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カテゴリ:自分磨きのエッセンス
「自分がされて嫌なことを人にしてはいけない」
これは、子供のころに、親に言われたこと。 だから、いじめられている子を見たら、決して参加しなかったし、 あの手この手で自分にできることでと思って、 そのいじめられている子の相談にのったり、こっそり助けたりしていた。 別に正義の味方のように、さっそうと現れる人ではなかったので(笑)、 あくまでも、自分なりに。 そして、私もいじめられることになったけれど、 ひたすら、耐えた。 その時に助けになったのは、 母と、友人たち。 先生は、まったく役に立たず(^^;) 何が違ったのか? 先生は、あくまでも全体を見なくてはいけないので、 必要以上に踏み込んでこないのと、 自分の立場を守るために、行動しているので、 言葉では何といっても、心が沿っていない。 踏み込む姿勢があったとして、 子供が本音、本当のことを言わないし、 つきっきりで、子供たちを見ているわけではないので、 結局は、必要なときには、なんの助けにもならない。 親は、学校では一緒にはいられないけれど、 安全な場所が家にある、と知っているだけで、 帰る場所があったこと。 心のよりどころには、なった。 そして、折れそうになったとき、 心をやすめる場所になってくれた。 本当に感謝。 あたたかい手と、いい匂いを思い出す。 ただ、抱きしめてくれたことを。 友人達。 目の前でかばってくれるわけではないけれど、 自分が一人ではなく、 わかってくれる人もいる、 と思えるだけで、 多少、気は楽になった。 いじめる側と対峙するのは、 とても勇気がいる。 昔は、叩かれたり、物を隠されたり、 家に帰れないように道をふさがれたり、 大事な連絡がまわってこなかったり、 くらいだったので、 まぁ、大人になってみれば、 そう、ひどいと言っても、命の危険はなかったなぁ、と思うけど。 でも、子供のころは、それは真剣に悩みました。 いじめられる側にも、悪いところがある。 そう言われれば、そりゃ、悩みます。 悪いところ、というよりは、 規格に収まらない、ということなんだけど。 私が、どう切り抜けたか? 自分自身を変えました。 悩んで悩んで、我慢し続けて。 自分の相手に対する接し方を変えました。 そして、本当に合わないなぁ、と思う相手とは、 一緒にいることをやめました。 (学校いる間は、選択肢なかったけれど。) 自分が変わることで、態度が変わった人は、 自分を理解してもらった、優しくしてもらった、 と感じると、 私に対する接し方を、変えてくれました。 変わらなかった人は、 家で受けているストレスを、他の人にぶつけていたり、 自分の思い通りにならないものを、多勢で、力づくで抑えつけようという行為をしている人だったので、 そこは、遠ざかるか、もしくは、そのいじめる子に対して強い子か、なんとも思っていない子に、 間に入って、助けてもらいました。接点をなるべくもたないようにするために。 合わないときは、合わないんですよ(^^;) 残念ながら。 そういうわけで、 友人たちが、やはり、たよりになる存在となりました。 閉じられた世界では、 自分で自分を強くしてゆく必要があります。 そんな自分になれたなら、 世界が広がったとしたら、そこでも、生き残ることができるでしょう。 決めるのは自分。 そして、行動するのも自分。 人を傷つけることは、さらに、誰かを傷つける連鎖を生み出します。 人を愛することは、さらに、人を愛する連鎖を生み出します。 あなたには、それさえも、 選択することが出来るのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年11月03日 09時45分25秒
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