2014年03月11日

修正>宇摩説の「大人の古事記講座」70 国生み 大八島 伊勢神宮・太鼓の”四菱(唐花)”は日本略図

カテゴリ:日本を知る

   

 

 

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 つまり、私のiza!のブログは、別サイトに移行すると、記事にある全てのURLの偏向が必要である。移行しないとどうなるのか、よく判らないが、産経新聞の無責任な決定である。

 

 

 

   

 宇摩説の「大人の古事記講座」70 国生み、大八島

   

 前回は休憩だった。本州の途中で切れたが、今回は、長い名の本州の解説に続く、ここまでで「大八島」という次の部分を書いている、やさしい古事記講座39を紹介する。

   

 この後も、「帰りに・・」としているが、国を生む話が続くので、途中で区切って、大八島の記述が加わるという、不自然な記事である。

   

 次回の話になるが、最後が佐渡で、帰りに吉備となれば、何処に帰りついたかも、判り良いが、ここでも、迷彩がある。簡単には解けないようにしている。

   

 さて、下の記事で、高天原の認識は、日本は東西南北の4つの国として理解、指導していたので、この4の国の伝承が残ると、高天原の地上の存在が残ることになる。

   

 そこで、朝廷は、四の倍、「八の日本だ」と迷彩のために、国生みの八つ目で区切り、大八島の国としたのである。これらの変更よって、高天原時代の「東西南北の四つの国の日本」の伝承は消えた。

   

 この伝承は、宇摩郡の太鼓台の伝承としてカロウジテ残っていたのであり、気にして調べると、郷土芸能の「四季の歌」(布きの歌、敷きの歌)など、題が違う歌にも残ってた。

   

 そして、太鼓台の花菱の紋と伊勢神宮の紋が一致し、着いている場所も共通する。こうなって、花菱を見直すと、東西南北の国に高天原の影響まで図案化された、当時の地図である。

   

   

  やさしい古事記講座39 国生み、大八島

   

http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/404508/

   

   

 高天原は、東西南北の四つに大別された国々を、同じに扱うという象徴が花菱紋であり、伊勢神宮に見られるように、非常に多く使われている。

   

   

  古代日本と中国・朝鮮 

   

 中国や朝鮮の儒教社会、卑弥呼の頃にも、日本は対等、横並びの思考が実施されていたマークでもある。そして、ウケヒ(誓約)が示すように、天神地祇の間も対等であった。

   

 日本は、花菱一つ採っても、中国・朝鮮とは一線を画した思想・文化を持ち、今に継承しているのであり、反日汚染史学者の、妄想思考に騙されない様にしたい。

   

 日本は中国古文書にあるように「東海の礼節の国」であった。この礼節は、互いに約束を守り、嘘を言わないことで作れる社会であり、日本は世界一貴重な人類の理想郷なのである。

   

 反日汚染左翼の民主党やマスコミに騙されないようにして、弥生・神話時代から続く、人類の至宝の社会を将来に残したい。この社会が日本だけでなく、人類の希望でもある。

 

    

<2012,2,18、大人の古事記講座70、大八島>

   

   

やさしい古事記講座39 大八島コピー

 長い本州の名は、亦も、古事記を解く鍵を残していました。これによって、先に宇摩説として解いた、高天原は宇摩に在り、宇摩志神の宇摩や、豊受山、「津根・常」などの、解明も補足出来るものでした。

 大倭豊秋津島の後に続いて、「故、因此八島先所生、謂大八島国」とあります。

  通説解釈

 直訳、
「故(かれ)、この八島を先に生めるによりて、大八島国と謂う」。

   
 語句解釈
」は元来聖数で、多数を表したが、ここでは実数である。
大八島国」は、天皇の統治する国土全域を現す呼称としてもちいられた。

また、我が国の古い呼び名の一つであるが、対内的に用いられた呼称。(* 対外的には「日本」の文字が用いられた)。

 以上のような解説がある。文字通りの意味であるが、この部分は、朝廷の思惑も含んでいるようだ。

  宇摩説の解釈

 確かに、ここまでの国の数は八になるのだろうが、ここで区切る意味が良く判らない。意図的な感じである。この前後の話を見ても、出雲神話、大和神話などの舞台となる地が、余りにも、無縁の話である。

 宇摩説の立場は、「日本の大八島の記録は、古事記成立頃に迷彩に作られた」ものとする。例えば、古代の日本(高天原)の日本認識は先に、「東・西・南・北」の海の道で示しておいた。

 つまり、最初に解いた、「天之御中主神」に残された瀬戸内海の中心が高天原であり、国々は、この海の東西南北にあると認識されていた。この東西南北国が、日本であり、四つの認識だった。

 天皇家の大和地域成立で、高天原の認識だった四つの国の認識を変えたい。また、海の東西南北では、表現できない地域だった。また、高天原は天上の国にしたかったなど、理由から、四つの倍、八にしたのであろう。

 だから、この「大八島」は、朝廷を中心にした行事に使われることになった。そして、戦前まで活躍した言葉である。

 四つの国は、本当は三つだった四国に使っている。これは、四つの認識を広めた国が四国にあり、四つと四国が結びついた伝承が多かったことも影響したのは無いだろうか。九州も、四つにしているが、元々四つだったようだ。

 古事記は日本書紀の下敷きであり、対外的な側面も附加されている。

 四つの国より、八つの大きな島の方が、見栄が晴れると言う事だろう。高天原が認識していた日本は、東西南北の四地域の国だった。これは、先にも書いたが、伊勢神宮に多用される唐花(花菱)でも、明確である。

 花菱は、中心の高天原と、東西南北の国々を現した、当時の日本地図とも言えるものだ。

 上の写真が、伊勢神宮の高欄の飾り部分の大写しである。突き出た端の飾りに、「花菱(唐花」が見える。この他、宮から突き出た部分(目立つ部分)には、同じ紋が使われていて、花菱が一番多く使われている。





 したの写真は、全体だが、桁行きの側である。ここでは軒下の、野地にも使われていることが判る。なお、実物は「金色」に輝いている。多分金が使われているのだろう。


 これは、天照大神の時代は、東西南北の四つで国を認識していた証拠である。
このように、高天原の日本認識は、「四つ」であった。

 以上のようなわけで、「大屋島」の記録は、イザナギ・イザナミ時代は、四つの認識だった。朝廷は、古事記を編纂する時に、大きくしたかったことと、もとの伝承を消したかった為に、作られた話であろう。

    

* 追加;「大人の古事記講座」の前書きで書いたが、この時、写真が出てこなかったので省略したと思う。花菱は唐花とも呼ばれ、四つの地域と中心の高天原の象徴図案である。2012,2,18

<以上>

   






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最終更新日  2014年03月11日 10時32分04秒
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