2023/07/01(土)02:51
十二単の構成
十二単は、平安時代は決まりがなく、何枚着てもOKでした。
ただ、あまりに多く重ねると華美に走るので、贅沢にならないように
禁令が何度も出ました。
でも、藤原道長の次女などは、呆れる程袿を重ねるのが好きで、仕える
女房達が身動き出来ないくらい衣を重ねさせ、公卿達の顰蹙を買ったり
しています。
現在は、小袖と長袴の上に5枚の単衣、5枚の袿、その上に表着(うわぎ)
+唐衣+裳となっています。
こちらがわかりやすいかな❓
鎌倉時代くらいまでは、5枚の袿と表着の間に”打衣(うちぎぬ)”という、
衣を叩いて艶を出した物を着ていました。
冬は、衣の下の方に厚めの”ふき”が入ります。
建物の中では、これで良いのですが、外を歩く時は❓
これが、女性用の沓です。
今の靴と字が違います。
あ、この字は男性用のくつを指すのかも。ちょっと確認していません。
これを、現在、女性皇族が履いているのかどうかはわかりません。
でも、即位の礼等で宮殿にいる時、男性は沓を履いていますが、女性
が袴の中が足袋とは考えられないですよね。
冷えちゃうし(^-^;
小袖は、平安中期まではまだなくて、女性は肌に直接単衣を着ていた
ようです。その為、単衣は一番大きく出来ています。
また、真夏は暑いので、単衣を2枚重ねたり、素肌に単衣だけを着た
だけ、ということもあったようですヨ。
袴も、童女、或いは大人でも儀式の場合は、袴の上に上の袴を履いたり
しました。
これは、長袴の上に、男性が履くような、足首くらいまでの長さの袴を
履くものです。
かなりかさばって、歩きにくそう。
色の組み合わせは、かなり沢山あるので、省略しますね。
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