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心が、もうどうにも止まらない。
静かに! と言っても逸ってしまう。 感情で動くのではなく、 湧き上がる「いのち」で動いてしまう。 それが「躍」だ。 何で動くのか解らないから、 「嬉しいから・楽しいから」と一応言うが、 理由や理屈は心側に無いのだ。 体でも心でも、本人にも解らない行動がある。 例えれば、太古の頃の「生命」の記憶。 アフリカ民族に伝わる大地のリズム音楽。 何かの条件で発生する、曙光直前の黄金の空気。 深海における無音の圧力。 地球を見下ろす大気圏外での無重力状態。 (行ったことが無い、ワシの想像だけどね・・・) 地球鼓動との共鳴時には「生命の高揚」がある。 「生命」は通常、肉体に宿っている。 体が勝手に動き出すのは、幾つかの種類があるが、 「躍」は「生命」が高揚し弾む時の表現だ。 「生命の高揚」は地球鼓動との共鳴だけじゃない。 いろいろな条件との「出会い」により発生する。 個人的な「出会い」でも起こる。 運命の出会いの瞬間・・・ 「会った瞬間に、ビビビッと感じました」 色恋沙汰のセリフは、あてにならないけどねぇ。 「踊る」は外側からのモノに合わせておどるが、 「躍る」は内側から勝手に動いてしまう。 意思や意識で躍るわけじゃないから、 「踊る」より「躍る」方が深く変化が起こる。 何よりも嫌な部分が無いから楽だ。 体や心の病は「躍」でも回復する事がある。 自然治癒力が一時的に増大するのだ。 「生命の高揚」なのだから当たり前なのだが、 意識して応用し難いのが欠点なんだ・・・。 以前に書いた「快」でも「喜」でも回復する事がある。 「病は医学の分野」という固定概念の社会だから、 ほとんど、医学の分野でしか治療・回復出来ない。 「いのち」の専門家がいないから指摘しないけれど、 「いのち」の分野からなら、方法は沢山用意されている。 しかも、誰にでも平等に扱える方法でもある。 この世は平等に創られているんだなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/01/11 12:34:23 PM
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