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mik.hamaのいい加減にします

全9件 (9件中 1-9件目)

1

レンズ

2019.10.12
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カテゴリ:レンズ
ライカを使っていると、どうしても色んなレンズが気になってくる。
レンズを変えた所で、撮る側の写真の本質なんて変わらないのだけど、
それでも、別のレンズを試したくなるのは、レンズ交換式カメラの最大の欠点でもある。

ライカを使う場合、高価で希少なレンズの方が威張れるというのがあるけど、
普通に写真を撮って、普通に色んなレンズを試したいと言う事であれば、
とにかくキヤノンのレンズがお勧めである。

キヤノンのS(L)マウントは、手元にも色々集まって来たけど、
その理由は、どれも個性があって、使ってみると楽しい上に、
何と言っても、比較的価格がこなれているからだ。

ブランド第一主義で舶来品絶賛主義者には、殆ど見向きもされないのは残念だけど、
そうでなければ、試しに使ってみると描写の面白さや実力に驚く事請け合い。


キヤノンの50mmの標準レンズを適当に引っ張り出して並べてみた。
手元にないのは、f0.95とf2くらいだけど、もう十分である。


50mmf1.2は、中のレンズエレメントが曇ってしまい、
プロショップでオーバーホールついでに交換して貰ったけどパーツがあるのに驚いた。
開放ではf0.95ほど癖も無くて意外にちゃんとしているけど、デカくて重いので殆ど出番がない。
レンズ本体の左側にあるのが、曇りで交換したレンズエレンメント。

登場したのは1956年9月で、
大卒公務員の給料が8,700円の時代に価格は60,000円であった。


*テッサー型のf2.8は開放から使える実力があり、とにかく軽量なのが良い。
 初出は1955年で白黒のゼブラ模様。当時の値段は16,000円だった。
 翌年登場した上記のf1.2に比べると大分安いけど、
 これでも当時の公務員給料のほぼ2か月分の価格だった。
 手元にあるのは、2年後に登場したセカンド・バージョンで価格は据え置き。

*F1.8に始まる、キヤノン自慢の新生ダブルガウスであるf1.4も、
 当時のキヤノン大口径の顔だから悪い筈がない。実際に使ってみると、これは実に良いレンズだ。
 初出は1957年の11月で、当時の価格は25,000円であった。

ここにはない、f3.5、f2.2、f1.9、f1,8は、今までブログで取り上げてきたので割愛。


鏡胴が真鍮でクロームメッキで出来た旧世代レンズの味わいから、
現在のレンズと比べても遜色のない、新しい白黒鏡胴の新世代まで、
どれを選んでも、それなりの値段でそれなりに楽しめるのが実に嬉しい。

別にズミクロンやズミルクスが無くても、ちゃんと写真は幾らでも撮れるし、
お小遣いが乏しくても色んなレンズの描写を楽しむことは出来るのだ。


キヤノンのLマウントレンズというと、
その昔、まだ写真をマトモに撮っていた頃に、
今は無き、ヤシカ/京セラのコンタックス・クラブに入っていて、
そこかしこから独特の特権階級臭がプンプンしていた、
外国人モデルによる撮影会に参加した事があった。

へそ曲がりの私は、いつものコダクローム64入りの、一応ボディーはコンタックスS2だけど、
レンズはパンケーキレンズの旧ソ連のインダスター50mmf3.5を付けたカメラに加えて、
もう一台、中望遠レンズが必要だろうと、
テスト撮影で低感度ネガカラーフィルムのエクター25を詰めた、
キヤノンのLマウント・100mm/f2を付けたライカM6を持ち込んでいた。

その後、ライカM6+キヤノンの100mmレンズで撮った写真は、
秋山庄太郎さんという、雲上写真家が審査するコンテストでグランプリを獲る事になるけど、
コダック・エクター25フィルムの高性能と相まって、トリミングをして半切にした写真でも、
中判もかくやと思われる見事な描写であった。

今では、地味で安価なキヤノンのLマウントレンズと、
皆が目を輝かせる、同時代の今ではバカみたいに高価なドイツ製のレンズを、
加えて旧ソ連のレンズも含めてブラインドテストで比べても、
その差異を見出す事は難しいと思うし、キヤノンレンズのどれを選んでも後悔する事はない。


2019-10-29 レンズ発売年と価格追記






最終更新日  2019.11.14 10:43:55
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2019.08.31
カテゴリ:レンズ
二ッコールの標準レンズに50mmf1.8という、
軽量で薄いコンパクトなレンズがある。

ニコンの中村良幸さんが、ダブルガウスの小型化は難しいという課題に挑戦したレンズで、
小型で安価ではあるけど、二ッコールの刻印に相応しい高性能を目指して設計されている。
ダブルガウス前群の2枚目と3枚目を分離して、絞りを挟んだ前後群を近づけたのがミソ。

本来は、1980年にニコンF3と同時に発売された、
エントリーモデルのニコンEM用の、Eシリーズレンズの一つとして企画された。

写真を撮るという事だけに集中して言えば、
レンズの値段が高いとか希少なほど写りが良くなるというのは幻想であり、
自分の写真の本質なんて、レンズを変えたくらいで、それほど変わらないという、
当たり前のことを冷徹に再認識させてくれるレンズの一つだ。

写真のベテランやレンズマニアは素通りするであろう、このレンズは、
本質の部分で手を抜いていない上に、軽量コンパクトで比較的大口径なのが特徴。

今時の高性能で巨大なズームレンズも結構だけど、
一度、ちゃんと対峙してみると、色々と気付かされて楽しめると思う。


ニコンF2に、軽量パンケーキレンズの50mmf1.8を付けてみる。
ニコン最後の機械式プロ用カメラに、元は入門用カメラの標準レンズ。
こういう組み合わせは、何か特殊なカメラっぽい雰囲気が出て好きなのだ。


このレンズには同じスペックでも、鏡胴のデザインが少し違い、
最短撮影距離が違うものがあるけど中身は同じ物との事。

左の最短撮影距離が短い方がAi50mmF1,8Sと呼ばれるもので、
右が主にアメリカで売られたニコンEシリーズのレンズだと思う。

ヘリコイドを最短撮影距離にして目一杯レンズを出しても、かなり薄い。
左側のレンズで、距離環ローレットから先の梨地部分は、無限遠にすると殆ど無くなる。


メタルフードのHS-11を付けると更に良い雰囲気になるかど、
レンズとフードの厚みは殆ど同じ位なので、
実際には無い方が携帯性が抜群でブラパチ写真には具合が良い。


二ッコール50mmf1.8の作例(全て銀塩写真)

フェンスの上には鉄条網。
壁との隙間には板壁で立ち入り禁止を主張している。何があったのだろうか。


古い布団屋さんの後ろにピカピカのマンション。
通る度に、オーダーの掛け敷き布団なんて今では一財産だろうけど、
文机に使う座布団ならどうかなと考えてみたりしている。


暑くなってくると良く見る光景。風通しが良い玄関先で寝ている猫。


松本地方特有の七夕人形がぶら下がる居酒屋の入り口。
左上の団体客に対する注意書きが吹き出しのように見える。


畑へ向かう道が鬱蒼とした木で覆われ、その向こうには倒木が見える。
ユージン・スミス氏の名作、「楽園への歩み」を思い出してしまった。






最終更新日  2019.08.31 22:16:44
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2018.07.14
カテゴリ:レンズ
写真の黎明期に使われたレンズにシュバリエというのがある。

これを作ったシャルル・シュバリエは、
1804年にパリで生まれた眼鏡技師で眼科医であった。

1760年にシャルルの祖父ルイ・シュバリエにより、
パリ裁判所の時計塔に近い、69,Quai de l’Horlogeに眼鏡工房は設立された。
シャルルの父ヴィンセントは顕微鏡の色消しを研究していたが、
1821年に息子のシャルルが入社した2年後の1823年に顕微鏡は完成している。
それに続いて作られたのが、写真術の原型となったカメラオブスクラ用の色消しレンズである。


顕微鏡の色消しとは、特に対物レンズに色収差があると、
倍率が高くなる程、像に虹色の滲みが出てしまいコントラストもガタ落ちになって、
使い物にならなくなるので、その対策が必要だったのだ。

例えば、顕微鏡で有名なライツは対物レンズの一部に、
今ではキヤノンの高性能望遠レンズの看板になっている、
特殊低分散の蛍石(当時は天然の鉱物)を使って色収差を抑え込んでいた。

そのライツの顕微鏡をコピーしようとしたオリンパスでは、
似たような光学ガラスを当てはめてレンズを組んでいたのだけど、
どう研磨しても砂目になってしまうという、
柔らかい蛍石レンズの正体が中々掴めず苦労したらしい。


やがて、1825年には黎明期の写真術の先駆者の一人で、
既に1824年には写真画像を作っていたと言われる、
ニセフォール・ニエプスが写真用のレンズをシュバリエに求めてきた。

この時に、シャルル・シュバリエは、後に写真の発明者と呼ばれる、
画家でジオラマ作家だったダゲールの住所をニエプスに教えた事で、
1829年からニエプスとダゲールは協力して写真術の向上に取り組むようになった。

所が、ニエプスが1833年に急死すると、その技術を引き継いだダゲールは、
1839年に世界初の実用的写真術を発表する栄誉を手に入れる事になる。


実は、ニエプス以外にも写真術を研究していた人は存在していて、
イギリスのタルボットは、1835年にカロタイプの写真術を発明していたけど、
その方法を秘密にしたので発明者としては認められず、
更に、1839年のダゲールタイプを発表した同じ年に、同じフランスのイポリット・パヤールが、
タルボットと同じカロタイプの写真を作っていたけど、これも認められる事は無かった。


1831年にシャルル・シュバリエは、
仕事への献身と貴重な発明に対する不満から父親と喧嘩してここを離れ、
163, rue du Palais-Royalに自分の会社を持つことになり、
1834年には独自の色消しレンズの顕微鏡を作る。

やがて、ダゲールにイメージサークルの大きな写真用レンズを請われ、
1812年にイギリスのウォラストンが実用化していた、
カメラオブスクラ用のメニスカスレンズに目を付け、
1839年には自身の色消し理論を使った、
新しい写真用の380mmと81mmの色消しレンズを作った。

1840年に折り畳み式のダゲレオカメラを作り、顕微鏡写真も成功したシュバリエは、
産業奨励協会(Sociétéd'Déléménégéespour l'Industrie Nationale)の、
写真芸術における最先端の発明のための競技会に参加して、
2組の色消しレンズユニットを持つ固定絞りのレンズと、
それを元に焦点距離を短くして風景から肖像に使える、
世界初のコンバーチブル・レンズのPhotographe à Verres Combinésを発表。

これが性能的には上回っていた、フォクトレンダーのペッツバールを抑えて、
パリの産業奨励賞で1等賞を受賞すると、シュバリエの名声は更に高まる事になった。
シュバリエ独特の、まだピントも甘くて球面収差も多かった柔らかいレンズの描写は、
人像用として特に著名人の間で重宝される事になる。

1841年にはアルフォンソ・プルミエと写真スタジオを設立して写真術の向上を研究。
写真に関わる全てのディーラーとして一線を隔す存在になった。

1851年には世界初の写真協会である Société Héliographiqueを設立して、
レンズ生産と写真撮影のためのマニュアル出版を開始した。

やがて父親のヴィンセントが亡くなり、その会社を合併すると、
それをヴィンセントに10年間弟子入りしていたピエール・リシェブールに引き継ぎ、
息子で光学技術者のアルトゥール・シュバリエと共に事業に関わっていたが、
1859年に55歳で亡くなっている。

1830年生まれの息子アルトゥールは事業を引き継いでいたが1874年に亡くなり、
その後は光学ガラスの製造に限っても、まだ殆ど中世の錬金術レベルだったのを、
フランホーファーに始まる科学理論を武器にしたドイツ光学界の台頭もあり廃れてしまい、
1889年には129年の歴史をもってシュバリエの工房は閉鎖されてしまった。


家にあるシュバリエのオペラグラスの倍率は2倍弱くらい。
大分くすんでいるけど、金属部分は真鍮にニッケルメッキだろう。
鏡胴の革張りもしっかりしていて、ピント調整のネジも意外なほどスムーズだ。

光学系はクラウンガラスを使った単純なガリレオ式だと思う。
余計なコーティングもないので、古いくせにカビもクモリない。

見え具合はクリアで問題がないのは見事だけど、倍率が低いせいか、
ピント調整をしても山が掴めないので適当に合わせるだけで充分使える。

子供の頃のセルロイドで出来た玩具の双眼鏡を思い出してしまった。
もっとも、こっちは裸眼で見た方が良く見えるような代物だったけど。


接眼レンズの枠には、
CHEVALIER OPTICIEN(= シュバリエ眼鏡) PARISの刻印。
レンズを使った双眼鏡は眼鏡工房で作られる商品の一つだった。


対物レンズ。あの写真黎明期を支えたシュバリエレンズの輝きは今でも変わらない。






最終更新日  2018.07.14 19:30:16
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2018.02.10
カテゴリ:レンズ
広角レンズでも21mmとなると、昔は超広角と表記されていたと思う。
今では、フォクトレンダー銘で12mmや15mmが手に入るので、
20mm台は普通の広角レンズの範疇ではないだろうか。

レトロフォーカスよりも、対称型と呼ばれる旧いレンズの描写が好きで、
昔、まだちゃんと写真を撮っていた頃には結構使ったのだけど、
今のブラパチ散歩写真では広すぎて殆ど出番のないレンズだ。

対称型のビオゴンタイプというのは、基本的に【凹凸・絞り・凸凹】というレンズ構成で、
歪曲収差と倍率の色収差が小さいけれど周辺光量が低下するのが特徴。



描写は何というか彫りが深いというか大体’50年代のレンズなので、
絞り込んでもキリキリと硬くならない描写や、
ちょっと古い感じの発色とか、周辺の光量低下も含めて好きなのだ。

レンズ前面にワイドコンバーターがある、レトロフォーカスの大仰な外観に比べると、
控えめで遥かに小ぶりなのに密度の高い所も好きで、大きさの割に重い所が実に良い。

カメラに装着するとカメラの奥深くまでめり込んで、
実際には見えないけれどもフィルム直前にレンズの後端がある所がまた良い。
何と言うか、光が高密度のままにフィルム定着するようなイメージがある。

バックフォーカスが短いお陰で、デジタル用の撮像素子だと周辺がケラれて、
更には露出計内臓のカメラだと露出計が怪しくなったりして、
秘密めいた特殊なレンズ見たいで、そういう所も好きだ。


手元には、21mmの対称型レンズは3つある。

 *ビオゴン
ビオゴン21mmf4.5(1954年発売/5群8枚)は、
ベルテレが設計した、世界初の35mmカメラ用の対称型超広角レンズ。
主に旧ソ連製のキエフ4Aに付けて使ったりしたけど、
これは意外に使いやすい組み合わせだ。

ツァイスのビオゴンは、ハッセルの38mmの方が有名かもしれないけど、
35mm用の21mmビオゴンの造り込みには感激する。
小ぶりな割に重いレンズで、鏡胴の彫刻文字が緻密でエッジが立っていて、
ローレットの刻み目一つ、ダイヤモンド・バイトを使用したと思われる旋盤加工もお見事。
裏側まで小さな部品一つ一つの工作も凄いし、メッキも含めて実に良い仕事をしている。

その造り込みだけを見ていても、
当時のツァイスのプライドがヒシヒシと感じられて溜息が出るという、
今では絶対に作る事の出来ないレンズの一つ。

 *スーパーアンギュロン
一番使ったのがスーパー・アンギュロン21mmf4(1958年発売/4群9枚)。
合計5292本製造されたレンズで、それほど数は多い方ではない。
これをバルナック型のライカⅢbに付けて、
上にファインダーを乗っけて21mm専用機で使った。

スーパー・アンギュロンはf3.4の方が描写の評価は高いようだけど、
絞りが菱形なのと、何といってもスクリューマウントが無い点が嫌だな。

ライツの名前が入っているけど、スーパーアンギュロンはシュナイダーのレンズ。
家にあるのはM-Lタイプというもので、専用の小ネジで固定するM-Lアダプター付きだった。
こういう小ぶりなレンズは、バルナック型の方が合うと思ったので早々にLマウントで使っていた。

これのLマウント専用は1500本程しか作られなかったのでコレクターズアイテム。
レンズ構成図を見ても、ビオゴンと似ているけど特許に触れないように苦心しているのが分かる。

 *リコーGR
ビオゴンが世に出てから45年後に、
新時代のレトロフォーカスではない国産超広角レンズと言う事で、
1999年にリコーのGR21mmf3,5(6群9枚)が発売された。
早速手に入れてみたけれど、これは確かにGRを謳う素晴らしいレンズ。
限定品で白鏡胴は1000本製造された。

リコーのGR21mmは、コンパクトカメラのGR21に付いていたものを単体で出したもので、
描写に関しては、完璧なカラーバランスに、一段とヌケが良いキッチリスッキリ+周辺光量低下という、
新時代の対称型広角レンズのイメージそのままの傑作だ。

GR21mmは良いレンズだと思うけど、
余り使わなかったのは、スーパーアンギュロンとコダクロームのコンビによる画が好きだったのだ。
ついでに、このレンズはGR28mmのようにバルサムがおかしくなる事も無さそうだ。


f値が0.5ずつ違う、対称型の3本の21mmレンズとファインダー。



レンズ本体よりも貴重かもしれない、リコーGR21mmのパンフレット
LマウントのGR28mmを買った時に住所を登録してくれて、
家に直接送ってきてくれたものだと思う。

そのGR28mmが好きなレンズであったので、迷わず注文した記憶がある。
切れ味が謳い文句だけど、その通りの第一級の広角レンズ。
黒鏡胴は700本作られて、白鏡胴と合わせて合計1700本製造された。


ロシアのルサール20mmf5.6は、
1mmほど短い焦点距離だけど仲間に入れていいと思う。

当時、旧ソ連時代に航空測量用として、
ルシノフ博士によって作られた対称型広角レンズが元になっている。
要するに軍事用の航空偵察レンズである。

ロシア系のレンズで、ツァイスのコピーではなく、
オリジナルの設計なのは軍事機密であったからだろう。

お蔭で35mmバージョンの20mmでも見事な描写。
暗いけど、軽量コンパクトなのもいい。
カメラに付けると殆ど出っ張りがないパンケーキレンズ。


2018-2-12 追記
2020-6-23 追記






最終更新日  2020.06.23 09:59:18
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2018.01.01
カテゴリ:レンズ
新春のメインレンズは、カール・ツァイス・イエナのノンコートゾナー5cmf1.5。
戦前のノンコートゾナー5cmf2は、以前のブログで紹介したけど、
今時のレンズと比べても、これはメインで使える程の優秀なレンズである。

同じイエナのノンコート・5cmf1.5は、
昔、借り物をリバーサルで撮影した時に余り良い印象がないのだけど、
手元にある奴を引っ張り出して、アレコレ覗いたりしてみると、
どうもネガなら結構使えるのではないかと思っている。

当時はとてつもなく高価で希少だった、
最小絞りがf11というハイスピードの特殊レンズも、
今では殆ど死蔵されていると思われ、
中古でも余り見掛けない存在になっている。

小津安二郎監督がセルフポートレートで使ったレンズは、
本来モノクロの方が合っているのだろうけど、
同じ様にリバーサルでガッカリしたf2ゾナーがネガカラーでは、
その時の印象とは違うものが撮れたので同じように期待している。


サブでズマー5cmf2も試してみようと思う。
昔、ライカⅢaを買った時に付いていたレンズで、
モノクロでの試写では感動した記憶があるけど、
リバーサルでは全然使い物にならないレンズであった。

絞りを挟んだレンズ面が曇るのがお決まりのようで、
このレンズも後群をバラシてクリーンアップした。
前群はフィルター枠が微妙に歪んでいるようで全く動かなかった。

マックス・ベルクにより、1933年に登場したダブルガウスのズマーは、
その後のズミターからズミクロンへと続く、ライカ製ダブルガウスの礎になったレンズだけど、
描写に関しては、とてもライバルのゾナー5cmの敵にはなり得なかった。
その割に結構大量に生産されたのは、独特の味わいが好まれたのではないかとも思う。

ズマーは一枚目のレンズの硝材が柔らかいのも特徴。
造られて、もう80年にもなるレンズである。
少しくらいの傷は気にしてはいけないし、
ましてやコーティングなどするべきではない。
あるがままを尊重してやるのが旧いレンズの楽しみ方だ。

ズマールの本来の発音は、ゾナーと同様にズマーが正確である。


2017-1-5訂正・追記






最終更新日  2018.01.05 21:27:58
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2017.12.23
カテゴリ:レンズ
昔は、旧いライカスクリューマウントのカメラに最新のレンズを付けようと思うと、
社外品というかライカ以外のメーカーのものしかなかった。
勿論、それはそれで素晴らしいし存分に楽しめる。

それが、1999年に日本限定で新時代のライカ・スクリューマウントが発売された事がある。
恐らく、当時世界で一番ライカを売っていた、
レモン社のリクエストで作られたレンズがそれで全部で3本。
50mmがf2のズミクロンとf1.4のズミルックスと、
35mmf2のアスフェリカル・ズミクロンだ。

50mmf2で400本の製造数だったらしい。
丁度、ズミクロンの35mmミリを買おうと思っていた所だったので迷わず発注した。
その後、やはり標準レンズがメインなので50mmf2も追加。
円高もあって、確か50mmf2は9万円台だったと思う。


当時は並行輸入で新品のM6が16万円前後で買えたし
頑張って買った、今でも現用しているM6チタンも23万円位だっと思う。
f1のノクチルクスも探せば20万円を切っていたものがあった。
新しいライカ製品というと、その頃は手抜きだとか味気ないと見下されて、
むしろ旧い奴の方が人気で割高で、新しいライカ製品に関しては実に良い時代であった。

個人的には、既にバルナックタイプやダブルストロークのM3も持っていたけど、
リバーサルフィルムがメインだったので、露出計内臓のM6の方が、
ライカ原理主義者がうっとりしているM5よりも信頼性もずっと上で、
多少密度が軽くなっても、何より使うという事おいて、
手に馴染む感じは良好で見た目もずっと上だったと思っていた。

既にクラッシックカメラブームなるものが始まり、
国内におけるクラッシクカメラの相場は高止まり状態であったので、
その頃にはバカ高い国内には見切りをつけて、
個人輸入でアメリカのウッドメア―や、J.O.テッパー氏から、
リストやカタログを送って貰いエアメールで中古カメラを買っていた。

その相場は送料を払っても当初は国内の半分位だったけど、
それが段々上昇して行くのを見ていると、
世界一高かった日本の市場に引っ張られていたようだ。

昨今のライカレンズの値段となると、ボッタくりではないかと思う位で、
既に中古でも眩暈がする状態に落ち着いてしまった。


新世代ズミクロンの最短撮影距離は、バルナックタイプに合わせて1mに変更され、
鏡胴は昔ながらの真鍮なのでズシリと重いレンズである。

このレンズはライカLマウントというユニバーサルマウントなので、
本家以外の国産ライカや旧ソ連ライカにも付くのが良い。

これで写真を撮って何か問題があれば、
それはカメラ本体かフィルムとか撮影方法がおかしいのだ。

取り合えず、この2本のレンズがあれば、
距離計付きのライカで写真を撮るという事に不足はない。

左がライカⅢfに第4世代/4Gのズミクロン50mmf2。
右がキヤノンL2に第5世代/5Gのズミクロン35mmf2アスフェリカル。
50mmはフード内臓で、35mm用は別に付属している。


2017-12-24追記 2018-1-21追記






最終更新日  2019.04.02 11:17:26
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2017.12.02
カテゴリ:レンズ
チベット密教に関わるものに曼荼羅というのがある。
主尊を中心に諸仏諸尊の集会(しゅうえ)する楼閣というのがそれである。

ところで、自宅ではレンズやカメラで余り使わない奴は、
タンスや密閉式の衣装ケースに放り込んである。

その中から、お目当てのレンズを探したけど中々見つからない事も多い。
仕方なく整理ついでに適当に並べて写真を撮ってみたら、レンズの曼荼羅になった。

この時の曼荼羅の主尊は、
オランダ製のデ・オーデ・デルフトのレイクサー50mmf0.75。

分厚いアルミニウムのフレームに収まった巨大なレンズは、
名前からしてX-Ray=X線という事で、恐らく間接X線撮影用だろう。
絞りがなくて前玉はデカいけど、後玉は5円玉くらいしかない。


こちらはローデンシュトックのXRヘリゴン75mmf1,1。
XRは正にX線のX-rayの事だろう。間接X線撮影用のレンズと思われる。

トプコール50mmf2と並べた、
レイクサーと同じスペックのローデンシュトックのTVヘリゴン50mmf0.75。

バカバカしいほどにデカくて重いレンズで、f2と比べても同じ焦点距離とは思えない。
とにかく足の上に落とすとシャレにならないので注意が必要だ。
TVとあるけどブラウン管の事だろうか。
これも間接X線撮影用レンズと思われる。


たまに見かけるこういうレンズが、普通の写真で使い物にはならないのは、
撮影対象がX線の間接撮影に使われる蛍光板の蛍光体発光なので、
元から低コントラストな上に、解像度がミリあたり2本程度であり、
色収差の補正も単純なもので充分であるからだ。

こういう間接X線撮影用レンズにとって大事な性能とは、
明るさと空間周波数0~2.5本/mmという低周波域での解像度なのである。

この手の超大口径レンズは、見掛けると値段もそれほどではないので欲しくなるけど、
バックフォーカスはやたらと短く、像がフヤフヤで結局のところ主な使い道は観賞用でしかない。






最終更新日  2018.06.26 15:27:00
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2017.07.29
カテゴリ:レンズ
今更、カール・ツァイスについて説明をする必要なんかないのだけど、
宮沢賢治さんが亡くなった翌年(1934年)に発表された童話、「土神と狐」の中で、
狐が見栄を張って、たった一人の友人で女性である1本の樺の木に、
「見せてあげませう。僕実は望遠鏡を独乙のツァイスに注文してあるんです。」という1節がある。

罪悪感を覚えながら、去り際にハイネの詩集を渡すようなキザな奴だけど、
普通の男なら何となく理解が出来る話ではないか。

当時は、とてつもなく高価で希少だった、独乙(ドイツ)のツァイスの望遠鏡が、
貧乏人が見栄を張るための小道具として登場するのである。
戦前のコンタフレックスが、当時は家一軒と等価である、というのは良く聞く話だけど、
天体望遠鏡は凄い。流石は宮沢賢治先生である。

本物のツァイスの望遠鏡は、三鷹の国立天文台で見たことがあるけど、
口径20cmで1938年製の望遠鏡は、今でも太陽観察会で使われているそうだ。


家に転がっているツァイス・レンズで、一番大きいのが、
旧東ドイツのカールツァイス・イエナ製のゾナー180mmf2.8だ。

何と言っても、ヤシカ・コンタックス(Y/C)製の同スペックゾナーと違い、
戦前の1936年に発表された、ルードヴィッヒ・ベルテレ氏がプロデュースした、
中身が大きなガラスの塊で3枚張り合わせのレンズが必要という、
手間と製造コストが掛かったオリンピア・ゾナーの直系なのだ。

このゾナーという名前は、
ゾントハイム市の紋章にある太陽のシンボルから来ている。
ベルテレ氏はエルネマンに在籍していた時に、
エルネマンの星という意味のエルノスターというレンズを作ったけど、
星に続く大口径レンズと言う事で太陽になぞらえたのだろうか。


望遠鏡とは月とスッポンだけど、これにY/C製のメタルフードを付けると中々の迫力。
昔は、物価の安い東欧圏に時々バックパッカーでうろついていたので、
その時に中古カメラ屋で見付けたものだ。
このレンズは、戦前から5つのバージョンがあるけど、
家にあるのは3番目の3Gタイプだと思う。

とにかく重くてデカいので、リュックに押し込んで持ち歩くのが大変だった。
帰ってから殆ど使わなかったのは、その重さとポートレートとかの用途が殆ど無かった事が大きく、
テスト撮影以降は、部屋の片隅の棚の上からで置物として存在感を放っていた。

その後、別の機会に性懲りもなく、
今度は旧ソ連のジュピター180mmf2.8(M42)を連れて帰って来た。
こっちは、イエナ・ゾナーのコピーであるけど、
初期型に比べ合理化された、家にあるゾナーに比べると造り込みは上で更に重いようだ。
当初は、M39というマウントで、小さな一眼レフのゼニスC(エス)に付く仕様だったのは、
使用目的が軍事だったのであろう。

DNAは同じの、異母姉妹とも言うべき2本のレンズを並べてみた。
写真は好きだけど、鑑賞が主なレンズというのも少しはあった方が楽しい。
それにしても、光学機器で女性に見栄を張る事は、間違いなく無駄である。







最終更新日  2020.05.16 18:02:47
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2017.07.24
カテゴリ:レンズ
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旧い、Sマウント(Lマウント)のキャノン50mmf1.8が好きである。
表面仕上げがダイヤ切削と思しき、真鍮で出来た比重の高い鏡胴と、
何というか、湿り気を含んだような淡いコーティングの、
1951年に発売された言わずと知れた銘玉。

今でも一級の写りで、しかも安価なので、ライカLマウントの入門レンズとしてもお勧めである。


伊藤宏氏が、ダブルガウス特有のコマフレアを無くすために、
絞りを挟んだ前後群の役割を別にした所がミソ。
この後、キャノンはこの理論を駆使して、
広角の大口径化や、50mmに関しては、F0.95まで発展させていき、
これ以前は、大口径レンズの代表格だったゾナー型を駆逐したのだ。


Lキャノン50㎜f1.8の作例(銀塩写真)
畑のカカシだけど、見掛るとギョッとする。






最終更新日  2020.05.16 18:06:18
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