2020.07.25

1897年に登場したダブルガウスの元祖直系の本家プラナー50mmf1.4(ヤシカ/コンタックス)

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カールツァイスのパウル・ルドルフ氏により、
1897年に登場した4群6枚の対称型ダブルガウスのプラナーレンズ。

今に続くカールツァイスの大口径レンズの代名詞で、
やがて色んな亜種を生み出した、ダブルガウスタイプの元祖である。

そのルーツは、プラナーが登場する80年前に、
ブラウンシュバイク生まれの数学者であったカール・フリードリッヒ・ガウス氏が、
接合された望遠鏡用の対物レンズの改良に取り組み、
中心と周辺の光線について分離した2枚のレンズを使い、
球面収差と色収差のない組み合わせの計算を行なった事に始まる。
それが、1817年に提案された凸レンズと凹レンズによる2群2枚のレンズである。

これを元に、絞りを挟んだ対称型に配置して、1888年に特許を取得したのが、
アメリカのマサチューセッツ州で、望遠鏡を作っていた天文学者のアルヴァン・クラーク氏だ。
これが、今に続くダブルガウスの始祖と言う事になる。

 ただし、上記の2つのレンズは、非点収差の補正がなされておらず、
 使用例は、1861年のシュタインハイル、1877年のアルヴァンクラーク、
 1896年のカールツァイス位で商業的には失敗している。



最初にクラーク氏のダブルガウスの改良に挑んだのが、カールツァイスのパウル・ルドルフ氏だ。

凸・凹 絞り 凹 凸 という4群4枚のダブルガウスを元に、凹レンズを2枚張り合わせにして、
4群6枚構成のプラナーが1897年に登場。1900年にパテントを取得する。
この今に続くダブルガウス元祖のネーミングは、像面湾曲が小さかったことから、
プラナー(=平面)という名前が付けられたらしい。
以降、カールツァイスのプラナーは、像面の平たん性を重視した完全補正を目指すことなる。

 大雑把にダブルガウスのレンズは、時としてデッコマヒッコマと評されるライツの補正不足型は、
 開放絞りではピント位置が中心と周辺で僅かに違う事により、ボケ味を含めた独特の味わいがあり、
 主に一眼レフに対応して発展した日本製の過剰補正型は、開放でのピント合わせが基本と言う事で、
 絞り込んでもピント位置が変化しないように考慮され、ピントは良いけどボケが固いと言われていた。


もう一つ、別の手法でクラーク氏のダブルガウスを改良して、
非点収差の補正に挑んだのがヒューゴ・マイヤー氏だった。
当時世界の最先端を行っていた、イエナ―・グラスヴェルク・ショットの新しいガラスを使って、
同じレンズ構成のマイヤー・アリストスティグマートというレンズを完成させて、
プラナー同様に1900年にはパテントを取得した。

 その後、1920年にマイヤー・オプティックは、パウル・ルドルフ氏と協力関係になり、
 1918年にルドルフ氏は、完成していたプラズマートの特許をマイヤー氏に譲り、
 1920年代に2群6枚のダゴールから発展させて、絞りを挟んだ内側のエレメントを分離させた、
 4群6枚のプラズマートがマイヤー・オプティックから登場する。
  *このプラズマートのレンズ構成は、プラナーが内側の凹レンズを張り合わせたものに対して、
   外側の凸レンズが張り合わせになっているだけの違いしかないものにみえるけど、
   以降、プラズマートの後追いが無かった所をみると、性能的にはイマイチだったのではないか。

プラナーが登場以降、1920年にテーラーホブソンのH.W.リー氏によりオピックへと改良され、
1925年にシュナイダーのA.Wトロニエ氏によりクセノンへと続き、
1927年には、ツァイスのW.メルテ氏により16mmカメラ用のビオターへと繋がっていく。

やがてその基本構造は、収差補正に極めて有効で効率的な事が分かると、
対称性をドンドン崩しながら、ライツ、フォクトレンダー、キヤノン、小西六、ミノルタなどから、
色んな亜種を生み出しつつ、本家のカールツァイスからはオリジナルのプラナー銘で、
ハッセルブラッド、ローライ、コンタレックス、リンホフなどに供給された。

やがて1966年になると、カールツァイスのエルハルト・グラッツェル氏は、
アンジェニューの100mmf1に満足できなかったNASAの為に、
プラナーの最高峰ともいえる50mmf0.7を設計して、
NASAはアポロ計画で月の太陽に照らされていない面を撮影出来るようになった。

*更にこのレンズは、スタンリー・キューブリック監督が3本購入して映画に使われた。
 このイメージサークルが27mmのレンズを、
 キューブリック監督はミッチェルBNC35mmカメラに合わせると、
 広角アタッチメントで焦点距離を36mmに短縮していたらしい。
 電気照明無しの撮影現場では、2mの位置で被写界深度が8cmに満たないレンズに、
 撮影を担当したジョン・オルコット氏は大分苦労したそうだ。

 この希少なレンズは、2011年に3本のうち1本がオークションに出され、
 90,000ユーロで落札されている。


そして1970年代にはエルハルト・グラッツェル氏により、
新時代の35mmカメラ用の50mf1.4が設計される事になった。
最初はSL-75用として作られるけど、このプロジェクトはキャンセルされ、
次に、ヤシカ・コンタックス用の標準レンズとして日の目を見る事になった。



個人的に、世界で一番好きな標準レンズはプラナー50mmf1.4だ。
写りも文句ないけど、もっと重要なのは19世紀末に登場してから、
ずっと今でも残っている、世界でも稀有な名前に対する憧れと敬意だ。
もう30年以上手元にある相棒。


プラナー50mmf1.4の作例(全て銀塩写真)
一番好きな新緑の時期に一番好きなレンズを持ち出す。

今年も農道わきの花桃が咲いて、いよいよ農作業の開始を告げている。


春になって田んぼの土手で満開の八重桜の向こうに広がる、田畑と奥の山が清々しい。
まだ、田んぼには水が引かれていないけど、待ちわびた農作業がもう直ぐ始まる。


いよいよ山間の田んぼにも水が張られて、田植え待ち。
田んぼの脇に人によって植えられた若い山桜が咲き、近くの山の斜面には先輩が満開になっている。


春になって、田んぼ脇の山の斜面も随分と賑やかくなってきた。
既に、田んぼには水が張られているけど、水さえ無ければここで花見をしたい。


山が笑う、という春の季語があるけど、ここはそれがどういう事か教えてくれる。
春到来で古い山桜を中心に色んな樹木が復活してきて何とも賑やかい。


春の雑木林には独特の芳香が漂い、色んな緑が現れて眺めて飽きる事が無いけど、
日ごとに変化する速度も速くて、マゴマゴしていると直ぐに終わってしまう。


諏訪で山桜が咲くのは5月に入ってからなので、山の際でお花見は可能。
都会の花見のように、人がいる事は稀なので、マスクもソーシャルディスタンスも不要だ。


今年の新緑の時期は余り天気は良くなかったけど、山桜には晴天よりも雨の方が似合うと思う。
辺りには鶯をはじめとする鳥の声しか聞こえず、農作業が始まる前の誰も居ない束の間の景色。


田んぼに何も無くても、田植えに使う苗の育成は既に始まっている。
この所、少々天候が悪く、おまけにずっと続いているのが気になる。


田んぼに水が張られただけでワクワクする、
苗が植えられると、水面に映るものは消え去ってしまう。


雑木林の中にある山桜には華がある。
その華やかさは周りの樹木によって更に引き立てられていく。


雨に煙る畑には、既に案山子たちがスタンバイして待っている。
もう直ぐ、キャベツの植え付けが家族総出で始まるのだ。





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最終更新日  2020.07.25 21:05:15
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