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August 3, 2006
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カテゴリ:そのほか
忘れもしない去年の8月4日。

千葉からここ鹿児島に子供達と私は引っ越してきた。

その当時、父はほぼ寝たきりの生活をしていた。

きっかけは

「お父さんに何かあったら心細いから、帰ってきてくれない?」

という母の言葉だった。


その頃、主人は東京勤務5年目になり、

ストレスですっかり体調を崩していた。

大阪で生まれ育った私と違い、都会での生活は余計に苦しかったのだろう。


夏休み、時に冬休みまでも車で鹿児島へ帰っていた。

高速を乗リ継ぎ、不慣れな私も時々交代して運転した。

20数時間かかって鹿児島へ到着する。

もう私は事故に遭わないか、ハラハラして帰るので

もうヘトヘトだった。

主人は自分の両親のためなら、

長距離運転の次の日でも思いっきり遠出する。

そのためにも、8人乗りのワゴン車を購入したのだろうと

その度に思ったわからん


そんな鹿児島大好き主人なので、

疲れが溜まり、私や子供達に当り散らすようになった。

その当時、子供達は中3・中3・中1・小3。

上2人の子供達は、不眠で中学を休みがちになった。

中1の三男も不安定になった。

このままじゃいけない。

大好きな千葉だけど、決断しないといけない時が来た。

妹、弟ともやっと隣の県に来れたのに・・・。

子供達も、千葉が大好きになっていた。

2年おきに転勤だったのに、初めて長くいられた千葉。

毎年毎年、内示の時期はハラハラして過ごしたっけしょんぼり


いよいよ引越しが決定。

子供達は、時間を惜しんでみんなと会いまくった。

慣れ親しんだサッカー部、小学校、中学校、athomeな塾・・・。

塾に至っては、先生方に相当可愛がっていただいていたので

それぞれの先生に、プレゼントやお食事をおごっていただいたりした。

それぞれお別れ会までも開いていただいた。

子供達はそのたびに涙ぐんでいたらしい涙ぽろり


そして去年の8月4日、

たくさんの友人に送っていただいて、千葉を出発した。

一緒に来ていた妹までももらい泣きするほどのお別れだった。


そして今日8月3日。

鹿児島に来て丸1年。

本当にいろんなことがあった。

「よく1年過ごせたよ」と長男。

子供達も私も、ひどいカルチャーショックとホームシック?にかかっていた。

元々私も中学3年から大阪から鹿児島へ

悲しい思いをして引っ越してきているので、

子供達の気持ちも手に取るように分かる。

今の私ですら、鹿児島弁は話せないし、地元に馴染んでいないわからん

父はリビングに寝ていて、

母と一緒に孫と私にガミガミ言う毎日。

箸の持ち方(末っ子だけ上手)、階段を上り下りする音、靴の脱ぎ方

またそれらをしつけていない私。

子供はイライラして、壁を蹴り、ドアを蹴り・・・穴でぼこぼこにした。

夜、外で「死んでやる~」と叫ばれたこともあった。

毎日毎日「千葉に返せ~!」と叫ばれた。

両親には言われ、子供にも不満を言われ、私は板ばさみだった。


父は前立腺癌だといけないと、

椎間板ヘルニアの手術ができないでいた。

私は車で2時間弱の市内まで父と母を乗せて

泌尿器科の病院に連れて行っていた。

長距離な上、慣れない道の運転は相当神経をすり減らした。

何回目だったか、父の手術が決まった。

そのときに癌かどうかも分かるという。

手術の日、母と子供達を連れて、ワゴン車で市内へ。

普段の乗用車とすると、ハンドルもペダルも重い雫

1時間くらいだったか・・・執刀医の院長先生の説明で

癌ではないと判明。

ホッとして、退院を待つこととなった。

その後、無事退院し、次はヘルニアの手術日が決定した。

父は痛くて仕方ないらしい。

今度は熊本でという話もあったが、父が

「近くの病院に熊大の先生が来てるから大丈夫」

というので、心配だけど運転のことを思うとホッとした。

それからは、その手術も成功した。

病院のカテーテルミスで軽い脳梗塞を発症していた父だったが、

みるみる元気になった。

今では立って仕事もできる。

まだ腰は痛くても、動けるのは父も母も私達もうれしいスマイル

あまりにもうるさい祖父母に嫌気がさして、

孫である我が子上3人がお見舞いに行かないという事態も発生し

大変だったけどしょんぼり

私はというと、あちこち体調を崩し、

目、皮膚(まぶたほか)に異常が出るは、

胸の痛み、過呼吸、胃痛など出るようになった。

あまりにも続くので、病院に行って検査を受けると、

大して異常はない。

「最近、何か環境に変化とかありませんでした?」

そればかり聞かれた(^_^;)

今も時々症状は出るけれど、

以前よりは随分減ったし、何より健康診断でパスしたのだから

大丈夫だろうグッド


今主人は念願の鹿児島に来てとても元気になった。

長男、二男、三男はというとイライラして当たられていたことが忘れられない。

それに主人は精神的に参った時に、子供にも私にも

とんでもない迷惑も掛けてくれた。

だから、子供達はもうなかなか主人には馴染めないでいる。

四男だけは、まだ父親と遊びたい年齢で、

主人と遊ぶのを楽しみにしている。

私はというと、戸惑いばかり。

弟や江原啓之さんも「どうにかなるさ」

という気持ちも必要だと言っていた。

今の家は、高速が出来るのでその内立ち退きになる。

そうすると、1階2階で世帯を分けようという案がでている。

うれしいのだけど、ボウリングに来られたまま工事の人が来ない。

早くこの状況を打破したいと思う私はわがままなのか・・・。

両親に感謝しなきゃいけないのだろうけど、

私は7人分の面倒見に帰ってきたんじゃない怒ってる

と時々叫びたくなる。

好きなテレビ、ドラマも見ない。

帰省してきた友達としか、お茶することもない。

目の保養になったショッピングも気分的にゆっくりできない。

不器用にも上手に休むことができなくなった私。

どこへでも自転車で行っていた子供達は、私の車

出かけることが増えた。

山越えは不気味らしい。


でも私は自分に毎日言い聞かせる。

「なるようになるんだから。大丈夫!」って。

これからも、子供と共に毎日を大切に過ごしていこうきらきら

万年反抗期の息子達と・・・うっしっし




















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Last updated  August 3, 2006 02:03:29 PM
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