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2013年11月01日
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カテゴリ:日本を知る

 

前回は建中校尉が調査員の役職だと、史学者が無視する字義から解いた。前に、夜空の星から、広い中国で発達していたであろう方向や今日も算出した話を書いた。

 

これは、神話時代の日本でも発達していた事は、伊勢神宮・豊受山・宇佐神宮が本州・四国・九州にあるのに、一直線に並ぶ事を書いた。つまり、豊受山の東西に並んでいる事で判る。

 

また、伊勢神宮と豊受山と出雲大社も、不思議な状態なのである。宇摩説だけが解いたものだが、両者の海路の中心に豊受山があるのだ。

 

 

伊勢神宮と宇佐神宮、出雲大社と"豊受山"

 

日本の神社で特殊な拝礼をする神社が3社だけで、八礼八拍手の伊勢神宮、四礼四拍手の宇佐神宮と出雲大社である。後の神社は全て、二例二拍手である。

 

この特殊な3社は、豊受山から見ると、宇摩説が解いた関係が非常に面白い事が判る。つまり、古事記のウマシアシカビヒコヂが示す宇摩郡がただならないことも同時に判明するのだ。

 

このシリーズでも最初の内に書いた通り、豊受山は西日本(弥生文化権)の中心部であり、瀬戸内海の中心で、この潮流の中心にもなっていた。

 

手近に地図帳があれば広げて見れば判るが、伊勢神宮・豊受山は一直線に並び、伊勢神宮・豊受山・出雲大社へ、船旅と見れば、豊受山が中心にあると判る。

 

しかも、瀬戸内に入ると、豊受山までは上げ潮で進み、過ぎると引き潮(下げ潮)で出発である。したがって、この旅は、宇摩郡豊受山の麓の港で潮街をして、出発となる。

 

伊勢から出雲への船旅は、否応無く、宇摩郡で休憩することになるだ。しかも、地図を見れば明らかなように海路の中心地なのである。

 

ここの宇摩説が解いた豊受山と伊勢神宮など関係は、ヒントが幾つもある。一つは伊勢神宮の外宮が豊受大神である。先の船旅で、強制的に潮待ちで降りるところに、1247mの豊受山が聳える麓なのだ。

 

古事記は高天原を天上に迷彩したが、事実は詳細に検討すると、わかるように残している。伊勢神宮の豊受大神のように、様々な形で、様々な所に事実を残す工夫もあるのだ。

 

宇摩説の解くように、童話の古事記から、「大人の古事記」にして、日本の正しい歴史を古事記から解明する時に来ているのだと、私は思っている。

 

現在の反日左翼の史学者が、「日本は何もかも中国に習った」などと、寝ぼけた解説をする時代だから、日本の本当の歴史が必要なのであり、基本は古事記の合理的・科学的解明なのである。

 

なお、考古学的には豊受山(宇摩郡)は弥生時代の青銅文化圏の中心に豊受山がある。もちろん、西日本の中心でもある。そして、宇摩郡には別子銅山、銅山川には"やす石"と呼ばれる黒い石があり、何時の時代かの残滓とされる。

 

やす石のある銅山川は、元は「やすの河」と呼ばれた可能性は非常に高い。

 

 






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最終更新日  2013年11月02日 00時40分22秒
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