毛筆は義務教育終了以来は縁が無いけど石が好きなので硯は幾つか持っている(辰野の龍渓石と熊野の那智黒石と澄泥)
個人的には何もしないクリスマスが終われば、あっと言う間に正月が来る。余り時節とかに拘りたくないけど、今年は年初めの土曜日が1日なので、一応その正月に縁のあるものを取り上げてみた。文人の書斎である文房にある文房具で、書画に使われる道具で特に大事な、筆、紙、墨、硯の4つを文房四宝というらしい。個人的には文人ではないし、書画の趣味も無いのだけど、石が好きなので硯は幾つか持っている。日本での硯の使用は弥生時代にまで遡るらしく、最初は焼き物の陶硯(とうけん)だったらしい。天然石を用いた石硯(せきけん)は、中国で六朝時代(222~589年)に登場。日本では10世紀から陶硯に代わり使われるようになったらしい。和硯(わけん)と呼ばれる国産硯で特に有名なものは、山口県の赤間石と宮城県の雄勝石(おがついし)だそうだ。家にある和硯の石材は、長野県辰野町産の龍渓石と三重県熊野市産の那智黒石。龍渓石は、自宅からそう遠くない辰野町で産出する石で、横川地籍で砥石を採掘していた際に、江戸時代後期に発見されて、文人で漢学者の渕井椿斎さんが硯を作った事が始まりとされている。その後、高遠藩が全てを管理するようになり、玄晶石の硯を生み出して、石の加工技術では日本でもトップレベルだった、甲州の雨畑から硯職人を呼びよせて技術指導を仰ぎ、硯の製作を開始。当初、その硯は秘硯とされ民間に出る事は無く、大名への贈り物として作られたらしい。その後、領外へは高遠硯、鍋倉硯として売られるようになった。所が、明治初期には栄えたものの大正期には衰退してしまう。それが昭和に入ると、甲州の名産だった雨畑の石が採れなくなり、川口丁郷さん、翠川希石さん、深沢秀石さんらが 甲州より移住して再興する事になる。そして昭和10年には、当時の長野県知事だった大村清一氏によって、原石に「龍渓石」と名づけられた。石自体の学名は「黒雲母粘土板」で、石齢は2億年以上。石の表面には、独特な褐色の錆が見られ、昭和62年2月には長野県の伝統工芸品に指定されている。実は、諏訪から近い場所にある辰野で硯が作られている事はずっと知らず、最近になり自然石の形状を生かした面白い硯に出会い、初めてそれが龍渓石という辰野産の石という事を知った。家にある龍渓硯は2つ。最初に取り上げる硯は、縦10cm程の小さなもので使用感は無く、龍渓硯に多い原石の風合いを生かした造りになっている。硯の右にあるのが、硯本体よりも遥かに厚みのある蓋で、硯の上に置くとぴたりと合わさって隙間もない。その蓋の表面には橙色の錆があり独特の景色を作り、硯と蓋を合わせたトータルの高さは8.5cm程になる。小振りだけど遠目には一つの石にしか見えない、水石の様な造りが見事で、一体どうやって加工しているのだろうか。裏には”龍渓”と”希石刀”と掘ってあり、昭和初期に甲州から移住して龍渓硯を復活させてくれた、翠川希石さんによる貴重な作品ではないかと思っている。2つ目は縦23.5cm程の硯で、右にあるのが硯の蓋。裏を見ると、昭和50年7月1日 労働大臣進歩賞受賞記念とあり、その横に、(株)間組 高瀬川建設所の文字が彫られている。加えて、これを製作した翠川堂の文字と、ちょっと読めないけど作者銘も刻まれている。46年の間に硯として使われた形跡がなく、ずっと置物か仕舞われたままだったのだろう。上の硯は黄色い布に包まれて、パンフレットが付いていた。翠川堂の創業者は、当然ながら上記の翠川希石さんだろう。昭和4年春に創業した老舗だ。那智黒という石がある、調べると実際には熊野黒というべき石であり、時の為政者により付けられた名称が、後世になってもそのまま使われているらしい。初めて文献に表れるのは「紀伊続風土記(1839)」という歴史を持つ。遣唐使の中国への贈り物にも使われた(「棋子」碁石)でもお馴染みの、黒くて緻密な那智黒石というのは、3つ程に分類できるらしい。1.中世の熊野詣で那智山に供えられた石で、 産地は新宮から那智の礫浜と、新宮市の佐野の浜。2.近世になり庭園に使われた玉砂利の石で、 産地は熊野灘沿いの礫浜、和歌山県新宮市の佐野の浜、三重県の七里御浜。 現在では「御浜小石の黒那智石」と呼ばれている。3.近代になり、加工用石材として重要な価値を持つもので、 産地は三重県熊野市神川町のみ。昔は「神溪石(しんけいせき)」と呼ばれていた。実際には、那智の浜は砂浜であり那智川から黒い石を産出する事も無いので、那智という名称により色々と誤解を生む要因ともなっているようだ。現在の三重県熊野市神川町産の那智黒石である神渓石は、烏翠石(うすいせき)とも呼ばれ、金の品位を見る試金石としても使用された。土地の人は神上石(こうのうえいし)とも呼んで大切していたようだ。熊野の那智黒には熊野の神が宿っている、という事か。同じ、黒い石としては、地元の長野県和田峠産の黒曜石があるけど、これも、縄文期から黒曜石の矢じりには、実用以外にお守りとしての価値もあったらしく、昔から黒い石には特別な力があると信じられてきたのではないか。1.かつて神渓石と呼ばれた加工用の石は、紀伊半島南東部で産出し、 学術的には熊野層群大沼累層中の黒色頁岩の事である。 詳しく書くと、水成粘板岩が噴出溶岩と接触して 多量の炭素を含んだ黒色硅質頁岩であり、 地質区分は熊野層群大沼層(新第三紀前期中新世/約1,500万年前)。 神川町神ノ上集落から大河原集落にいたる東西約4kmに分布している。2.玉砂利用の石の方は、紀伊半島中央部の古生・中生層から、 熊野川などの河川によって熊野灘に運ばれた粘板岩の礫。いずれも地層的には全く違うものなので混同してはいけないし、那智の名前が付いていても那智産ではない事だけは覚えていたい。家にある那智黒石の硯は、縦の長さが17.5cm程。元々、石が好きなので、こういう原石の景色が生きているのが良い。真っ黒で、緻密な上に滑らかで、特有のしっとりとした風合いの石の特徴が分かる。1面だけある中国の唐硯、澄泥硯(ちょうでいけん)は、清の乾隆帝が愛した硯であり、出現したのは宋代らしい。唐硯と言えば端渓という日本なので、へそ曲がりは敢えて違うのを選んだ。江蘇省の霊巌山を産出地とする硯で、近年まで泥を焼成した焼き物という見方もあったけど、現在に至るまで焼成した窯跡が見つからないので、天然石である事が有力になっているらしい。いずれにせよ、まだ真相がはっきりしていないのが面白い。個人的には、陶磁器も好きなので、どっちに転んでも結構。家にあるのは、周辺に廻雲紋がある小さな硯で、大きさは縦方向で10.5cm程。裏側もキッチリとくり抜かれていて、高さも結構あって手間が掛かっている。色は緑がかった褐色というのだろうか、目の細かい緻密な材質で硬質な硯だけど、見て触った感じは、陶器ではなくて磁器に近いものがある。