本日見つけた小さな幸せ

2024/02/04(日)18:02

一番仲が良かった友人の死

覚え書き(86)

突然の訃報が届く……。 昨年の3月には、中学校時代、一番仲の良かった​友人が大腸ガンで亡くなった​。 今回亡くなったのは、高校時代に一番仲の良かった友人。 我々は、北習志野にある高校に通っていた。 私は、志津駅。彼は西登戸駅から京成線を使って通っていた。 津田沼駅からは、新京成線に乗り換えるわけだが、 その津田沼駅で待ち合わせ。 通っていた学校は、北習志野駅からバスを使うのが一般的。 徒歩の場合は、北習志野駅か習志野駅から歩く。 20分くらいだったか。 我々は、習志野駅から歩いた。いろいろなことを話したなあ。 休みの日とかに東京にも行った覚えがある。 銀座のハンターにビートルズの海賊版のレコードを買いに行った こともあったなあ。 彼は、フェンシング部。 恵まれた身体で身長も高く、がっちりとした体格。 とても病気になるとは思えなかった。 病名は、「間質性肺炎 」。 コップを例にとると、コップの中で起こる病気が肺炎で、 コップ自体が病気になるのが「間質性肺炎 」。 発祥の原因は不明であるらしい。 また現代の医学では治癒は難しいらしい。 高校を卒業してから数回会ったな。 私が転勤族ということもあったけど、 お互い家庭を持ってから会う回数も減った。いつしか年賀状だけの交流に。 昨年のお正月に、 「山本引っ越したの? 年賀状が戻ってきた。」 と連絡があった。 LINEをやっていることを知り再び交流。「2日前の夢で、山本と釧路に行ったよ」 そういえば、我々は、高校の依頼で、北海道の子と文通をした。(私は、それすら忘れていた) 「名前も憶えているよ。こっちは、駒田〇〇牧場の娘で、山本は藤田●●●」   「素晴らしい記憶力だねえ。凄い! 並木君のこと、もっと尊敬しなきゃいけなかったんだね。」 「打診かけて夏に行く計画建てるのも面白いかもしれない(笑)」なんて言っていたのに。 (検索をかけたけど、HITなし) 並木君も検索をかけたようで 「釧路大楽毛 牧場で検索なし。大楽毛って随分と狭い地域だけど、牧場はなさそうだなあ。  根気よく探してみるよ。」 とのやりとり。 「コロナがおさまったら会おう。」と。 4月1日のLINEは、「間質性肺炎 」になって在宅酸素24H。でも仕事は無理のない範囲でしているとのこと(2~3月は入院していたとのこと) 4月20日のLINEは、「病人なのに土日も仕事している。GWにどこかで会わないか」とお誘い。 (ここがチャンスだったのに、私のミスでチャンスをつぶした。) 夏、まさかのコロナ発症(私) 12月31日のLINEは、「上限を超えた数値があったので大事をとって入院。でも9月と比べたら軽いのでなるべく早く退院したい。暖かくなったら会いたいです。」 これが最後のメールになってしまっている。 そんな重症だったとは気が付かず。後悔、後悔、後悔、後悔、後悔。 一番の思い出は、高校の卒業式に泊めてもらったことだなあ。 私、人を泊めるのは好きで、よく友人や後輩を泊めたことはある けど、人の家に泊まるのは苦手だった。 うちの高校、卒業式が終わると、観光バスで東京のホテルで謝恩会をする。 1学年450人が入れる宴会場をもったホテルは、当時の千葉にはなかった?謝恩会が終わった後、2次会。親しい友達と一緒に飲みに行った。 お酒なんて飲んだことがなかったので、酔っぱらった。 帰りが危ないということで、並木君が「うちに泊れよ」と。 並木君の家に着くと、並木君のお母さんが温かく迎えてくれた。 並木君「こいつさあ、酒もタバコもすわないから」 並木母「あら~、まじめねえ」 高校生は、普通、酒もタバコも飲まないでしょうと思ったのを覚えている。 「後悔、先に立たず」かあ。  

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