェラーリ氏くらいしか知らない色だ。個人的にはウォーターマンのブルーブラックが標準で、他には、生産中止になってしまったプライベート・リザーブのアボカドという、濃い緑色のインクを使う位なので中々使う機会が無かった。さあ、このインクを何に入れて何に使おうか。まず、使うペンが、カラーインクならありきたりのスケルトンというのも退屈だ。どうしようかと思っていた所、縁あってゴールドでキンキラキンのシェーファーが手元にやってきた。フランスとも縁浅からずのシェーファーは、フェラーリコレクションも出していた位なので、御大エンツォ・フェラーリ氏が愛用していた紫のインクにもピッタリではないか。早速、シェーファー用のコンバーターを手配すると、ペンをヴィオレパンセのインク瓶に突っ込んで試し書きをしてみる。昔のフランスの小学生が全員目にしていた菫色のインクは、何とも優しい色合いでスルスルとシェーファーのペン先から文字になっていく。世界一の金持ち時代のアメリカを象徴するような華やかなゴールド軸と、独特な象嵌とも呼ばれるインレイのペン先が付いたシェーファーは、まだアメリカで一貫生産していた時代のものらしく、造り込みもキッチリとしていて手抜きや粗さは皆無だ。調べると、どうやら手持ちのシェーファーはインペリアルというタイプらしく、色んなバージョンがあり、1961~1962年の初期型はインペリアルⅠに分類されて、以降、インペリアルⅧと共に、ⅣとⅥも並行して生産されていた。当初はタッチダウン吸入式だったのが、カートリッジ式も直ぐに追加されている。14金のペン先を持つトップカートリッジモデルは、当時の価格で$10.00。これはトップモデルのPFMIと同じ値段だった。今では普通の存在である、プレミアム価格のカートリッジモデルの先鞭となったインペリアル。ドイツ偏重の日本では、それ程評価をされているとは言えない所が、へそ曲がりは嬉しい。主に本文の注釈や後書きに使っているけど、独特の書き味を持つ、反りがあって硬めのペン先は、ハガキに小さな文字で書き込むのに重宝している。アメリカの工業製品というと、大味で雑なイメージがあるけど、往年のシェーファーを実際に使ってみると大間違いなのが分かる。ずっとインクを入れっぱなしでも、他のペンのように、いつの間にかカスれる事も無い実用性の高さにも感心している。とにかく、日本人が大好きなドイツ製のペンに比べて割安なのが良い。