チェコスロバキアで1933年に創業された総合光学機器メーカーだった”メオプタ”社
チェコスロバキアは、今ではチェコとスロバキアに分離してしまったけど、シュコダやタトラという個性的な自動車メーカーがあって、大型トラックや乗用車から軍用車両や路面電車に加えて航空機まで作っていた。今は大型車両を手掛けているアヴィアは元航空機メーカ―。他にもバイクなら1960年代半ばまでは積極的にレースに参戦していたヤワがあったし、拳銃から機関銃まで手掛けているチェスカー・ズブロヨフカ(CZ)もバイクを作っていたのは、イギリスのバーミンガム・スモール・アームス(BSA)とダブる所がある。更に時計ならプリム、ラジオやテープレコーダーはテスラがあり、レコードもスプラフォンというレーベルがあった。実はチェコスロバキアは旧東側でも指折りの工業国で、東ドイツよりもずっと先進的な国だったのだ。そのチェコスロバキアで、かつてカメラを生産していたのがメオプタだ。1933年にアロイス・べネス氏によりプレロブでオプティコテクナとしてスタートして、当初はマズレック博士による引き延ばしレンズを発表。1933年にはベラー105mmf4.5レンズを付けた引き延ばし機マルチファックス6X9、1934年にはヴィドール50mmf4.5レンズが付いた引き延ばし機アイデアルを発表。1936年にはデフィナー55mmf4.5レンズが付いたコロンボなど、1937年頃までは主に暗室に関わる商品を生産していた。写真が一部の特殊なものであったのが、ロールフィルムにより一般的になりつつあった時代を見て設立されたと思われる。初期のオプティコテクナ時代の内部の様子と建物。1936年には新しい施設を取得して需要の増大に対応するも、大戦中はドイツの管理下に置かれて、軍需品の距離計、潜望鏡、双眼鏡、ライフルスコープを生産。戦後は国有化されてメオプタに社名を変更すると、(Mechanická optická výroba の略で機械光学製造の意)あらゆる光学機器を手掛けるようになり、引き延ばし機、双眼鏡、ライフルスコープ、9.5~35mmの映画プロジェクターを生産。その中で色んなカメラも作り上げていく事になる。1958年にはブリュッセルの万博で看板商品のフレクサレットや、16mmフィルムを使用するミクロマなどの4つの製品がグランプリを受賞する。1947~1970年の間は世界的な映写機メーカーでもあり、1971~1989年までは軍需にも関り、軍需だけで売り上げの75%を占めていたらしい。今でも双眼鏡やライフルスコープは主力商品だ。70年代にワルシャワ条約機構に供給されていたライフルスコープと双眼鏡。1991年には、株式会社へと改組して民営化に踏み出す。3月21日オストラヴァ地方裁判所に、Meopta Prerov, s.p.として登記完了。チェコスロバキア製で最初の35mmカメラは、1932年のCOLAというカメラらしい。その後、オプティコテクナ時代の1938年にはビューファインダーの二眼レフで、コンパ―シャッターとトリプレットのミラー75mmf2.9が付いたオプティフレックスを発表。1939年にミラー80mmf4.5かマイヤーの75mmf2.8が付いた、後にメオプタの看板商品になるフレクサレッテが登場する。同時期にトリナー75mmf2.9付のオートフレックスも発表。他にもブローニーフィルムを使うカメラでは、戦後の1945~1950年にミロナⅡという6X6判のスプリングカメラがあり、1965年にはパンコプタというパノラマカメラも登場している。二眼レフの復活は1948年で、プロンターⅡシャッターとミラー80mmf4.5が付いたフレクサレットⅡ。同時期にクランク巻き上げでメタックスシャッター(1/400秒付)と、ミラー80mmf3.8が付いた上級機のフレクサレットⅢを追加。1950~1957年は再びノブ巻き上げで、シャッターがプロンターSVS+テイクレンズがベラー80mmf3.5付の、フレクサレットⅣが販売され、グランプリを取った1958年には小改良のフレクサレットⅤ。1961~1967年にはシャッターにBが追加されたフレクサレットⅥ。1966~1971年になると最高速1/500秒を実現した、プレストールRVSシャッターの最終版フレクサレットⅦで完了。35mmカメラは1947年から2年ほど生産されたエタレタがあり、1954~1959年に作られたレンズ交換式のオペマも出来の良いカメラだった。1959年にはオプティネッタというベラー45mmf3付の35mmカメラが登場。最終的にはアクソマ96というAFのプラスチックカメラが最後らしい。家にあるエタレタは昔プラハのカメラ屋さんで購入したもの。レンズはエタ・プラハと刻まれたエタ―Ⅳ5cmf3.5。戦後の早い段階で作られているけど、日本のコニカⅠ同様に造り込みが凄い。コニカとの最大の違いは、カチッとしたエッジの鋭さ。上から見ると、対象型の2つのノブ/シャッターとフィルムカウンター。家にあるフレクサレット・オートマート。工作制度も上々で安っぽさは皆無。独特の合理的なフォーカシングレバーの被写界深度の表示が良い。シャッターは1948年に登場したオリジナルのメタックスが使われている。ビューレンズはメオプタ・アナスティグマット80mmf3で、テイクレンズはベラー80mmf4.5。戦後の1948~1950年代のカメラだと思われる。フレクサレットの裏側にある、フィルターの露出係数表とフィルム感度表示。これだけ見ても、フレクサレットの出来の良さが分かる。プラハで購入した時の値札が残っている。1200コルナは当時のレートで3600円程だった。レンズ交換式の35mmカメラ、オペマの標準レンズ・ベラー45mmf2.8。ミノルタの梅鉢同様の日本判対応の焦点距離。いずれ、バックフォーカスを調整してライカに付けたいと思って買っては見たものの果たせず。1950年代の光学製品そのままの造りの良いレンズだ。プラハは何回か訪れているけど、見掛けるオペマの程度がイマイチだったので取り合えずのレンズ。これがライカマウントだったら…。他にもメオプタ製品は顕微鏡の対物レンズを購入したものの行方不明。メオプタのロゴの変遷