死が傍に居た時代
イラクやアフガンの戦争に於ける報道に、死体の映像は殆ど無かった。また阪神淡路などの災害でも多数の犠牲者がでているはずなのに、一切、見えなかった。勿論、命の尊厳や人権があるから、或いは見てしまった者達の心的障害ということもあるので、ここではその是非については語らない。ただ思うのは報道だけを見ていると、死というものが今ひとつ現実として感じられないということだ。かっての時代には、死というものはもっと身近に在ったのではないだろうか。亡国病と謂われた結核、そして戦死、大空襲による無差別爆撃、原爆。今回の大地震と大津波による大災害は、その規模と原発の脅威もあり、現代社会の安全神話を打ち砕いてしまった。多くの街々が、そして何万人という国民が、一昼夜にして壊滅した。これは死体こそ報道されなかったが、惨禍は充分に伝わっていた。かっての時代のように死がより身近となり、生活の意味が根底から変質してしまったのではないだろうか。