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「透明」は深い意味での単純だ。
妥協が無いマジメ・・・。 純粋な波動。 そして孤高の美しさがある。 思い込んだら一直線・・・ 「巨人の星」の星飛雄馬とその父一徹 「あしたのジョー」のジョー・オッサン・力石 「愛と誠」の岩清水「君の為なら、死ねる」(でも脇役) 「空手バカ一代」「柔道一直線」そのまんま・・・。 透明の心は梶原一騎の世界と似ているなぁ・・・。 相手の迷惑かえりみぬストーカーの心を 純粋・透明と表現するのは抵抗あるが、一理ある。 (間違っても、美しいとは表現できんな) 戦争状態の国民感情も・・・似ている・・・。 お国の為に心を一つにして・・・。 「透明」は純粋だから使い方が重要になる。 導き方が重要になる。 純粋を自分の欲望に利用する腐敗した人達は、 古今東西、立場選ばず、多いもんだぜ。 純粋は、純粋故に騙しやすいんだ。 ワシの仕事は「生命力の活性化」 「透明・純粋」はイキイキしているか? 「透明・純粋」は「いのち」を活性化するか? 影響や関係があるかと思っていたんだが・・・。 透明や純粋は活性とは別次元なんだな。 ワシの観方がヒネクレて感じようとも、 基準がこういうところなんだからしょうがない。 透明・純粋な湖は生物が住めない。 透明・純粋な社会は生命が低下する。 「いのち」は多種多様雑多で活性化するからだ。 そういえば・・・ 心の純粋な人は何処か弱々しい感じがする。 無菌状態では生きていけない。 これって、結構大きな指摘かもしれない。 体でも心でも・・・魂でも、かもしれない。 精神世界では魂の純化を目指したりするが、 ゴールは純粋・透明になる事ではなく、 雑多を目指し、雑多を愛する(認める)事かもね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004/09/14 05:39:59 PM
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