2014年03月01日

修正>宇摩説の「大人の古事記講座」63 国生み 筑紫1 原文・直訳 やさしい講座32(コピー)

カテゴリ:日本を知る

    

   

 宇摩説の「大人の古事記講座」63 国生み 筑紫

   

  はじめに

   

 前回は、伊予の二名島に続く、次の隠岐、アマノオシコロワケの説明をした。そして国境の島を身内で固めた国防について述べた。古代の方が、普通の感覚とも言えるし、今がおかしいとも言える。

   

 後になったが、イザナギ・ミのこの国生み(国固め)神話の順序は、日本書紀に移動が激い異説が多く採用されている。何かを迷彩したかったということである。

  

 だが、どの説でも、伊予の二名島が先であり、筑紫は何時も後になっている。その理由とも言えるのが「つくし」の語義にある。これらは、やさしい古事記講座の32に書いている。<* 最後にコピー>

   

 国生みで、ここに抜けているのは、何故か、まとめてしまった本州の国々である。ここにも、別の意図が隠れているだろう。これらも、本州の名から、判る国などを、後で書く事にする。

   

  

  やさしい古事記講座32 国生み10 筑紫1

   

http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/396618/

   

<古事記原文を一部コピー>

   
  古事記原文

 次生、筑紫島。此島亦、身一而、有面四。面毎有名。

   
故、筑紫国謂(言)、白日別。

   豊国、言、豊日別。
   肥国、言、建日向日豊久士比泥別。

   熊曾国、言、建日別。

   

  読み下し
 
次に、筑紫の島を生む、この島もまた、身が一つにして面が四つあり、面ごとに、名がある。

   

故に、筑紫の国は、白日別(しらひわけ)という。

 豊国は、豊日別(とよひわけ)と言う。

 肥国(ひのくに)は、建日向日豊久士比泥別(たけ、ひむか、ひとよ、くしひね、わけ)と言う。

 熊曾国は、建日別(たけひわけ)と言う

  通説解釈

 筑紫島 九州の総称、古く、筑紫の国が政治文化の中心地であったから、「筑紫」が九州を代表する地名となったのである。

  
 筑紫国 筑前・筑後に分かれる前の国名。白日別 太陽に因んだ神名であろう。したの、「豊日別」「建日別」も同様。

   
 豊国 豊前豊後に分かれる前の称で、今の大分県。

  
 肥国 肥前・肥後に分かれる前の称。熊本・佐賀・長崎に当る。
   

 建日向日豊久士比泥別 「建日向日」は日に向かう意であろう。「久士比」は、天孫降臨神話に見える「日向のクシヒの高千穂峰」のクシヒと同じく、奇霊(くしひ)であろう

  
 熊曾国 熊国(熊本県南部)と曾国(鹿児島と宮崎南部)とを合わせた、九州南部の古称。

 以上が現在の解説である。国の場所の説明は、読むまでも無い解説だ。しかし、神の名の解釈は、相変わらず頂けない。最初に書いたような、国名の解釈も無い。

   
 日を、太陽とした説明であり、これも、想像の解釈だ。歴史の本なのに、文学小説とした解釈である。古事記は文学書ではない。

<以上一部コピー>

 

   

 今読み直すと、九州を四つに別けた名とあるが、史学は非常にアンバランスである。現在の県別で言えば、平均が二県弱になるが、筑紫と豊の国は福岡と大分である。

  

 残る5県が、またの名に建の付く建族の地域となる。九州はほとんどが建族の支配地だったことになる。この検討で、今気付く事を書く事にする。

   

   

 筑紫と豊と言えば、後の神武天皇の東征に立ち寄った地域であることも、関係あると見てよいだろう。つまり、福岡と大分は高天原(天・日)に非常に近かった(密接)と判断される。* 建族と異質だった。
  

 また、建族関係者が土佐と吉備に居るのも、考え合わせると、ウケヒ(誓約)による交換を思わせるものであり、最初の建国で話し合われた結果のように思われる。

   

 そして、付け加えるなら、この建国時の誓約(うけひ)の言葉が「つくす」であり、これを言質にした国名を付けたのであろう。もう一つは、「豊を受けた」との「豊」の国であろう。

  

   

 このように、歴史の流れで古事記を解くと、関連から、建国時の約束が判明したりする。史学の様に場面・場面を個別に空想して、人が島を実際に生んだ、などと解くと、古事記は創作と言うしかない。

 

  

 宇摩説的に言えば、古事記を元にして創作しているのは史学であり、歴史書なのに歴史的大人の解釈を今もしてこなかったのである。この空想が古事記神話の常識になっている。

   

   

 古事記は何十年やっても、様々な隠された歴史が出てくるので、探偵小説のような、事件と結果でなく、様々な場所に歴史を隠しこんでいるので、この謎解きは格別面白いのである。

   

<2012,2,11、大人の古事記講座63 国生み 筑紫1>

   

 

<やさしい古事記講座32 コピー>

 

筑紫のはじめに

 九州は、「筑紫(つくし)」という。ツクシは、「尽くし、突くし、付くし、土筆、憑くし、衝くし、搗くし、撞くしなど」多くの意味が有る。主な意味は、「着く、付く、尽くす」であり、九州が、高天原に尽くしたと言う名である。

 先に、建(タケ)族の本家と見られる、高御産巣日神が、高天原に貢献している話を書いたが、九州の地名が、尽くしていた解明を、補足している。こうなると、次に居た、神産巣日神の、最初の神は、近畿の神を意味した可能性が高い。

 先の、建族の貢献が認められた地名の他に、「突くし、撞くし、衝くしなど」の意味も持つことから、血の気が多く、「ヘイ、ヘイ」と、従うのではなく、自己主張もあったことが判る。ツクシの名は、後の神武天皇の東征を予感させる。

 九州については、著書1で詳述している。また、昨年の第一回で、著書以後の解明を書いた。今回も、著書に無い部分を書きたいと思っている。なお、昨年のURLは、

  古事記解釈(第一回、昨年)

「卑弥呼の謎を解く(16) 古事記神話
http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/19181/iza.ne.jp/blog/entry/19181/
 九州詳細と、天皇の出自

と、上の通りだが、(17)も、筑紫について書いている。

「卑弥呼の謎を解く(17) 古事記神話
http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/19397/iza.ne.jp/blog/entry/19397/
 九州は、「別」がつく。


  古事記原文
 次生、筑紫島。此島亦、身一而、有面四。面毎有名。
故、筑紫国謂(言)、白日別。      豊国、言、豊日別。
肥国、言、建日向日豊久士比泥別。  熊曾国、言、建日別。

  読み下し
 
次に、筑紫の島を生む、子の島もまた、身が一つにして面が四つあり、面ごとに、名がある。故に、筑紫の国は、白日別(しらひわけ)という。豊国は、豊日別(とよひわけ)と言う。肥国(ひのくに)は、建日向日豊久士比泥別(たけ、ひむか、ひとよ、くしひね、わけ)と言う。熊曾は建日別(たけひわけ)と言う。

  通説解釈
 筑紫島 九州の総称、古く、筑紫の国が政治文化の中心地であったから、「筑紫」が九州を代表する地名となったのである。
 筑紫国 筑前・筑後に分かれる前の国名。白日別 太陽に因んだ神名であろう。したの、「豊日別」「建日別」も同様。
 豊国 豊前文語に分かれる前の称で、今の大分県。
 肥国 肥前・肥後に分かれる前の称。熊本・佐賀・長崎に当る。
 建日向日豊久士比泥別 「建日向日」は日に向かう意であろう。「久士比」は、天孫降臨神話に見える「日向のクシヒの高千穂峰」のクシヒと同じく、奇霊(くしひ)であろう
 熊曾国 熊国(熊本県南部)と曾国(鹿児島と宮崎南部)とを合わせた、九州南部の古称。

 以上が現在の解説である。国の場所の説明は、読むまでも無い解説だ。しかし、神の名の解釈は、相変わらず頂けない。最初に書いたような、国名の解釈も無い。
 日を、太陽とした説明であり、これも、想像の解釈だ。歴史の本なのに、文学小説とした解釈である。古事記は文学書ではない。

  宇摩説が解いた解釈
 先に書いたように、著書1に詳しいので、ここでは結論だけを書くことにする。九州全域の名が、「つくし」であるから、何処に尽くしたかと言えば、高天原であろう。簡単明瞭である。

 尽くした中心地が、「筑紫国」だった。白日別は、白族と日(天)族の間の子の意味である。高天原で、天照大神から、授かった日の娘(あるいは逆で、日の神)と、この地の王であった白族との混血の神の意味を持っている。

 豊日別、建日別も同様である。

 建日向日豊久士比泥別 宇摩説では、建で切るから、以後は地域を指していると判る。各地の四人の神は、「ヒ別」で一致するが、一人、この神だけが、「比」になっている。これにも意味があろう。

 「」は、まだ確定できないが、国津神出身ではないか?と思っている。国津神の家系だが、比べて良いから、「ヒの神」に採用された。こんなことであろう。この国だけが,比であるのは、少し気がかりともいえる。

 「」も気になる。普通は、には、「」が使われる。ここでも、泥で何かを隠したと思われるのだ。神武東征に絡む、謎を書いているようにも思う。

 「」は、分れ、分け前を意味する。朝廷は神武の東征で、宮崎出身を主張している。しかし、古事記の国生みでは、基本的には他の3国と同じである。ただ、先に書いたように、少し、変わった字が当てられている。

 建族(熊襲)の勢力範囲は、九州の7割前後あった。面積的には四国以上だ。そして、熊襲は大きく二つに分かれていた。こんな事を教えてくれる。

 邪馬台国論では、北九州説が有力と言われるが、古事記は、「つくし」である九州の四カ国の主(王)も、別(分け)の名が、子会社(傘下の国)を示し、この地には、高天原は無かったことを示している。

 したがって、邪馬台国の九州説は、古事記に因って否定される


 以上で簡単だが、九州を終わる。著書や、先の第一回を参照されたい。

<以上>

  

 

 






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最終更新日  2014年03月01日 15時23分24秒
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