水上陽平の独善世界

2004/09/20(月)21:43

「恋・6」

「恋」は多くの勘違いから成り立っている。 勘違いは相手にも勘違いを誘い、 更に「わけがわからなく」なる。 「わけのわからんモノ」はとても有効だ。 「生命力」を活性化させるから。 でも、勘違いは悩みの原因ともなるんだ。 悩みが悪いわけじゃないけど、 続くと・・・苦しくなるからなぁ。 「わけがわからんモノ」はいいけど、 「勘違い」は解放したほうがいいのだ。 この二つは関連があるが、区別しよう。 (この文章が、わけがわからんかなぁ?) 「どうせ私を騙すなら、死ぬまで騙して♪」 勘違いに気づかなければ「悩み」は無い。 「あれ?違うかもしれない・・・」 現実と勘違いのギャップに気づき始めると、 「恋」は悩みを生んでしまう。 せっかく元気一杯だったのにねぇ・・・。 勘違いに気づく前の「わけがわからん」時は、 好奇心や期待心という元気が出ているが、 勘違いだと認識しだすと元気はしぼんでしまう。 「エクボじゃなくて・・・アバタみたい・・・」 (どっちだっていいと思うけどねぇ。 エクボが良くてアバタは悪いという固定概念があるね) 勘違いからの解放。 それは現実を認める事でもあるんだ。 「勘違いでも正しくとも大した違いは無い」 これが、現実であり、未来でもある。 アバタもエクボも、どっちだっていいんだな。 それぞれに意味があり、自分にどう係わるかは、 自分の生き方、観方で変わってしまうものだ。 仮に美男・美女と一緒になっても それで幸せになれるわけじゃないし、 嬉しく愉しく気持ち良くなれるわけじゃない。 未来はどう変わるか、 自分はどう変わるか、 相手はどう変わるか、 全て、わからん、のだよ。 「わからない」から面白い。 人生は「わからない」事だらけだ。 「わからない」から「生命」は次に進みたがる。 「恋」は次に進む力を生み出す。 それが「生命力の活性化」の一つだ。 正しいモノを追いかけるのもいいが、 そこに価値があるわけじゃない。 正しさであろうとも、勘違いであろうとも、 追いかけるのは趣味(人間の癖)なんだ。 正しいモノにしか価値が無いと思ってしまうと、 「生命」は徐々に衰退するんだなぁ・・・。

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