「貴様ごときに劉備様が相手するまでもない。この張飛が相手だ!」 (敵将)「…って、お前のほうが強いじゃん」
『三国志』を読んでいて、こういう場面が出てくるたびにいつも思うことである。なぜこのようなツッコミをしないのか、と…。たいていの場合、敵将は「ぬうう、こしゃくな!」とか普通のリアクションしかせず、そのまま一騎討ちシーンに移行、というのが通常のパターンである。よくよく考えてみると、これには深いテーマが潜んでいる。<前提>大ボス(ラスボス)は、理念上「最強者」である。<現実>しかし実際には、首領というものは組織の統率者であり、武力最強とは限らない。いや、最強ではないことの方が多い。組織の長というものはチャンバラが仕事ではない。チャンバラが強い部下、謀略に秀でた部下などを使いこなし、目的達成に向けて指揮を執ることがその任務なのである。だが、なんとなく「えらい人」=「強い人」でなくては納得できない、という感覚が潜在的に人間にはある。RPGのボスキャラを見てもそうだ。ドラクエも必ず最後はラスボス戦があり、ラスボスの強さは他を圧倒している(中ボスも然り)。ウィザードリイのワードナの非常識なまでの強さは、誰もが初対決ではリセットを押さずにはいられないほどの凶悪なものがある。しかし、現実の世界では、立ち塞がる配下を無力化すれば、事実上事件は解決、という方がリアリティがある。ファイナルファンタジーのように、ボスキャラはいずれも大したことがなく、ボスのいる場所に行くまでが大変、という具合だ。リッチ<<コカトリス、ビホルダー<<ダークウィザードなど、実例は枚挙にいとまがない。だがこれでは、読み物にせよドラマにせよゲームにせよ、あっけなさ過ぎて面白みがない。やはりさんざん苦労して側近までを排除した後に、さらにしぶといラスボスを倒すことにより盛り上がりも増そうというものだ。『三国志』ではラスボス戦は基本的に実現していない。とはいえ、武将が正直に「劉備様はチャンバラが仕事ではない。チャンバラはこの張飛が担当だ!」などと言ってはさまにならない。冒頭のセリフは、事実上こういう意味であり、敵も味方もお約束として暗黙の了解が成立しているのであろう。