カマキリの保護
毎年、晩秋になり畑や庭を片づけているとカマキリの卵を見付ける事がある。あの独特の茶色いスポンジのよう卵に関して、子供の頃、冬の季節にススキの枝にくっついているカマキリの卵を見付けてきて、それをずっとコタツ板の上のペン立てに飾っていたら孵ってしまい、母親と大騒ぎで窓を開けて小さなカマキリ達を冬の寒空の下へ払い落した記憶がある。子供心にも可哀そうなことをしたと反省したけど、母親共々に真冬にカマキリの子供が生まれるなどという頭がなく、いずれ春になったら自然に孵るものなので、暖かくなったら野に帰してあげようと思っていたのだ。カマキリは身近な昆虫であり小さい頃は怖かったけど、ある程度慣れてしまえば捕獲も簡単で、それを捕まえる事が出来れば昆虫採集仲間から一目置かれるようになるのだ。春になり植物が成長をはじめて暫くすると、自宅の庭でも茶色で爪楊枝ほどの細い奴を見掛けるようになり、段々成長して緑色の大人になると結構目立つので見付けるのが容易になる。出会えばカマキリファンは野良仕事なんか一旦中止して、そいつを掌に乗せて観察したり背中を撫でたりして、”元気そうだな”などと声を掛けて息抜きをしている。カマキリには迷惑だろうけど自分の庭以外の散歩道でも同じ様なもので、見付けて近づいていくとカマキリにも個性があるのが興味深い。大抵は草むらに逃げ込んでいくけど、時々は羽根を広げカマを振り上げて威嚇してくる奴がいたり、こちらのされるがままの大人しい奴もいる。家の庭にいるのは大人しくてされるがままが多いけど、一応、家の主に気を使っているのだろうか。夕方に帰宅するとアマガエルと一緒になって、玄関の外灯の上で明かりに寄ってくる奴らを晩飯にしようと待ち構えていたり、夏の夜に窓のカーテンを開けて外気を網戸越しに導入していると、同じように晩飯に釣られたらしく大きな羽音で飛んできてビックリする事がある。こういう民家が根城の連中は、天敵の鳥がいないのを知ってか知らずか、時々、壁に掴まって休んでいるのを見掛ける。カマキリ好きは指で突いたり背中辺りを触ったりするけど、大概は顔をこちらに向ける位のもので大人しい。それでも稀に羽根を広げて飛び立つ場合もあってビビってしまう。カマキリは昆虫界で食物連鎖の頂点にいる生き物だ。肉食なので獲物を捕まえるために、三次元で立体視出来るよう正面に目玉が二つ並んでいて、オマケに複眼の奥が見る角度で黒く見えて動物の瞳のようになる偽瞳孔なので、人が近づいたりした場合、大抵はこちらに顔を向けるのだけど、この時に動物のような表情を作り出すのが面白い。ある時、そこが縄張りなのか、車庫を出た傍のミントが生えている場所で良く見掛ける奴がいて、時々、朝出掛けようとするとクルマの前のアスファルトで呑気に日向ぼっこなんかしていて、轢いてしまっては可愛そうなので掌に乗せてミントの林に戻したりしていた。以来、いつもクルマで出かける度に、ウインドウ越しにミントや車庫の壁に存在を確認するのがルーティンになってしまい、暫く見かけないと日向ぼっこしている時に鳥にでもやられたかと心配したりしていたのだ。洗車などしている時に見掛ければ、”元気そうだな”と声を掛けて背中を撫でたりしていたのだけど、偽瞳孔の顔をこちらに向けてじっとしているのを見れば、人懐っこい野良猫と変わらない感情が芽生えてくる。やがて季節が過ぎて寒くなり、植物も枯れて虫も居ない11月に入ったばかりの夜だった。家に帰りクルマから降りてすぐ横の玄関に向かうと、外灯に照らされているドアの取っ手にしがみついているのを見付けた。実際には10月を過ぎてから殆ど姿を見せず、流石にもうダメだろうなと諦めていたので、寒空の下でもまだ元気だったのが嬉しかったけど、一体いつからしがみついていたんだろうか。取り合えず玄関のドアを開ける前にスマホを取り出して写真を撮る。晩飯を食いながら、虫の声も絶えて久しい寒い時期に、カマキリなんて飼えるのだろうかとネットを探ってみる。どうやら魚肉ソーセージやヨーグルトなどの動物質がいけそうという事で、早々に虫カゴを手に玄関を開けると、まだ同じ格好で取っ手にしがみついている奴を部屋に連れてきた。メスに食われることもなく、後ろ足の一本の先端が欠落してなお、寒さの増した冬の入り口まで生き延びてきた勇者であるので、酒が飲めれば丁重にお迎えして一緒に熱燗と料理を振舞うべき相手だ。夕食後に魚肉ソーセージを小さくちぎり楊枝に刺して目の前にちらつかせると、カマで手繰り寄せて齧るのだけど、何度やっても三口程で放り出してしまう。そこで魚肉ソーセージに飲むヨーグルトを垂らして差し出すと、カマで掴んでむしゃぶりついてくる。そういえば、2週間近く雨も降っていなかった事を思い出した。水分の方が重要なのではないか。ヨーグルトをペットボトルのキャップに少しだけ移すと、楊枝にそれだけを付けて口元に持っていくと、カマで掴んで首を動かして器用に舐め取っていく。以来、自分の朝飯と晩飯の前に、カマキリに飯を食わせるのがルーティンになってしまい、一晩おいて少し水分が飛んだ飲むヨーグルトを用意して、”どれ飯でも食うか”と勇者のいる虫カゴを開けると、カマを人差し指に引っ掛けてから手の甲に乗せて外に出す。ヨーグルトだけでは心配なので、時々はそれに鰹節の粉をまぶし、更には鰹節そのものや卵焼きとかチーズの小さな欠片をあげたりしつつ、ついでに餌としては一番楽な魚肉ソーセージもあげたりしたけど、これは元から好きではないらしく相変わらず少しだけ齧って放り出した。差し出された爪楊枝はカマで手繰り寄せると器用にむしゃぶりついて無我夢中。楊枝からは微かな振動が伝わってきて、軽く引っ張ると結構な力で爪楊枝をつかんでいるのが分かる。楊枝に付いている量なんて知れているので、食い尽くしてカマを離したら再び同じ事を繰り返す。やがて、もう要らないとなると、楊枝を差し出してもカマで拒否して顔も背けるので完了。再びカマを人差し指で引っ掛けて虫カゴに戻す。時々、TVを観ている時に何となく虫カゴを見やると、音と動く物に反応しているのか、身じろぎもせずジッとTVに目を向けていたのを思い出す。時々は食後にテーブルの上の鉢植えの植物や窓のカーテンを登らせたり、主食のヨーグルトそのものの真っ白くて細い糞の掃除をしたりして一緒に暮らしてみると、メシ時以外は居るのか居ないのか良く分からんクワガタなんかよりも、カマキリは表情が豊かで一緒にいて楽しい生き物である。これで魚肉ソーセージを自分でで食ってくれれば文句はないのだけど。これなら年を越すんじゃないかと期待していたのだけど、やがて3週間ほど経つと動きが鈍くなり餌の量も減り、カマで拒否するのを無理にヨーグルトの滴を口元に垂らしてやると、滴が小さくなっていくので飲み込んではいるようだ。それも、ヨーグルトの滴はそのままとなってしまい、次にそれを薄めた後の摂取物は水だけとなり、最後はジッと動かぬままにひたすら死を待っているようだった。既に口元の水滴もそのままの状態になって暫くしたある日、いつものように口元へ水を一滴垂らし、何となく首の後ろを撫でてやると、驚いた事にシャッとカマを上へ振り上げて降ろす反応があった。オヤッと思い、もう一度首の後ろを撫でてやると、同じ動きを繰り返してくれたのだけど、これが彼の最後の反応だった。次の日にはついに何の反応もなくなってしまい、更に一日様子を見て、もう直ぐ師走になるという一段と寒くなった朝に、今まで通りに口元を水で濡らしてから、裏の林の白樺の木の根元へ行き、幾らかは暖かいだろうと落ち葉の中に埋めて手を合わせた。最近になり黄色やピンクの花が目立つようになり、ようやく春めいてきた諏訪地方。今年はどんな奴と出会えるかと今から楽しみにしている。