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カメラとレンズ

2020.09.05
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カテゴリ:カメラとレンズ
オリンパスが、1936年から続くカメラの生産から今年の6月に撤退してしまった。

本音を言うと、個人的には岡谷工場がドンガラになった時点で、
既にオリンパスのカメラは終わったなと認識していた上に、
デジカメには余り興味が無いので、申し訳ないけど特に感慨も無かった。

最初、カシオにしかなかったデジカメを手に入れてから、
次に入手したのはオリンパスのカメディアだったけど、
それ以降、デジカメは安物ばかりで満足してしまい、
オリンパスのデジタルPENやOM-Dを買おうという所まで行きつかなかった。

銀塩なら、OM-1N、OM-3は今でも時々連れまわすし、
簡単軽量のOM-10とOM-101も持っている。
コンパクトカメラならオリンパス・エースがお気に入りだ。

その上で、ジャンク上がりで怪しいけど、
いずれ整備してやろうと思い買い込んだオリンパス35Sがある。
どうも、世の中では広角レンズ付きのオリンパスワイドの方が人気があるのだけど、
個人的には標準レンズが好きなので35Sの方が良い。

35Sは1955年にオリンパス35の上級機として登場。
レンズシャッター機では初のレバー巻き上げ、1/500の高速シャッター搭載、
連動距離計にセルフコッキングを備えた新時代のカメラであった。

レンズは最初のf3.5以外にもf2.8、f1.9があり、
当時の価格は23、000円だった。
この値段については、当時の都市勤労者の世帯収入が28、283円だったので、
ほぼ一か月分であり、かなり高級なカメラであった事が分かる。

因みに、同時期に販売されたオリンパスワイドは16,900円で、
35Sの原型ともいえる、昭和23年に登場した普及機のオリンパス35は10,600円であり、
こっちは高価な35Sとは別に進化して、Ⅴ型まで続くベストセラーとなった。

35Sは最後に1957年登場の35SⅡとなり、
f1.8のレンズを搭載して価格は32,800円となった。


手元にある、レンズのF値が違う3台のオリンパス35Sを並べてみる。
当時の都会の世帯収入に匹敵する高級カメラが3台も並ぶと、とても豪華な気分になる。

どれも何らかの問題があって使用不能のジャンクだけど、
実際に写真が撮れなくても、今は眺めてアレコレ想像するだけで充分である。


上から見ると、こんな感じ。ボディーは基本的に同じものだ。
50年代の金属製カメラは、大概は密度が高いので見た目以上に持ち重りがするカメラだ。


まずは35Sの基本から見てみる。
オリンパスのレンズで基本中の基本で名作という、テッサー型の4.5cmf3.5付。
いわゆる”サンハン”Dズイコーによる画像の切込みを想像してみる。


少し焦点距離が伸びた4.8cmf2.8のEズイコー付きの35S。
手元にある、レンズ交換式のオリンパス・エースに搭載されたレンズは4.5cmだけど、
同じEズイコーなので、実際には中身も同じではないかと思いつつ、
それでも、ほんの少し何かが違うんだろうな、と想像してみる。


焦点距離はf3.5と同じ、Gズイコー4.5cmのf1.9付の35S。
ダブルガウスによる大口径で、大好きなズイコーの名前が付いているだけで嬉しくなる。
こいつは絞りを開けても絞っても、それはそれで楽しいだろうな、と想像してみる。


いつか、この35Sを整備してちゃんと使えるようにしたら…。

f3.5にISO400のフィルムを入れて目測スナップ用、
f1.9にはISO100のフィルム入れてじっくり被写体と向き合う。
この2台を常に持ち歩き、f2.8にはISO200のフィルムを入れて、
普段は仕舞い込んで、バックアップに使うなんて贅沢じゃないか。


手元の65年も前に登場した35Sは、もう作られる事が無いという生産性のないカメラで、
おまけにちゃんと動く事も無いけど、どうやら修理が可能であるという担保があるお蔭で、
今でも往時の輝きをそれ程失うこともなく傍らに存在していて、
いずれO/Hをすれば、ちゃんと元の光りを取り戻して、
そこから結構な期間は輝き続けてくれるのは間違いないだろう。

65年前に登場したメカニカル銀塩カメラと古いデジタルカメラとで、
一番大きく違っているのが、人間の道具としての息の長さだ。
壊れたデジタルは、殆ど燃えないゴミになってしまうけど、
メカニカル銀塩という奴は上手く付き合うと、
持ち主がくたばるまで一緒に遊んでくれる息の長い相棒になり得るのだ。






最終更新日  2020.09.05 19:30:06
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2020.05.16
カテゴリ:カメラとレンズ
このブログでは、時代遅れの銀塩機材を取り上げていて、
その作例写真にも一々銀塩写真と断りを入れる時代になってしまったけど、
銀塩機材をはじめとするブツ撮りにはデジタルのカメラも使う。

今時、ネットでなるべく安いフィルムを探し、時にはアメリカから送って貰い、
安からぬ現像+CDの対価を払ってまで銀塩写真に拘るのは、
別に銀塩文化を途絶えさせないという大上段に構えたものではなく、
単純に銀塩カメラを使う事自体が楽しくて、
特に手巻きの機械式ワンショットカメラの場合、
手にした時の手触りは元より、操作した時の機械が作動する手応えと音というものが、
今時のデジタルには皆無だからだ。

だいたい、銀塩用のレンズ自体が、
35mm判なら今でいうフルサイズに対応して作られているので、
それをアダプターで違うサイズでトリミングしてしまったら、
価値半減で勿体ないではないか。

かといって、持っていると威張れるけど高価な、
デジタルのフルサイズカメラを買い込む余裕も趣味も無い。

時々、中古で安いレンズ交換可能なデジカメを見掛けて、
買おうかなと一瞬思っても、それで一体何を撮るのかと考えると、
今使っている、安物のデジカメで何の不都合もない事に気づいて止めてしまう事が多い。

と言う訳で、いわゆるスマホ以外のデジタルカメラに関しては、
三洋が生み出した傑作電池で単三のエネループが使えれば何でも良い。


デジタルカメラは、個人的に1996年発売のカシオのQV-10Aが一番最初だった。
これは新機種登場で安売りされていたとはいえ、割と初期の段階からデジタルは使っていた方だと思う。

まだカメラというよりは、写真が撮れるオモチャと言った方が良いレベルだったけど、
未来を感じさせる製品で流石はカシオだなと感心した。
今では考えられないけど、この頃の日本の企業は、
どこも社運をかけて新しい事に挑戦して世界に提案していた。


次に入手したデジカメが、まだ一級の電子機器は日本製だった頃の、
オリンパスのカメディアC-770。
本格的なEDガラスを使った光学10倍ズームが特徴の写りの良いカメラだった。

まだ動作が遅くて電池の消耗が早かったので、
外へ持ち出す気にはならなかったけど、
室内でブツ撮りなら何の問題も無かった。

ブログに使っている写真の幾つかも、これで撮っているものが使われている。
ローパスフィルタ無しの1/2.7インチCCDで画素数は約2百万画素だけど、
大きく拡大しても何の不都合もない。ただ、記録媒体が今では消えたxDピクチャーカード。


現用のメインデジタルカメラは、キヤノンのパワーショットA1400。
1600万画素だけど、画素数を落としているので2GBのSDカードが5年以上使っても余裕。
これを選んだ一番の理由が単三電池2本で使える事だ。
バッテリーは大容量のエネループ・プロを仕込んである。

このカメラには殆ど役に立たないけど、
ちゃんと光学ファインダーが付いているのが威張れる。
最近、電池とメモリーを入れる底蓋の爪が変形したらしく浮いてきている。

これの予備と言う事で、新品だけど新機種登場のお蔭で安売りされていた、
同じ様な仕様の、ニコンの単三電池カメラもあるけど、まだ出番は無さそうだ。

上のカメディアの写真が、このカメラのファーストショット。
カメラの左下の電池蓋に隙間が出ている。電池のバネが強すぎるんじゃないか。
いずれ爪が引っ掛からなくったら、このカメラの寿命である。


カシオとキヤノンを撮ったのが、タブレット代りに使っている左の富士通アロウズM03。
右はシャープのガラホSH-01Jでどちらも立派な日本製のデジカメである。

富士通には32GB、シャープには64GBのメモリが入っているので、
壊れたり使えなくなるまでメモリを取り出したりしないで済むと思う。


こういうデジカメを使っていると、ズームがあっても殆どデフォルトの広角側しか使わないし、
画素数なんて200メガもあれば、パソコンで見る写真と言う点では充分に機能は果たしてくれる。
と言う訳で、現時点ではデジカメに関してケータイか単三電池が使える安物があれば何の不満もない。


キヤノンA1400の作例
(元から画素数を落としていて大体500KBほどのファイル)

新宿駅で起きた人身事故現場。
あっという間に張られたブルーシートと、
左側で行われている警察の事情聴取という緊迫感。


これは訓練ではなくて、
高速道路で起きた交通事故で出動したドクターヘリが患者を乗せて、
ローターが回転を開始して離陸準備に入ったところ。


デジカメは、安物でも写真を撮る時の気の持ち方がスマホと異なる。
緊迫した状況ではスマホを引っ張り出す気が起きないのは、なぜだろうか。






最終更新日  2020.06.02 12:19:40
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2019.08.24
カテゴリ:カメラとレンズ
個人的に、偉大な初代ニコンFの後継機が企画され始めたのは、
実は1960年代の割と早い段階から行われていたのではないかと思う。

余りにもFの人気が大きかったので、
ニコンは出すに出せない状況だったのではないかな。


既存のレンジファインダー機のニコンSPをベースに、
一眼レフ用のミラーボックスを押し込んだ初代F。
その成り立ちからは、あのライカM3ショックに加えて、
高コスト化へ一直線だったレンジファインダーに先が見えなくなった、
当時のニコンの狼狽ぶりが伝わってくるようだ。

ニコンFは、有体に言えばSPを増改築したカメラであり、
既に定評のあったレンジファインダーのカメラをベースに、
ひたすら世界トップレベルの一眼レフという一点だけを目指したカメラだった。

そのFが世に出て、やがてタフなプロ用のカメラとして認識されていき、
神話まで生み出していたFに対するニコンの思いはどうだったのだろうか。

社運の掛かった一級のプロ用一眼レフを作るという前提であれば、
恐らく、最初から全て専用設計をしたカメラを作りたい、という思いはずっとあった筈だ。

結局、初代のFは1959年から1974年まで、
次のF2と4年間もダブって生産される事になっていく。


F2が登場した1971年にFをやめられなかった状況を作ったのは、
Fを真面目に世界のどこにもない、ホンモノのカメラに仕立てた、
松永さんをはじめとするニコンの技術陣にもあるけど、
主な原因は、Fに熱狂して先が見えなくなった内外のユーザーだったと思う。

そのニコンF2が、1971年9月に発売される事になったのは、
キヤノンが本腰を入れて作り上げて、1971年3月発売された、
本格的プロ用一眼レフ、F-1の存在だったのは間違いないだろう。

この時点で、何とも驚くべき事だけど、
ニコン社内では、既にF2は1年を超えて、
量産試作とテストを繰り返していたらしい。

それ以前の、ニコンF以外にプロ用の目ぼしいカメラがなかったという状況では、
既に世界中から認知されていたFの軛から逃れることは難しく、
結果として、F2はアクセサリー類もFと互換性があるものが多くなり、
外装デザインは、殆どそのまま踏襲する事になったのは仕方のない事であった。


F2は機能という点で、Fとそれ程違いのないものではあるけど、
カメラ本体のメカニズムに関しては、作る側の理想を好きに出来なくなった、
1973年に始まる、オイルショック以前に企画されていたのは僥倖。

膨大なニコンFの使用実績データを叩き台にして、
偉大なFを上回る機械式のマニュアルカメラを目指していた以上、
外観はともかく、中身は単なるFの改良版という以上に、
当時のニコンの理想がぎっしり詰まっているカメラがF2である。

横走りシャッターでは限界と言える幕速の高速化と耐久性を始め、
SP改のFでは出来なかった事を含めて、技術者のエゴと言えるものまで、
間違いなく相当な範囲で可能な限り、このカメラには投影されている。


ついでに、今に続く、報道はニコンでコマ―シャルはキヤノン、というカビの生えた認識は、
当時のニコンF/F2とキヤノンF-1の使われ方の違いだろう。

シビアな露光が必要な、カラー・リバーサルのフィルムが必須のコマーシャル部門では、
交換レンズのカラー特性を揃えて、最初からTTL露出計内臓のF-1が選ばれるのは当然だった。

一方、F2の露出計システムは、Fから続く後付け構造が基本。

これは70年代当時でも、時代遅れと言う事ではなく、
この頃の報道カメラマンは、どうもスタジオ撮影のコマーシャルカメラマンを下に見ていてたようで、
モノクロフィルムを詰めた、露出計もない複数のニコンを使いこなす事がステータスでもあり、
それは、社名入りの腕章以上に、遠くからも分かる一種のプレスカードであったと思う。


手元のニコンF2を眺めてみる。
一番目に付く改良点は、面が取られたエッジと、
上面が丸くなり革が張られたペンタプリズムカバー。

これは、恐らくカバーの上部に何かぶつけても傷を付けない配慮だろう。
正面からは先代のFとの違いが余り分からないという巧妙なデザイン。
大体、あの特徴的なFのピシっとしたプリズムカバーの鋭利な形状は、
プレス工程も多くて、材質も選ばないと、割れたりシワが出たりして歩留まりが悪そうだ。

機能としては、シャッターの最高速度が1/2000になり、
シャッターボタンの位置と、裏蓋が開閉式になったのが大きな変更点だけど、
Fから遠く離れたものではなく、遠目からもFと繋がったカメラであると容易に認識できる。

操作してみると分かるけど、安っぽさを微塵も感じさせない、
精度の高い部品がミッシリと組み合わさっている感触が伝わってきて感動する。
左側にある、表面がピカピカでキッチリと旋盤加工がなされた、
ガタも遊びもない巻き戻しクランク一つでも、その凄さが分かると思う。


F2は先代のFや後継のF3に比べると地味な存在だけど、
実態は、ニコンのプロ用ツールに対する理想が詰まったホンモノのカメラ。
NASAのアポロ計画やスカイラブ計画にも参加したプロ用ツールだ。

そのプロ用カメラに軽量なコンパクトなレンズを組み合わせると、ちょっと特殊なカメラっぽくなる。


次のニコンF3も、保守的なニコンユーザーの電子シャッターアレルギー対策で、
F2と4年ほどダブっているけど、これ以降のF6まで外装デザインがジウジアーロになったので、
F2が、プロ用一桁で、ニコン最後のオリジナルデザインのカメラと言う事になる。






最終更新日  2019.08.28 21:08:51
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2018.10.06
カテゴリ:カメラとレンズ
キヤノンの前身である精機光学社から独立した技術者達が、
光学精機社を立ち上げ、それを前身として1940年に創立され、
1941年には軍による国策により、
ニッポン銘のライカのコピー機を作り始めたニッカ。

戦後になり1947年には、
早くもカメラ名をニッカにして再生産を開始している。

ニッカは世界中のコピーライカの中でも、
かなり忠実にライカをコピーしているらしく、
パーツの精度や材質もオリジナルに忠実なようで、
それらは互換性まであるという。

と言う事は、オリジナルとは操作感も含めて何の遜色もない出来という事である。

今ではカメラ店の場所塞ぎになっている、
とにかく生産性を最優先したと思しき、
手抜き感が満載のフェドとかゾルキーよりも、
造りは数段上等の国産ライカなのだ。

もし安価なバルナックライカを考えているのであれば、
旧ソ連ライカよりも、ニッカやレオタックスの様な国産ライカを選んだ方が遥かにお得。


手元にあるニッカ3Sが発売されたのは1954年で、
ボディーの前面に2つあるシンクロソケットが特徴だ。

この個体は軍艦部にTOWER銘がある機種だけど、
これは、カタログ通販の草分けで、
アメリカのシカゴが本拠地で老舗百貨店の、
シアーズローバック向けに作られたものだ。

当時の為替ルートのお陰で、
安価の割に造りが良いという事で評価は高かったようだ。

巻き上げ途中で止めると、シャッター幕がよれているのが分かる。
上側の巻き上げリボンが切れてしまったと思われる。


シャッター幕とリボン交換を依頼したのは、
バルナックライカの修理を専門としている、
「LeicaRipairService」だ。

まずメールで内容を相談して、
ザックリとした見積もりを出して貰い、
梱包して送ると、暫くして到着メールと共に修理開始だ。

とにかく早くて安いし対応が良いので、
手持ちのバルナックライカで何か問題があれば、
まず相談してみる事をお勧めしたい。

ここは整備済みのバルナックライカやレンズなんかも売られていて、
オーバーホール代を考えると価格も安くて保証も付いているので、
下手な中古を買うよりも良いと思う。


LeicaRipairServiceから送られてきた、
ニッカ3Sのシャッター幕とリボン交換完了の画像。
個人には中々貴重なもので、これは結構嬉しい。


修理から上がってきたニッカ3S。
TOWERのロゴが入ったシンプルな軍艦部は、
特殊なライカみたいで気に入っている部分だ。

作業報告書を見ると、ついでに距離計の調整までしてくれていた。
3ヶ月保証付きのニッカ3Sに4Gズミクロンを付けて試写の準備。
ただ、週末は天気が悪かったりで中々行くことが出来ないでいる。


ライカリペアサービスの連絡先

質問:
https://secure.shop-pro.jp/?mode=inq&shop_id=PA01152006&__ara=eNqrVirNTFGyUvIpTzHxzzFxt8xxTUn2dy82zfRP884zTUyMDKpyLQ70VNJRKk4tLgarTTFKTEtNTDRKNDU3MTFJM0s0N7VIskhONrU0T0kyTDWNNzQ1tjAxMTMwMVSqBQDSvRz0

発送先:

〒843-0001
佐賀県武雄市朝日町甘久671
パシフィック武雄101
LeicaRepairService
0954-33-0907






最終更新日  2019.07.19 09:57:31
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2018.08.25
カテゴリ:カメラとレンズ
フォクトレンダーのコンパクトカメラ、ヴィトーBが発売されたのが1954年。
その後、BLとBRも派生しながら1960年まで作られた。

テッサータイプのカラー・スコパー50mmのf3.5とf2.8のレンズと、
4速のプロント・シャッターと、8速のプロンターSV・シャッターを組み合わせていた。

レンズは性能重視の全群繰り出しで、このクラスで良くやったものだと思う。
シャッターのチャージはフィルムスプロケットと連動しているので、
巻き上げレバーとは関連がなく、壊れていると勘違いする場合もあるので注意が必要だ。


今見ても小ささに驚くカメラ外観だけ見ても、
メッキや張り革の質はとても中級機とは思えないレベルであり、
全体の造り込みや加工精度も手抜きのない一級の出来栄えで感激する。

小振りで手にすっぽりと収まり、両端が丸っこくて可愛らしいくせに、
見た目よりもずっと比重が高くて、内部まで実に見事な工作をしているカメラである。

写してみても、操作感をはじめキッチリとした高密度の機械感が凄い。
テッサー型のスコパーレンズの優秀さも相まって傑作カメラだと思う。


1954年から1957年まで製造された初期型のヴィトーB。
レンズはカラースコパー50mmf3.5。
フォクトレンダーらしからぬ、グッドデザインである。


1957年から1960年まで作られた後期型。
レンズはカラースコパー50mmf2.8。
ファインダーが等倍になり機能は向上したけど、
デザインは本来のフォクトレンダーらしくアクが強くなった。


2台並べると、背の高さがだいぶ違う事が分かる。


裏蓋の開け方も独特で凝っている。
カッチリとした操作感でヘナヘナした所が無く、
改めて工作精度の高さと造り込みに驚く部分だ。
左の初期型は裏蓋の内側が結晶塗装である。手抜きは一切ない。


初期型の箱。
創業1756年のフォクトレンダーなので、
手持ちの1956年物のヴィトーBは丁度200周年である。


初期型のケース。本体よりも珍品かも知れない。


’50年代のドイツ製品の機械とは、中級機でもこのレベルであった事を再認識できるカメラ。
オーバースペックでオーバークオリティーの極みであった良き時代の文化遺産だ。






最終更新日  2018.08.25 19:30:08
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2018.08.04
カテゴリ:カメラとレンズ
手持ちのライカで、持ち出す事が多いのはM6とMPである。

M6は1984年に発売されて、
1998年まで生産されたロングセラーだ。
1998年から2002年まで、トップカバーが2mm高くなったM6TTLが登場。
シャッターダイヤルの回転が逆になり、2000年には0.52倍のファインダーが作られた。

M6というと、登場当時はライカ原理主義者には不評で、
好き勝手に言われ放題のライカであった。曰く…、
・操作感が安っぽくてペカペカしている
・特に初期型はどこか漏光をしていて造りが怪しい
・逆光では距離計が真っ白に飛んで使い物にならない
・露出計の表示が目障りで電気系に信頼性がない
しまいには、あんなものはライカじゃないとこき下ろされる始末だった。

更に不幸な事に、1990年になると親会社のヴィルト社から切り離されて、
ライカ社時代になると、ライツ・ウェッツラーの使用が禁止されてしまい、
トップカバーの刻印がいきなり無くなってしまった。

これに加えて、実用品というよりは写真とは無縁のコレクター向けという、
投機目的の様な、今数えると20を超える限定生産品を作り出したのもM6からで、
当然、ライカマニアからは輪をかけて貶されていく事になる。
とにかく、往年のライカを知る連中には評価の低いカメラだった。


個人的には操作感とか逆光とか刻印なんかどうでも良くて、
M4系のデザインとリバーサルフィルムには必要な露出計内臓は魅力で、
ライカマニアはウットリと目を細めるけど、
不細工でデカくて、既に露出計の怪しいM5は嫌いだったので、
M6をいつか買おうかなと思っていたのである。

やがて、1992年にオーストリッチ風の革とチタン色のM6が登場。
時は、空前の円高で並行輸入品が安くなっていたので、
当時、世界で一番安くて一番ライカを売っていた銀座のレモン社で迷わず購入。

以来、ずっと使っているけどM6は良いカメラである。
基本的にM6の金属パーツは亜鉛合金で構成されているけど、
この亜鉛合金にはチタンコートが難しかったらしく、
M6チタンには旧来の真鍮プレスパーツに戻してチタンコートを施している。
この真鍮というのは操作感にも幾らか寄与しているのではないか。

亜鉛合金で思い出すのは、オルゴールのムーブメントのベースである。
響きが良いらしく、オルゴールには良いかもしれないけどライカにはどうだろうか。

旧いクセノン50mmf1.5を付けたM6チタン。
多少合理化されたカメラでも、往年のレンズを付けると見た目も操作感もステップアップする。
革のハーフケースと布のストラップはアルチザン&アーティスト製。使い込むといい感じにヤレてくる。
ノッペラボウのトップカバーには、勝手に好きな物を貼ればいい。



2003年発売のライカMP。
これもライカ原理主義者には不評で、
1956年のオリジナルとは何の繋がりもなくて、
雰囲気だけのエセMPだとか言われていた。

ファインダー倍率は0.58倍、0.72倍、0.85が用意されて、
逆光での距離計が見えなくなる事への対策も行われ、
トップカバーに往年の筆記体の刻印が復活したライカだ。

ついでに巻き上げレバーと巻き戻しノブもM3時代に先祖返りしたけど、
この巻き戻しノブは残念ながら使いにくい。
ベッサR3Mのような、折り畳みのクランクに出来なかったかなと思ったりもするけど、
後付けのLEICA Rewind crank BP 14438の様な奴はカッコ悪くてダメだ。

もう一台、露出計内臓のライカを物色中、
新しいけど僅かに大きくなり、シャッタースピードダイヤルが逆方向になった、
M6TTLは問題外だったので、初期型のM6を探そうとしていたけど、
この新しいMPを見て、これをいつか買おうと思っていた。
広角用に0.58倍のファインダーも良いなと思っていたら、
2004年に、M型ライカ50周年+日本限定600台というアンスライト塗装が登場。

ライカ貯金で、銀座のカツミ堂にあった割引のセットを購入。
これには同じアンスライト塗装のライカビットが付いていたけど一度も使ったことがない。
張り革のシボも荒くて道具然とした雰囲気が実に良い。


沈胴のエルマー5cmf3.5を付けたMPアンスライト。
何か特殊なライカという雰囲気が濃厚で好きな組み合わせだ。
シャッタースピードダイヤルが、M6TTLの逆回転とは違い、
オリジナルと同じ方向なのも良い。

革のハーフケースと革のストラップは、アルチザン&アーティスト製。

このカメラは使っている内に、焦点距離の視野枠フレームが戻らなくなり、
いま、ファインダ―には全てのフレームが出っぱなしである。
個人的には、使うのは50mmが殆どで、たまに35mmレンズを使う程度なので特に不便はない。



こういう、イロモノライカは、なるべく人目に付かないように使うのが良い。

例えば、その頂点にライカにはエルメスバージョンというのがあった。
一時、エルメスの資本がライカに入っていた事があるので、
その時に企画された、ライカとエルメスという金満ブランドのコラボは、
ライカの歴史とプロ用の道具として長年使われてきた背景を考えると、
このカメラを持ち歩く人間からは、単に札ビラしか見えてこないような、
何とも鼻持ちならない部分が倍増してしまい、
これを見掛けても苦笑するしかない代物になり果てている。

というわけで、たとえライカ純正のものであっても、
ホンモノのカメラマンがウヨウヨしている銀座を、
これ見よがしに歩いたりすると笑い者になるだけなので注意が必要だ。

とにかくライカ原理主義者の前では、持っていても使う時以外は表に出さないのが良い。






最終更新日  2020.01.05 18:54:28
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2018.04.28
カテゴリ:カメラとレンズ
ニコンのニューFM2は好きなカメラの一つ。

ニコマートFT2の後継ともいえるFMからFM2を経て
1984に登場し、プロも愛用した銀塩時代の傑作カメラ。
2001年のFM3A登場まで作られたロングセラーでもあり、
シンプルでタフなお蔭で、今でも実用機としては文句のないカメラだ。

昔は写真学校の生徒さん必携のカメラで、
東京の街を歩いていて、これをぶら下げている若い人達を見ると、
おお、頑張っているなと、何というか嬉しさがこみ上げてきたものであった。

デジタル時代になり、ピントは勿論、
絞りとシャッター速度とフィルム感度の関係が曖昧になってしまい、
こういうフルマニュアルの機械式カメラは絶滅してしまった。

もし可能であれば、ニコンFマウントかライカマウントで、
巻き上げレバーで2ストローク程操作すると、シャッターチャージと、
発電機を回してキャパシタに電気を貯めて露出計とCCDとメモリをオン。
(チャージ後に放置して放電した場合は、巻き上げレバーで再チャージ。)
電源確認でシャッターロック解除。

シャッタースピードは10~1/2000秒のメカニカル。
絞りもマニュアル操作で露出補正もこれで行う。
フィルム感度は、固定のISO25~3200のマニュアルと、
プログラムAEの様なオートがあれば良いな。

こういう中身は機械式のマニュアル操作デジタルという、
基本的にモニターとバッテリーレスの、
1ショットでタフなフルサイズのデジカメが欲しいぞ。


手元には2台のニコン・ニューFM2がある。

左がフォクトレンダーの90mmf3.5を付けたチタン。

右はニッコール45mmf2,8Pを付けた、雑誌のラピタが企画して作ったラピタバージョン。
雑誌で予約受付した受注生産で、価格は普通のニューFM2と同じと記憶している。
ストラップも専用で、殆ど見掛けないけど一体どれくらい生産されたのだろう。
丁度、ニューFM2を買おうと思っていたので中古漁りは止めて購入した。
数はそう多くはない筈である。






最終更新日  2018.07.02 10:00:00
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2018.01.20
カテゴリ:カメラとレンズ
キヤノンから1966年に発売されたFTという一眼レフカメラがある。
30年ほど前に、新しいFDマウントの50mmf1.4を使いたくて、
この後のFTbを暫く持っていた事があるのだけど、
このカメラを選んだのは、当時からFDマウントが付くカメラの中で一番安かったからである。

元々安かったFT/FTbだけど、最近ジャンクワゴンでFTを見つけた時に、
その値段には驚いた。なんとワンコインの500円。

シャッターは快調、露出計も生きていて、外観もピカピカなのにこの値段。
電池はHD水銀電池の時代だけど、ドイツのヴァルタ【V 625 U】というのが代替できる。
アダプターでLRを使うよりも遥かに安いし安心だと思う。

実はFTというのは真面目に作られているメタルカメラなのだ。
QL方式のフィルム装填は楽だし、TTLの露出計を内蔵して、
裏蓋なんか指で押してもビクともしない位の頑丈なカメラ。

操作感も、まだカメラ=高級品の時代なので安っぽさがないのも良い。
ペンタックスSPやニコマートFTと比べても悪くないのに、この評価は実に残念であるぞ。
1000円で買ったFL50mm・f1.8レンズを付けて見た。

もう笑うしかないけど、たったの1500円で、
まだ人の手仕事が主だった、’60年代の光学機器の手触りと造り込みを味わえる。



キヤノンのFー1は、1971年にニコンのFに対抗して作られたプロ用のカメラ。
FXに始まるFシリーズの頂点ともいえるカメラなのだ。

個人的には初期型の方が好きである。
何と言っても操作感が、後のニューFー1の様なゴリゴリした安っぽさがないのが良い。
裏蓋は相変わらずビクともしない造りで、黒い塗装も艶があって漆塗りみたいだ。
今見ると少々武骨で野武士みたいな雰囲気が実に良い。
手にしてみると改めて良いカメラだなと思う。

久し振りにFL58mmf1.2を付けて見たけど、
重い上に、恐らくはトリウムガラス特有のヤケで発色が独特。
普段はテッサー型のFLマクロ50mm・f3.5が付いている。


FTもF-1も、実際に使う時のレンズは、
少し古くて少し個性的な安いレンズが良いと思う。
とにかくペカペカした感じのニューFDだけは合わない。

特にFLレンズの、鏡胴の造り込みと仕上げは見事で彫刻文字も緻密なのだ。
後のMCマシンと射出成型機で合理化されたレンズとは違い、
人の手の温もりが感じられて温かみがある。

キヤノンの一眼レフレンズは、
新しくなる度に機能に関係のない部分は単純合理化されて、
チャチになっていくのが機械好きには残念。






最終更新日  2019.02.12 20:30:53
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2017.10.28
カテゴリ:カメラとレンズ
コシナから、フォクトレンダー・ベッサLが発売されたのが1999年。

当時、最新のライカLマウントのカメラが登場した事に驚いたけど、その機能にも驚いた。
ファインダーも距離計もなく、露出計だけのカメラというよりは暗箱。

これは良いと早速入手して使っていたレンズが、
既に手元にあって、お気に入りだったリコーのLマウント・GR28mmf3,5である。

リコーの高級コンパクトのGRに付けられて、その描写で好き者を唸らせた傑作レンズは、
やがてライカLマウントとして1997年に3000本作られた。
これは幾つか鏡胴を用意して、レンズに合わせて組み上げたという拘りのレンズだけあって、
その写りには文句の付けようもなかった。

この組み合わせは気に入っていたけど、
1998年にGロッコール28mmf3,5が出てから、これにシフト。

実の所、リコーGR28mmは良いレンズだったけど、
いつの間にかバルサム切れになり、やがてリコーでも修理不能になり置物になっていた。
中古市場を見ても、このトラブルはGR28mmレンズの持病のようであり、
何だか、ツァイス・オプトンのレンズとダブる所がある。


ベッサLに殆ど付けっぱなしになっている、
専用フード付きのミノルタ・Gロッコール28mmF3,5は、
元は1996年発売のコンパクトカメラ、TC-1に付いていたレンズだ。
やがてライカLマウントで2000本限定で発売されて、
実にコンパクトであるけど、5群5枚の内の2枚3面を非球面で構成したという、
ミノルタの気合が感じられる傑作レンズである。

発売早々にGロッコールを入手して、もう他の28mmレンズは忘れていいと思った。
純正のフード付きの場合、49mmのレンズキャップが使える。

基本的にピントは目測で十分。露光もネガならそれ程神経を使う必要もない。
Lマウントの28mmレンズを使う道具としては、
こういうシンプルで軽量な組み合わせはベスト。
広角専用カメラとして、ベッサLは実に具合が良いのである。
Gロッコールとのコンビは、単純に写真を撮る道具然としていて、
可愛げのない特殊なカメラっぽいデザインがいい。

付いているファインダーは、無名だけど簡単にバラせて掃除も簡単で、
ホットシューに固定するネジが付いていて落下の心配もない傑作品。
予備や他の35mmとか探しているけど見掛けない。


バルサム切れのリコーGR28mm。レンズの下側を見るとが虹色になっているが分かる。
現在の中古市場を見ても、バルサムに関する記述が多いのは持病とみて良い。
従って、このレンズの購入に関しては覚悟が必要。

昔はプロショップでも修理不能で、
コンパクトカメラのGRのレンズとも、
サイズや構造が違うためどうにもならなかった。
現在では修理可能なようなので、いずれ復活させたいと思う。

印象に残っているのは、修理に関して部品保管期限を数か月過ぎただけで、
一切関りを持たないような対応をした当時のリコーである。
恐らく、相当数のレンズが持ち込まれてパーツが払底したものと思われる。
本来であれば、リコール相当の欠陥だったのではないか。


リコーGRが死んでから、Gロッコールがメインだけど時々他の28mmレンズでも使っていた。
風景写真を真面目に撮っていた頃は広角のメインだったけど、最近は広すぎて出番が無い。
Gロッコールは、個人的には一番お気に入りのライカマウントの28mmレンズである。

右上から時計回りに:

フランスのSOMべルチオ・アンギュロール 28mmf3.3は、
今は珍品扱いだけど昔はずっと安かった。恐らくトポゴンタイプだと思う。
絞り解放でも開き切らない構造になっている。

イギリスのコーフィールド・レトロルマックス 28mmf3,5は、
ライカLマウントでは珍しいレトロフォーカスで、
本来はぺリフレックスというバックフォーカスが必要なライカマウントのカメラ用。

旧ソ連のオリオン15 28mmf6は、
トポゴンタイプで絞りを最大に開けても開き切らない構造になっている。
軽量コンパクトで、暗いけど描写は一級である。その昔、田中長徳さんから安く譲って頂いた。




Gロッコール28mmの作例(銀塩写真)
一見すると普通の踏切だけど、よく見ると文字の表記が違う事に気が付く。実は台湾の踏切。




2017-12月加筆 12/30訂正






最終更新日  2020.06.18 11:39:35
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2017.08.21
カテゴリ:カメラとレンズ
今時、写真を撮る場合は、カメラが無くても取りあえず携帯とかスマホがあれば十分。
所が、銀塩写真となるとそうはいかない。必ずカメラが必要である。

世の中、格差社会などと言われているけど、
手持ちのレンズ交換式のカメラとレンズの組み合わせで、一番の格差写真機となると、
ケンコーのKF-3YCと、ヤシカ/コンタックスマウントのレンズの組み合わせだろう。

ケンコーのKF-Y3Cは、コンタックスが2005年にカメラ製造から撤退したあと、
2007年8月24日に販売された機械式のマニュアルカメラだ。
当時、最新の機械式コンタックスマウントのカメラという事で飛びついたのである。

喜び勇んでこれを東京で買い込んできて、お祝いをしなければと言う事で、
秘蔵のカールツァイス・プラナー55mmf1.2を付けて持ち出したのだけど、
ケンコーKF-Y3Cは安いだけあって中々の曲者であった。

ペカペカした感触のプラスティックのボディーは、まあこんなものかと理解できたが、
ゴリゴリとした、華奢な巻き上げレバーが折れるのではないかという位の重い巻き上げと、
大分光学系をケチったと思われる、ピントの山が分からないファインダーに腰が砕けて写欲減退。

シャッターの作動音もボディーの軽さ全開でパカンとかカチャンとした感じ。
ついでに、ホットシューのカバーは持ち出して5分ほどで紛失。

美点は、安くて軽くて機械式で、リバーサルでも露出がオーバーにならず正確という所。

結局、ケンコーは仕舞い込んでしまい、ヤシカ/コンタックスレンズは以前のように、
アダプターでEOSがメインであり、時々電池を抜いたコンタックスS2で使っている。


プラナーの55mmf1.2は、1996年にプラナーの100周年記念という事で、
当時のツァイスが、持ちうる最高の技術で1000本作られたレンズ。
とにかく、この世界最高の標準レンズが欲しくて、カメラ雑誌で一番安い所を探し、
東京の中野のカメラ屋さんに行って、幾ばくかの頭金とローンで購入したのだ。


55mmの大口径というと、初期の一眼レフ用がバックフォーカスの関係で、
f1.4では55mmとか58mmを採用していたのを思い出す。

カールツァイスの場合、像の平坦性を重視した完全補正型が基本であり、
プラナーの元の意味も「平坦」なのである。
50mmをf1.2の大口径にした場合、
像の平坦が保てないため55mmにしたと思われる。

同じドイツでも、補正不足型でデッコマヒッコマのライカとは思想も哲学も違うのだ。


現時点で最新のY/Cマウントの安カメラと、言わずと知れた高級レンズの格差写真機。
京セラのコンタックス終了で、こんな組み合わせの日が来るとは思いもよらなかった。
レンズに専用のメタルフードを付けると中々の迫力で雰囲気は悪くない。


ケンコーのボディーは、
最近になりレンズを付けて操作してみても無限遠でピントが出なくなった。
数回しか使っていないのに、ミラーズレなのか。
この耐久性では国産ブランドのカメラとして話にもならない。

ただ、このKF-Y3Cは、旧ソ連製のカメラよりもボロい短命なカメラであるけど、
別に腹も立たないし、捨ててしまおうとも思わない。なんか憎めないんだな。

 2020-5追記






最終更新日  2020.05.19 11:10:41
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