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逸民の、こころ模様

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逸民502@ 確かに・・ まぁ、とはいえ現状から始めなくてはなら…
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2011.02.04
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カテゴリ:カテゴリ未分類
なんとも不祥事が続く相撲協会ではある。
ところで、八百長の意味にもよるが、はたして相撲の八百長が全面的に悪いのか? 
これまでは八百長はまったく無かったのか? 
たぶん、あったけど関係者以外にはわからなかっただけではないのか?

星の貸し借りは暗黙の裡にできる、それは勝敗へ影響する精神的な結果であって、所謂、八百長ではないという見方はないのだろうか。
つまり、力士同士での義理人情の世界という見方はできまいか
現代では外国人力士が増えたりで、相撲にも多様化・国際化が進んできている。
したがって、八百長の意味も時代に伴い異なって当然だ。

かっての八百長は、暗黙の了解の下に行われていたのではないだろうか。
観客やタニマチをを楽しませる、仲間の窮状を助ける、相撲界の発展に寄与する、
これらを「大義名分化」させたりせずに、ひたすら個人の悪徳として己の善意を包み込んでしまう。
この自己犠牲の精神は日本人の文化であり、美徳とさえいえる行為ではないだろうか。
もとより、相撲は単なるスポーツではない、神を宥める聖なる神事でもある。
そこには畏敬と節度があった。ときには勝敗よりも優先すべきモノがあった。
これらは最早、現代人には通用しないデリケートな文化だ。
昨今では、メールで星を交換し、現金が動くという、なんとも嘆かわしい堕落振りではないか。





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Last updated  2011.02.05 12:21:45



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