生粋のパリジャンが作ったシュバリエのレンズを覗くと見えてくる写真の黎明期。
写真の黎明期に使われたレンズにシュバリエというのがある。これを作ったシャルル・シュバリエは、1804年にパリで生まれた眼鏡技師で眼科医であった。1760年にシャルルの祖父ルイ・シュバリエにより、パリ裁判所の時計塔に近い、69,Quai de l’Horlogeに眼鏡工房は設立された。シャルルの父ヴィンセントは顕微鏡の色消しを研究していたが、1821年に息子のシャルルが入社した2年後の1823年に顕微鏡は完成している。それに続いて作られたのが、写真術の原型となったカメラオブスクラ用の色消しレンズである。顕微鏡の色消しとは、特に対物レンズに色収差があると、倍率が高くなる程、像に虹色の滲みが出てしまいコントラストもガタ落ちになって、使い物にならなくなるので、その対策が必要だったのだ。例えば、顕微鏡で有名なライツは対物レンズの一部に、今ではキヤノンの高性能望遠レンズの看板になっている、特殊低分散の蛍石(当時は天然の鉱物)を使って色収差を抑え込んでいた。そのライツの顕微鏡をコピーしようとしたオリンパスでは、似たような光学ガラスを当てはめてレンズを組んでいたのだけど、どう研磨しても砂目になってしまうという、柔らかい蛍石レンズの正体が中々掴めず苦労したらしい。やがて、1825年には黎明期の写真術の先駆者の一人で、既に1824年には写真画像を作っていたと言われる、ニセフォール・ニエプスが写真用のレンズをシュバリエに求めてきた。この時に、シャルル・シュバリエは、後に写真の発明者と呼ばれる、画家でジオラマ作家だったダゲールの住所をニエプスに教えた事で、1829年からニエプスとダゲールは協力して写真術の向上に取り組むようになった。所が、ニエプスが1833年に急死すると、その技術を引き継いだダゲールは、1839年に世界初の実用的写真術を発表する栄誉を手に入れる事になる。実は、ニエプス以外にも写真術を研究していた人は存在していて、イギリスのタルボットは、1835年にカロタイプの写真術を発明していたけど、その方法を秘密にしたので発明者としては認められず、更に、1839年のダゲールタイプを発表した同じ年に、同じフランスのイポリット・パヤールが、タルボットと同じカロタイプの写真を作っていたけど、これも認められる事は無かった。1831年にシャルル・シュバリエは、仕事への献身と貴重な発明に対する不満から父親と喧嘩してここを離れ、163, rue du Palais-Royalに自分の会社を持つことになり、1834年には独自の色消しレンズの顕微鏡を作る。やがて、ダゲールにイメージサークルの大きな写真用レンズを請われ、1812年にイギリスのウォラストンが実用化していた、カメラオブスクラ用のメニスカスレンズに目を付け、1839年には自身の色消し理論を使った、新しい写真用の380mmと81mmの色消しレンズを作った。1840年に折り畳み式のダゲレオカメラを作り、顕微鏡写真も成功したシュバリエは、産業奨励協会(Sociétéd'Déléménégéespour l'Industrie Nationale)の、写真芸術における最先端の発明のための競技会に参加して、2組の色消しレンズユニットを持つ固定絞りのレンズと、それを元に焦点距離を短くして風景から肖像に使える、世界初のコンバーチブル・レンズのPhotographe à Verres Combinésを発表。これが性能的には上回っていた、フォクトレンダーのペッツバールを抑えて、パリの産業奨励賞で1等賞を受賞すると、シュバリエの名声は更に高まる事になった。シュバリエ独特の、まだピントも甘くて球面収差も多かった柔らかいレンズの描写は、人像用として特に著名人の間で重宝される事になる。1841年にはアルフォンソ・プルミエと写真スタジオを設立して写真術の向上を研究。写真に関わる全てのディーラーとして一線を隔す存在になった。1851年には世界初の写真協会である Société Héliographiqueを設立して、レンズ生産と写真撮影のためのマニュアル出版を開始した。やがて父親のヴィンセントが亡くなり、その会社を合併すると、それをヴィンセントに10年間弟子入りしていたピエール・リシェブールに引き継ぎ、息子で光学技術者のアルトゥール・シュバリエと共に事業に関わっていたが、1859年に55歳で亡くなっている。1830年生まれの息子アルトゥールは事業を引き継いでいたが1874年に亡くなり、その後は光学ガラスの製造に限っても、まだ殆ど中世の錬金術レベルだったのを、フランホーファーに始まる科学理論を武器にしたドイツ光学界の台頭もあり廃れてしまい、1889年には129年の歴史をもってシュバリエの工房は閉鎖されてしまった。家にあるシュバリエのオペラグラスの倍率は2倍弱くらい。大分くすんでいるけど、金属部分は真鍮にニッケルメッキだろう。鏡胴の革張りもしっかりしていて、ピント調整のネジも意外なほどスムーズだ。光学系はクラウンガラスを使った単純なガリレオ式だと思う。余計なコーティングもないので、古いくせにカビもクモリない。見え具合はクリアで問題がないのは見事だけど、倍率が低いせいか、ピント調整をしても山が掴めないので適当に合わせるだけで充分使える。子供の頃のセルロイドで出来た玩具の双眼鏡を思い出してしまった。もっとも、こっちは裸眼で見た方が良く見えるような代物だったけど。接眼レンズの枠には、CHEVALIER OPTICIEN(= シュバリエ眼鏡) PARISの刻印。レンズを使った双眼鏡は眼鏡工房で作られる商品の一つだった。対物レンズ。あの写真黎明期を支えたシュバリエレンズの輝きは今でも変わらない。