2024/02/04(日)18:02
一番仲が良かった友人の死
突然の訃報が届く……。
昨年の3月には、中学校時代、一番仲の良かった友人が大腸ガンで亡くなった。
今回亡くなったのは、高校時代に一番仲の良かった友人。
我々は、北習志野にある高校に通っていた。
私は、志津駅。彼は西登戸駅から京成線を使って通っていた。
津田沼駅からは、新京成線に乗り換えるわけだが、
その津田沼駅で待ち合わせ。
通っていた学校は、北習志野駅からバスを使うのが一般的。
徒歩の場合は、北習志野駅か習志野駅から歩く。
20分くらいだったか。
我々は、習志野駅から歩いた。いろいろなことを話したなあ。
休みの日とかに東京にも行った覚えがある。
銀座のハンターにビートルズの海賊版のレコードを買いに行った
こともあったなあ。
彼は、フェンシング部。
恵まれた身体で身長も高く、がっちりとした体格。
とても病気になるとは思えなかった。
病名は、「間質性肺炎 」。
コップを例にとると、コップの中で起こる病気が肺炎で、
コップ自体が病気になるのが「間質性肺炎 」。
発祥の原因は不明であるらしい。
また現代の医学では治癒は難しいらしい。
高校を卒業してから数回会ったな。
私が転勤族ということもあったけど、
お互い家庭を持ってから会う回数も減った。いつしか年賀状だけの交流に。
昨年のお正月に、
「山本引っ越したの? 年賀状が戻ってきた。」
と連絡があった。
LINEをやっていることを知り再び交流。「2日前の夢で、山本と釧路に行ったよ」
そういえば、我々は、高校の依頼で、北海道の子と文通をした。(私は、それすら忘れていた)
「名前も憶えているよ。こっちは、駒田〇〇牧場の娘で、山本は藤田●●●」
「素晴らしい記憶力だねえ。凄い! 並木君のこと、もっと尊敬しなきゃいけなかったんだね。」
「打診かけて夏に行く計画建てるのも面白いかもしれない(笑)」なんて言っていたのに。
(検索をかけたけど、HITなし)
並木君も検索をかけたようで
「釧路大楽毛 牧場で検索なし。大楽毛って随分と狭い地域だけど、牧場はなさそうだなあ。
根気よく探してみるよ。」
とのやりとり。
「コロナがおさまったら会おう。」と。
4月1日のLINEは、「間質性肺炎 」になって在宅酸素24H。でも仕事は無理のない範囲でしているとのこと(2~3月は入院していたとのこと)
4月20日のLINEは、「病人なのに土日も仕事している。GWにどこかで会わないか」とお誘い。
(ここがチャンスだったのに、私のミスでチャンスをつぶした。)
夏、まさかのコロナ発症(私)
12月31日のLINEは、「上限を超えた数値があったので大事をとって入院。でも9月と比べたら軽いのでなるべく早く退院したい。暖かくなったら会いたいです。」
これが最後のメールになってしまっている。
そんな重症だったとは気が付かず。後悔、後悔、後悔、後悔、後悔。
一番の思い出は、高校の卒業式に泊めてもらったことだなあ。
私、人を泊めるのは好きで、よく友人や後輩を泊めたことはある
けど、人の家に泊まるのは苦手だった。
うちの高校、卒業式が終わると、観光バスで東京のホテルで謝恩会をする。
1学年450人が入れる宴会場をもったホテルは、当時の千葉にはなかった?謝恩会が終わった後、2次会。親しい友達と一緒に飲みに行った。
お酒なんて飲んだことがなかったので、酔っぱらった。
帰りが危ないということで、並木君が「うちに泊れよ」と。
並木君の家に着くと、並木君のお母さんが温かく迎えてくれた。
並木君「こいつさあ、酒もタバコもすわないから」
並木母「あら~、まじめねえ」
高校生は、普通、酒もタバコも飲まないでしょうと思ったのを覚えている。
「後悔、先に立たず」かあ。