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「○○してはいけない」
こういう指導の仕方を多くみかける。 学校でも社会でも法律でも宗教でも同じだ。 でも、これは心の仕組みを無視している。 「こだわりを持ってはいけない!」 これで心が言う事を聞いたか? 事実は誰でも確められる。 これで闇(病)から戻ってこられたか? アレしてはいけない。 コレしなくてはいけない。 コウでなくてはいけない。 そんな事(理屈)ばかりで押すから、 心は反発するし、体はイジケる。 「気まま」でいいんだ。 「気まま」がいいんだ。 こういう表現の仕方がワシ流なんだ。 「こだわり」にこだわらない方法だ。 闇(病)に居たかったら、それでもいいけど、 闇(病)から抜けたかったら、方法がある。 しかも・・・誰でも出来る方法がある。 どうする? そういう話をしている。 闇(病)が悪いわけじゃない。 ブッちゃん(仏陀)が家を出る時、 どうして生老病死があるのか悩んだ。 でもこの四苦は同じように扱った。 (ワシなんてもっとクダラナイ事で悩むのに、 さすがに偉ぇなぁ・・・) 生まれるのが悪いと言う人は少ない。 (たまにいるんだよねぇ・・・) 老いが悪いと言う人はいない。 (嫌いな人は圧倒的に多い) 死が悪いと言う人もいない。 (皆さん、アキラメているね) でも、病(闇)だけは悪者扱い・・・。 (弱い者イジメだねぇ・・・) ワシはワシよりブッちゃんの方が偉いと思っている。 (当たり前なんだけど、皆さんは時々違うみたい) だから、ブッちゃんの言う事はうなづく。 ブッちゃんは闇(病)を悪者にしなかった。 だからワシも闇(病)を必要だと思った。 ここから出発して健康を追い求めている。 そしてキーワードが「こだわり」だった。 病気からの回復を「病気治し」にしないで、 「健康」そのものに目を向ける。 同じように「こだわり」に目を向けないで、 「気まま」に目を向ける。 ワシって・・・ヒネくれているかなぁ? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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