マイルDEグルメ旅行

2011/11/02(水)21:34

マイルDE南近畿旅行(10)熊野那智大社

関西の旅(17)

熊野三山と日本最古の神社「花の窟神社」を巡る最期の参拝地は熊野那智大社。 それが想像を絶する場所だった。熊野本宮大社のような僻地でもないと思っていたが、山道を登れど登れどなかなか着かない。 途中、参拝登山道を歩いて登る徒歩集団。かなりきつそう。 上に着いてみると、駐車場は停めるだけだと全て有料。一律600円だ。 お土産を買ったり、お食事したりすれば駐車場は無料という茶屋に、仕方なく停める。昼時までにまだ時間があったので、那智勝浦漁港で食事と思っていたが。。。ところが、時間があるあると思っていたのだが。。。 熊野本宮大社の石段の段数よりは少ないだろうと思って参拝に向かう。ところがその3倍はあるか。途中休憩茶屋などもあり、那智石などを販売。碁石や置物にしたり、あるいはそのままで庭つくりに利用するらしい。品格とつやのある黒い石。 20分近くかけて、やっと頂上に着いた。下から登山道で徒歩で上がって来たら、下山含めて丸1日かかるのでは。かなり大変だ。    那智黒石の碁石      那智黒石の文鎮     庭園用那智黒石砂利              それでも、人出は、三山の中では一番人気らしい。お遍路さんの格好した人や修学旅行の学生。熊野速玉大社や熊野本宮大社では、参拝者はまばら、「花の窟神社」にいたっては数人しか参拝者がいなかったのに。 ところで熊野那智大社の由来は、「神武天皇が熊野灘から那智海岸錦浦に上陸に那智山に光を見出し、大瀧(那智の滝)を探り当て、神として祭られ、そのご加護で、八咫烏(やそがらす)に守られて、大和の国にたどり着いた」として、国造りの神・「大巳貴命」(大国主命)とその親「夫須美神」(伊弉冉尊)を祀っている。その後紀元317年(仁徳天皇5年)に滝横から、見晴らしの良い、この頂上に遷宮したと伝えられている。社殿が造営したのは平重盛で、そのときに植樹したといわれる樹齢850年の大楠の木が立っている。それから450年後、織田信長により焼き討ちにあうも、秀吉により再興された。撮影禁止の札もなかったので、修学旅行の団体が通り過ぎるのを待って、撮影を試みる。 せっかくなので、隣に、仁徳天皇時代、天竺の僧侶裸形上人により創建されたという青岸渡寺という立派な寺院があったので、立ち寄ろうとしたら、はるか先の方に滝が見えたので、登ってきた反対側からちょっと下山して、熊野古道の終点と那智の滝のある飛滝神社に向かってみる。 にほんブログ村 古来よりある神社でよく見かける注連縄(しめなわ)。これは、神域と現世を隔てる結界の役割しているそうです。 また、厄や禍を祓う結界としての意味もあります。 新しい年を迎える前に神棚のある御宅では、松飾、注連飾される御宅もあるのでは。 つまりは仏教が伝来するもっと以前から日本民族を守り続けている、魔よけなのです。 そんな麻縄で作った注連縄や注連縄から作ったストラップやブレスレットなどを手作り販売しているのが、おお麻(ヘンプ)商品の販売・卸【ほりすてぃっく】さんです。 神社と同じように四隅に置けば厄払いにもなり、これをストラップやブレスレットにしたものを身につければ、お守りにもなります。 舶来のアクセサリーもいいですが、日本古来より伝わる厄除けは、きっと貴方を守ってくれますよ。

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