セルゲイ・ミハルコフとロシア連邦国歌
ξセルゲイ・ミハルコフとロシア連邦国歌 21世紀を前にして、懸案になっていたロシアの新しい国歌の歌詞が公式に決定され、プーチン大統領が関係法令に署名。新しい国歌のメロディーは、アレクサンドル・アレクサンドロフが作曲したソ連時代の国歌のメロディーをそのまま使用、今回決定された歌詞は、セルゲイ・ミハルコフという詩人が書いた。セルゲイ・ミハルコフは、8月27日 96歳で死去。〇セルゲイ・ミハルコフ 1913年3月2日、モスクワに生まれる。日刊紙イズベスチヤに17歳で勤務し、そのかたわら詩や児童文学を発表した。第二次世界大戦には従軍記者として参加し、1943年に作詞した歌詞が、1944年にソ連国家として採用された。1977年、スターリン批判の影響で歌詞の一部を改訂する。2000年にソ連国歌の歌詞を全面的に書き直し、2001年に同じメロディでロシア連邦国歌として採用された。2009年8月27日、モスクワ市の病院で死去した(96歳)。監督・俳優のニキータ・ミハルコフは、彼の息子。〇二キータ・ミハルコフ 父親は作家であり、ソヴィエト国歌およびロシア国歌作詞者のセルゲイ・ミハルコフ、母親は詩人という芸術一家に生まれ、兄のアンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキーも映画監督。子供の頃からモスクワ芸術座で演技を学ぶ。まだ学生であったときにゲオルギー・ダネリヤの『私はモスクワを歩く』に出演。その後兄アンドレイの作品にも出演するなど、俳優として活動していたが、映画製作に興味を持つようになり、全ロシア映画大学に入り、ミハイル・ロンムの元で学んだ。1968年にはじめての短編映画を監督。1976年の『愛の奴隷』はアメリカでも上映されて高い評価を得る。ё新ロシア連邦国家 〇今回の特徴Славься, Отечетво наше свободное,「たたえられよ、我らが自由の祖国よ、」 リフレインの中で、народов と народная От южных морей до полярного краяРаскинулись наши леса и поля.「南の海より極地の果てまで 広がりし我らが森と野。」 на все времена 「万代にわたる」вековой 「幾世紀にもわたる」грядущие года 「来るべき時代」Так было, так есть и так будет всегда!「過去も、現在も、未来もかくのごとくあれ!」 страна 「国家」Отечетво 「祖国」Отчизна 「祖国」воля 「意志」сила 「力」народы 「諸民族」союз 「同盟、団結」великий 「偉大な」свободный 「自由な」народный 「国民の、民族の」славиься 「たたえられる」мы 「我々」наш 「我々の」нам 「我々に」 хранимая Богом 「神に守られている」 〇ロシア連邦国歌(日本語) 1番 ロシア、聖なる我らが国家よ ロシア、愛しき我らの国よ 力強き意思は、大いなる栄光は 汝が持てる物は、如何なる時にも!コーラス 讃えられて在れ、自由なる我らが祖国よ 幾世の兄弟なる民族の結束よ 父祖より授かった民族の英知よ! 国よ讃えあれて在れ!我等汝を誇らん!2番 南の海より極地の果てへと 広がりし,我等が森と草原よ 世界に唯一なる汝、真に唯一なる汝 神に守られた祖国の大地よ! (コーラス)3番 夢が為生きるが為,遮らぬ自由を 来たるべき時は我等にもたらす 祖国に対する忠誠は我らに力を与える それはかつて、今も、そして常に在り続けん! (コーラス) ⇒セルゲイからStarnationNX21へ