検閲逃れでデッチ上げた渡り鳥がトレードマークのフランスJAZの時計はオメガとも関係があった
小鳥のマークで有名なフランスJAZの時計。JAZは、1919年1月28日に、オメガの創立者ルイ・ブラン氏の子孫である、ルイ・オーギュスト・ブラン氏と、フランス人エンジニアのイヴァン・べネル氏によりパリで創立。名称は、Compagnie Industrielle de Mécanique Horlogère(C.I.M.H.)というもので、組織としてはSociété Anonyme (S.A.)なので、機械時計工業株式会社という所か。 当初は60万フランの資本金も直ぐに180万フランに増資されて、本社はマルゼルブ大通り18に置かれた。更に、パリ郊外のピュトーに2500平米の工場が新設されて、従業員は50人という規模であった。1921年になるとオメガから派遣された技術者と共に、最初の目覚まし時計”CLASSIC”が作られた。それはアラームストップボタンが上面に配された画期的なもので、およそ一万個を生産される事になった。以来、JAZの時計は最後に”IC”で終わる名前が付けられるようになる。時計のヒットにより、約10人ほどのエージェントによる販売網ディーラーが作られ、1922年には、目覚まし時計=JAZという同義語になるほど注文が殺到。1924年にはヨーロッパやアジアにも輸出を開始して、ピュトー工場の従業員は100人を数えるまでになり、やがて1925年には50万個、1929年には786万+7個の時計が販売された。その後。1934年にはゼンマイを巻く必要が24時間以内にある場合、インジケーターで表示するワインディングインジケーターを搭載し、1935年には従来の30時間から8日巻きのムーブメントを開発。第二次大戦中は、真鍮の使用を制限されて亜鉛で代用。やがてベークライトと陶器の使用も禁止されると、振り子時計と壁掛け時計の生産を中止。ドイツ占領下の1941年には、JAZ音楽が親米的という事から、検閲回避の為にJAZの上に、JAZと関連性を持たせるために、渡り鳥のキレンジャク【フランス語で(Jaseur de Bohème)/ジャズール・ド・ボエム】を配して、例の有名なトレードマークが誕生する事になる。戦後の1946年に時計の生産を再開すると、650人の従業員を雇い、1947年には資本金は4680万フランとなり、会社はアルフレート・マイトリピエール氏が議長を務め、ルイ・ギュスターブ・ブラン氏が副議長を務めていたが11月に死去してしまう。1948年には、C.I.M.HはJAZ SAとなり、1951年には世界61か国へ輸出されていた。同年、ラグジュアリーモデル専門の時計製造の為に、コルマールとアルザスに工場があったSociété Alsacienne dePrécision(S.A.P.)に参入。その時計には(Jaseur de Bohème)鳥のシンボルと、Sapic、Colmic、Alsicなどの常に「ic」の名前が付けられた。1954年には、フランスで最も古い時計メーカーだったジャピーを合併。1955年には、Jaz、Japy、Caratの3つのブランドがGénérale Horlogèreのもとで提携。1957年には2000万台の時計が生産されて、市場の1/3を独占。1959年になると、時計は電池を使用したものが登場し、3つの電気式ムーブメントを発表。1961年にはピュトー工場は解体されて、生産はアルザスのヴィンツェンハイムに集約。1962年には、2500万個目の時計を生産し、P・シャルボナ氏により開発された、トランジスター式のDRICをはじめとする、JAZISTORシリーズを発表。1967年には、ロゴマークの変更が行われて、小鳥の尻尾が上に上がったものになった。1971年の従業員数は850人。その後LEDや液晶表示のクオーツ時計も生産。1975年にS.A.Pを合併し、売り上げは1億5千万フランに達し、500万以上のモデルが生産されたが、工場で火災発生。1976年は、電子目覚ましに1000万フランを投資。JAZを含めた、Finhor、Cupillared Riemeの各社が、1,700人を雇用する新会社Framelecを設立する。所が、1979年になると有力な株主でJAZを支配していた、アンパン・シュネーデル財閥がマトラに株を売却する。年間の生産数は60万に低下し、従業員も500名に減少。1981年、日本の服部とマトラの話し合いによりクオーツ時計の生産の一部を中止。1983年から、ヴィンツェンハイムの工場は縮小されて、ブザンソンに移管しつつ、1990年には閉鎖された。これに先立ち、ナンテールのサイトは1984年に閉鎖。1986年、マトラは保有していた時計部門をセイコーに売却。1987年には、日本とフランスの時計ブランドを管理統合する為の、Compagnie Générale Horlogèreを設立。JAZブランドの時計は日本製ムーブメントを使いモルト―工場で生産。1989年にJAZは70周年を迎え、ネオアールデコの時計を企画するが叶わず、全ての時計生産を完了した。それでも2016年になると、DATA ACESS社により復活を遂げて、パリの15区にあるワークショップにより、1970年代のモデルとクラッシックシリーズを復刻している。家にある、高さ8cm弱の真鍮で出来た2つのJAZ製目覚まし時計。正面が扉になっていて、表面の画は細い線を張り付けて画を構成した、フランスでエマーユと呼ばれる手間の掛る七宝だと思う。左の時計には熱帯魚がモチーフで、右の時計には日本の漆芸で見られる蒔絵のような画が描かれている。どちらも和室にも合うと思うので、日本向けに作られた製品かも知れない。正面の扉は、左右にヌルヌルとした絶妙な感触で回転して本体に格納される。ちゃんと開閉の完了時には緩いストッパーが効いて簡単に動かないようになっている。小ぶりな割に重い時計。扉が開くと文字盤が現れる。右側の時計は、外側だけではなくて文字盤まで日本画風に仕立てられている。トレードマークのキレンジャクの尻尾が下がっているので、1966年以前の時計。アップライトの時間表示をはじめ、各部のパーツを見ても全体的に造りが良い。背面にも、結構複雑な形状で七宝の片開きの扉が付いている。これを開けるとムーブメントの操作が可能。黒い熱帯魚の方は11石の8日巻きで、白いジャポニズムの方は7石のムーブメント。刻まれている文字が黒い方は彫刻だけど、白い方は打刻だろう。全体的に、かなり高級な時計で、いわゆるラグジュアリーシリーズと呼ばれるものだろうか。そうなると、1951~1966年の間に作られたと言う事になる。2つとも、天板の化粧板らしきものが無い。元から無いというのではなく、どうやら剥落して紛失したらしい、というのも接着剤の痕跡らしきものが残っている。黒い方は、オーバーホール上がりで快調。白い方も近々オーバーホールの予定。細かい七宝などの造り込みを見ても、元は高貴なお方のトラベルクロックだったのかもしれない。