カテゴリ:光る君へ
おくさ~ん、私、花見をした翌日、ひどい腹痛で参りましたヨ💦
なんででしょう、疲れ❓ 昨日は大分良くなったと思ったら、夜ピー ![]() 今日は孫のRの入学式なので、下の子のKを預かります。 これは楽しみだけど ![]() 実資の「小右記」の一部を読んできましたが、平安貴族は仏教に深く帰依して いたことがわかります。 神道の宮中ですら仏事を行いますし、実資も亡き妻である婉子女王の仏事は30 年経っても行っていますし、ましてや一人娘の千古の為に頻繁に僧に頼んでお経 を上げてもらっています。 妻の婉子女王の死後30年は、33回忌でしょうか❓ その時女王の母親に、 「思へども 消えにし露の 玉の緒(だ)に 衣の裏に 留めざりけむ」 という和歌を送っています。 実資は和歌が不得意と言われたり、自分でもそう思っているような記述が「紫式 部日記」にあり、「小右記」の中でも、『和歌を送った』と書いてあっても 和歌自体は記されていなかったりなので、上記の和歌は貴重かも。 知識の浅い私の勝手な見方ですが、行成よりは和歌が上手そうな・・・❓ (C)NHK 現在より親戚付き合いも深いですが、実資は女王の死後は本妻を持つことはして いません。 それだけ女王を大切に思い、大切にしたかったのでしょう。 そんな実資は、万寿3(1026)年7月23日の日記に、 「空也の金鼓と錫杖を(空也の弟子の)阿闍梨から進呈される」 とありました。 信仰厚い実資なので、空也の弟子が送ったのでしょうか。 彼はとても感激しています。 教科書に載っていましたね、空也上人 ![]() 空也の生没年は903年~972年。 実資が錫杖等を受け取ったのは死後54年後なので、これは間違いなく本物でしょ う。 ただ、それがその後どうなったのか❓ 実資の小野宮家は、実資が娘にほぼ全財産を譲ってしまった為、その後は衰退 してしまいます。 今のように博物館に寄付するとかが出来たら良いのですが、当時だと結局実資の 財産を譲り受けた道長の孫が受け継いだのでしょうか。 つまり、道長家がもらった❓ (C)NHK どうしたのかなぁ。 どこかのお寺にないかしら❓ いつもポチッと応援ありがとうございます にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.04.08 16:45:59
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