カテゴリ:光る君へ
以前書いたように、主人はポータブル電源は国産の物も含めてよく調べて
から買うように、と言っていました。そこで、土曜日に、火曜日くらいま でに、あなたがポータブル電源を選んで買って、と言ったら、その日のう ちに決めて注文まで済んだことに驚いているみことです。 もちろん、私にこれでいいか、と聞いてからですが。 さて、「小右記」万寿2年~長元2年までを読み終えました。 既に明子腹の寛子も、倫子腹の嬉子も亡くなっています。 そして、この巻の間に妍子と道長が亡くなります。 妍子は万寿4年4月から体調を崩し、9月に亡くなります。 妍子の娘である禎子内親王は、彰子の次男敦良親王に入侍しますが、その 用意も妍子自身は出来なかったようです。 「栄花物語」では、妍子は最期は短くお風呂に入り、(身を清めて)出家 してすぐに亡くなっています。 でも、本当は顕光やその娘延子の亡霊に悩まされ、恐怖の中で亡くなった と言います。 それは、実資は書いていませんでした。 ![]() 倉沢杏菜さんのインスタから 加えて道長も体調が優れないことが多くなっていきます。 それでも道長は、妍子が亡くなった時は、葬儀の列に加わって歩いて今で言 う霊柩車に付き従っています。 これは、明子腹の寛子が亡くなった時にはしていません。 実際妍子が亡くなった三ヶ月後に道長は亡くなるのだから、かなり体調は悪か ったと思います。 そこを妍子への思いで歩いたのでしょう。(私も見習わなければ・・・) また、妍子が亡くなるまえのことですが、小一条院の女房が夢で、 「道長の息子、娘は亡くなる」 と見たことが記されています。 それで、頼通以下の道長の子供達は恐懼したとあります。 そして、実資の思いとして、 「尚侍(嬉子)はこれに当てはまった」 とあります。 ![]() (C)NHK その前の寛子も当てはまりましたよね。 特に寛子は小一条院の女御だったのに、実資まで倫子の子達より寛子を落と して見ていたのでしょうか❓ 明子の子達の身になると、なんだかなぁ、です。 夢と言えば、当時は夢占いをしたりと、夢は結構大きな意味を持っていま した。 「蜻蛉日記」の作者道綱の母も、その日記の中で2、3度夢を占わせていま す。 1.法師が道綱母に頼まれて祈った後に見た夢:作者が両袖に月と日を受け、 月を足の下に踏み、日を胸に抱いている(他人が見た夢として占ってもらう) →帝をわがままに、思うさまに政治を行える これに対して作者は、これは夢占いがインチキなのではなく、夢を見させた 法師の言うことが怪しい、自分には不相応なことだ、としています 2.ある人が見た夢:作者の邸宅の門を四脚にした(大臣以上の家の門は 四脚) 3. 自分が見た夢:寝ていたら、右足の裏に「門」とある男が書いたので、驚い て足を引いた →大臣が家から出ます。これは、夫のことではなく、息子さんのこと 作者は、これに対しては、自分が見た夢でもあるのか、兼家の家は大臣にな ってもおかしくないので、その子である道綱の将来が、もしかしたら良いもの となるかも、と心の中だけで思った、とあります。 現在の私達からすると、いや、息子は大臣になれず、兼家は摂政までなれた から、これは夫のことだった、とわかりますね。 ![]() 上地雄輔さんのインスタグラムより そして、藤原実資自身の夢ですが、有名な❓話があります。 それは、道長も亡くなった後の長元2年の、実資が73歳の時の夢です。 夢の中で、実資は清涼殿の東廂で関白頼通と粗末な白い服だけで、当時被って いないと非常に恥ずかしかった烏帽子も被らず、抱き合っていたというもの。 ここで、自分の玉茎は木のようであった、そうです。 恥ずかしい、と書いてありますが、現代語訳をした倉本一宏さんによれば、 恥ずかしいのは粗末な白木綿の服を着ていたこととか。 確かに、この日記の最後には、 「もしかしたら、私に大慶があるのであろうか」 と書いています。 粗末な服で烏帽子も被っていないことが恥ずかしいと思っているうちに目覚め たとありますから、そうなのでしょう。 てことは、頼通と抱き合っていたのは恥ずかしくもないのか❓ ヘンな夢を見たものですが、実資は太政大臣になれるかも、と考えたので、 そちらの方に考えがいってしまったようです。 ![]() いつもポチッと応援ありがとうございます ![]() にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.02.10 16:16:32
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