|
カテゴリ:カテゴリ未分類
なんとも不祥事が続く相撲協会ではある。
ところで、八百長の意味にもよるが、はたして相撲の八百長が全面的に悪いのか? これまでは八百長はまったく無かったのか? たぶん、あったけど関係者以外にはわからなかっただけではないのか? 星の貸し借りは暗黙の裡にできる、それは勝敗へ影響する精神的な結果であって、所謂、八百長ではないという見方はないのだろうか。 つまり、力士同士での義理人情の世界という見方はできまいか 現代では外国人力士が増えたりで、相撲にも多様化・国際化が進んできている。 したがって、八百長の意味も時代に伴い異なって当然だ。 かっての八百長は、暗黙の了解の下に行われていたのではないだろうか。 観客やタニマチをを楽しませる、仲間の窮状を助ける、相撲界の発展に寄与する、 これらを「大義名分化」させたりせずに、ひたすら個人の悪徳として己の善意を包み込んでしまう。 この自己犠牲の精神は日本人の文化であり、美徳とさえいえる行為ではないだろうか。 もとより、相撲は単なるスポーツではない、神を宥める聖なる神事でもある。 そこには畏敬と節度があった。ときには勝敗よりも優先すべきモノがあった。 これらは最早、現代人には通用しないデリケートな文化だ。 昨今では、メールで星を交換し、現金が動くという、なんとも嘆かわしい堕落振りではないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.02.05 12:21:45
|