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「小右記」の現代語訳の万寿2年6月~長元2年10月までを借りました。
万寿2年は実資が溺愛する娘・かぐや姫こと千古と道長の末息子である 長家の結婚話が持ち上がります。 そして、万寿4年は妍子、そして道長が亡くなります。 その辺を知りたくて。 本当は妍子死去の際、暴風雨で京中でも多くの建物が倒れる被害があった という話を知り、「栄花物語」では死を前に出家を果たし、従容として死 に就いた妍子の本当の姿を知りたいと思ったのです。 でも、その前に千名と長家の結婚話の顛末が書いてあるので、ちょっと見 てみましょう。 (C)NHK 千古は実資が50代で生まれた娘なので、実資の溺愛ぶりは年を追うごと に増していきます。 だから、その娘の結婚となると、実資自身が右大臣という地位でもあり、 滅多な相手では釣り合いません。 もちろん、実資は千古には入内させることを一番に考えていたでしょう。 でも、それは道長一家が許さなかったと思われます。何より頼通に娘が生ま れず、道長一家から妃になる人材に欠け、養女をして入内させても今度は 皇子が生まれない・・・という状態が続いていたからです。 最初の結婚話は頼通の養子師房とで、頼通からの申し出でした。 これには実資は気乗りしなかったようで(入内させたいか、道長家と親戚 になるのが嫌だったか)、返事を曖昧、かつ引き延ばしているうちに、 道長が師房と自分の明子腹の尊子を結婚させてしまいます。 この部分は万寿2年より前のことなので、私が借りた本には載っていません。 そして万寿2(1025)年11月から長家との結婚の話が「小右記」に出て きます。 いきなり、行成が長家を聟にしたいと道長に申し入れたと聞いたが、恐らく 許可が出ないだろう、他人の謀計は知ったことではない、と書かれます。 この前から、実資は道長に婚儀を申し入れていたと思われます。 実資は娘のことを日記の中では「少女」と記しています。 「源氏物語」の「少女」の巻は”おとめ”と読むので、もしかしたら、そう 読むのかもしれません。 実際の名前で書いてくれるとありがたいのですが、当時はそれはまずない ようです。 例外として、道長は「御堂関白記」の中で、末娘の嬉子のことを「千子」 と書いています。幼名というか、これが生まれた時、或いはもう少し大きく なってから入侍(春宮に嫁ぐこと)の際、嬉子と付けられるまで呼ばれてい た名前と思われます。 でも、長家は直前に妻であった斉信の娘を亡くしていて、すぐに結婚する気 はないと言っています。 そこで、実資は千古の為に何度もお寺で祈祷をさせ、この結婚が実るように 祈願しています。 道長としても、この結婚は望むところだったでしょう。 長家は”右大臣家の婿”となる訳だし、小野宮家は莫大な資産を持っているの で、それを道長が倫子の資産を使ったように、長家のものともなるから、それ を使って出世も出来るからです。 それでも長家は亡妻の一周忌が過ぎるまでは、絶対に結婚しないとか、それ 以降なら。。。と言いながらもやっぱり気が進まない、となり、最後には 道長が激怒して長家に結婚の日を決めろと叱りつけます。 長家が結婚を渋るのには、妻を2度も亡くし、今度もすぐに結婚話が持ち上がっ て、気持ちの整理がついていないこともあるでしょうが、斉信が長家に結婚し ないように言っていたこともあったようです。 斉信は、長家の妻であった一人娘が亡くなった後も、あなたが去ったら自分は 生きていく気も失せると言って長家を自邸に留めていましたが、それがもっと 進んで、長家が他家の婿とならないように祈祷を始めたという話も実資は聞い ていたようです。 道長との関係を失いたくなかったのでしょう。 それだけに、実資も千古に害が及ばないように、また長家との結婚を成就させ ようと祈祷をさせたでしょう。 それでも、そのうち、長家自身にその気がないことで、この話は立ち消えてし まいました。 その間2年 ![]() 確かに長家の気持ちを考えると、この話は早過ぎましたね。 周りから見れば、家格も年齢も釣り合う(推定6歳違い)良縁ですが、妻を亡く して2~3ヶ月で結婚しろというのは流石にないかも。 結局千古はその2年後、推定18歳の時、明子腹の頼宗の息子兼頼を婿に迎えます。 娘が1人生まれますが、千古はその後若いうちに亡くなってしまい、その頃から 実資はショックでボケ始めたようです。 妻を亡くした兼頼は他家の婿となって実資邸を出ていましたが、実資が孫娘にほ ぼ全財産を譲るという話を聞き、財産目当てでまた実資邸に戻ってきます。 そして、実資だけは通常の判断が出来なくなっていたのか、周りの言うことも 聞かずに喜んで兼頼を迎え入れ、兼頼は実資の孫=自分の娘の財産を手に入れ ます。 実資の養子やその息子の資平、資房等には財産はほとんど行かず、これによって 小野宮家は力を失って廃れていくのです。 せめて実資が息子達にも平等に財産を分けていれば、と思うのですが、千古の 母の出自が低かったので、自分が死んだ後でも千古が困らないようにと、千古 が9歳の頃から財産分与を決めてしまっていました。 それを、孫娘にも当て嵌めた訳です。 息子達は生まれは良いし、自分でなんとか出世していくと思っていたのでしょう か。 それとも養子と実の子の違いでしょうか。 実資は家の将来より千古のことしか見えていなかったように思えますね。 いつもポチッと応援ありがとうございます ![]() にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.02.03 17:09:59
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