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mik.hamaのいい加減にします

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2019.03.23
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昨年(2018年)の12月14日に北海道埋蔵文化財センターが、
木古内町の幸連5遺跡で、縄文中期の約4500年前の竪穴式住居跡から出土した矢尻が、
形状と蛍光分析から、長野県和田峠周辺の黒曜石から作られたものだと発表した。

北海道では2009年にも和田峠産の黒曜石が見つかっていて、
青森の三内丸経由で津軽海峡を渡る際のお守りだったのではないかと言われている。

和田峠から直線距離で650km離れた場所で見つかる事に驚くけど、
日本海側で行われた遺跡発掘調査における黒曜石の分布から、
新潟の糸魚川から海を使った交易が既に行われていたと考えられるそうだ。

今から1万年以前の時代を旧石器時代というけど、
骨角器や打製石器を使い狩猟をしていた遺跡は幾つも見つかっていて、
長野県ではナウマンゾウで有名な信濃町の野尻湖立の遺跡が有名だ。

3万年以前の前期には原始的な石を砕いただけの敲打器(こうだき)だった武器も、
次の後期に入ると刃器(じんき)と呼ばれるナイフ状の物が作られ、
やがてモリの先に使われる尖頭器が登場。
晩期には、幾つもの石器を組み合わせた細石器が現れることになっていく。

こうした石器に好んで使われたのが黒曜石であり、その産地が下諏訪の和田峠だった。
それは、交易により既に半径240Kmに及ぶ範囲で使われていたらしい。

流紋岩火道部の周縁部にある黒曜石の主生産地は、
霧ヶ峰北端の下諏訪町和田峠西原(東俣の鳩ヶ峰)にあり、
標高1550mでは現在でも工業用の原料として今でも採掘されている。


家には昔、旧和田峠で拾って来た和田峠産の黒曜石が幾つかある。
溶岩が急冷した事で出来る天然のガラスだ。
質の高さが石器時代から縄文期にかけて一つのブランド品だった筈であり、
これに匹敵するのは北海道産くらいらしい。
今でも和田峠の道路周辺に小さい物であれば幾らでも転がっている。


上の3個が和田峠産。大きいので握りこぶし程の大きさ。
下にあるのは八ヶ岳の麦草峠の雨池付近で見付けた黒い石。
八ヶ岳でも古い黒曜石の採掘跡が発見されているけど質は余り良くない。

八ヶ岳の麓にある南牧村の矢出川遺跡(14000年ほど前の後期旧石器時代)からは、
地元産のみならず伊豆7島の一つである神津島産の黒曜石まで見つかっているのが興味深い。
既に交易の範囲は現代人の想像以上に豊かで広範囲に及んでいたのだ。


黒曜石の薄片はまさに天然ガラス。
長い方で7cm程の標本だけど和田峠産の特徴が良く分かる。
加工したわけではなく、この状態で土に埋まっていたのを見つけた。



家には、大分前に青森の骨董屋さんで見付けた矢じりの標本セットがある。
骨董屋さんの話では、蝦夷と紛争があったりして田んぼや畑を耕すと出て来たらしいけど、
本当は知ってか知らずか遺跡からの出土品ではないかと思う。
この骨董屋さんは、他にも面白い物が沢山あったけど大分前に閉めてしまった。

地元の諏訪地方でも、茅野市では縄文期の遺跡が広範囲に沢山見つかっているけど、
祖母の話では、田畑を耕すと結構な土器が幾つも出てきたらしい。
今では考えられないけど、邪魔なのでクワの尻で叩き割って脇に捨てていたと聞いた。

更には装飾に使われたらしい綺麗に加工された石も出てきて、
これは大事に取って置いたらしいけど今では行方不明。

こんな状況だから、
今では茅野市には国宝に指定されている土偶が2体あるけど、
実際にはもっとあったのかもしれない。

個人的にも、昔の山間の田んぼの脇には、
石と一緒に積まれた土器片があって、それを拾いに行った記憶がある。

今こそ古い遺物が見つかると大騒ぎで、
文化財保護法で取引は禁止されているいるけど昔は大らかすぎた。

青森で見付けた矢じりの標本。
この中の黒くて艶がある5つの矢じりが、和田峠産の黒曜石ではないかと思っている。



これは別の機会に入手した北海道産だという尖頭器。
その昔に学校の先生が個人的に所有していた標本だそうだ。
黒曜石自体は上質で恐らく地元の北海道産だろう。

先端が少し欠けているけど、長さが9.5cmくらいあるので、
大型のエゾシカやヒグマを仕留める為に使われたのではないかと思う。













最終更新日  2019.03.30 21:32:28
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2017.08.19
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昔は、流星が光るのは大気との摩擦であると教えられた。
実は大気の圧縮によるものであると分かったのは、つい最近の事である。

大気のお陰で、地球外からやってきた星屑が地表までに達するものは結構まれだ。
中には月や火星からやってきたものがあるけど、そんな事がどうしてわかるのかというと、
月の場合はアポロ計画のサンプルがあるし、火星の場合は探査機で分析した希元素の割合が、
隕石の中に閉じ込められていた成分と同じであるという事で判断出来るらしい。


具体的に、火星起源の隕石の場合では、
大多数の隕石というのは年代測定をすると大体46億年だけど、
SNC(スニック)隕石というのは13億年と若く、しかも重力下の高圧で溶けた形跡があった。
この事から、元の天体が非常に大きくて13億年前まで火山活動をしていた証拠になった。

小惑星帯に該当するような天体は無く、火星か金星しか考えれないのだけど、
濃厚な大気を持つ金星はあり得ず、どうも火星ではないかと推察された。
これを決定づけたのは、1983年にスイスで行われた5つの希ガス分析であり、
この希ガスの中でも質量数が違う同位体の比率が、
NASAのバイキング計画で得られたものと一致したのである。

ちなみに月起源の隕石は、
アポロ計画のサンプルがあるので、
化学成分と酸素の同位体比で確認できる。
砂漠と南極から200個近く見つかっている。


主に小惑星帯からやってくるらしい流星だけど、大きいものはシャレにもならない。
意外に地球に近づくのが少ないのは、木星の巨大な重力のお蔭だそうだ。

家にも、幾つか流星のなれの果てがある。
鉄隕石の場合は、天体が出来た当時に溶けていた金属の核は真空断熱で保温状態になり、
放出するのは僅かな輻射熱だけになって、
気が遠くなるほどの時間(100万年単位)をかけて冷えていく。
その金属核は、切断面を研磨してエッチング(腐食させる)処理をすると、
ウイドマンシュテッテン構造という独特の模様が現れる。
これは今でも地球上では作る事が出来ないもので隕鉄の証拠になる。


1882年に、チリのアタカマ砂漠で発見されたイミラック石鉄隕石。
これは典型的なパラサイトと呼ばれるものだ。
落下の衝撃でヒビの入ったペリドットとニッケル鉄が混在している。
比重の違うものが混在しているので、マントルと核の中間にあるのではないかと言われている。
地球に落下した隕石の中では0.5%の少数派。
標本の大きさは大体4cmX3cm程。


比較的新しい、1967年にロシアで発見された石鉄隕石。
鉄隕石も意外に数が少なくて、全体の3.8%ほど。
セイムチャンのパラサイトは高いので、これはニッケル鉄の部分である。
独特のウイドマンシュテッテン構造が良く分かる。
形がちょっと長野県に似ている。厚さは3mmで大きさは8cmX7cm位。


1947年にウラジオストクの北東440kmで爆発落下したシホテアリニの隕鉄。
殆ど鉄で出来ているのが特徴で、大気圏突入時の熱で溶けた表面の様子が良く分かる。
これは長い部分で5cm程だけど、その割に重いのが特徴でこれは290gある。






最終更新日  2019.07.18 10:53:42
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