|
カテゴリ:カテゴリ未分類
ベトナム戦争の象徴ともいうべき、「裸で逃げる少女」の写真をみなさんもご存知かと思います。
今日は、当時裸で逃げ回っていた少女ご本人「ファン・ティー・キム・フックさん」のシンポジウム 「戦争のない世界を子供たちに・・・」に参加してきました。 シンポジウムでは彼女の凄まじい人生のKim's Storyを熱く語ってくれました。 9歳のときあの大やけどをし、17回もの手術を受けた。 肌を治す為にとても多くの方が助けてくれた。 でも、誰一人心を治してくれなかった。 あのベトナム戦争に対する憎しみ、怒り、悲しみは心にずっと消えることはなかった。 他の少女のように、半そでの洋服も着たかった。 医者になろうと決心し、合格したにもかかわらず政府に却下された。 なぜなら、あの一枚の写真の為に、ベトナム戦争の象徴の少女として生き続けなければならなかったから。 しかし、彼女は海外で医者になる為の勉強を諦めなかった。首相にお会いする機会に、直々に頼み込み、留学をしてもらえるよう懇願した。 そして、夢を叶えられるようになり、ハバナ大学へと旅立つ。 しかし、遠くへ行っても「自由」にはなれなかった。 24時間政府の管理下にあり、どこにいても監視されていたという。 そして、学びたくとも体の痛みがひどく耐えられず治療をするために大学生活から再び離れることに・・・。 苦痛な生活が続いた彼女にも、春がやって来た。 彼女と同じベトナムから来ていたハバナ大学の留学生と結婚することになった。 初めて、政府より監視人なしで出かける許可を得られたのは新婚旅行の時だったという。 行き先は、ロシア。 そして、その帰り道、トランジットで立ち寄ったカナダの空港で亡命を決意し実行。 今現在、ベトナム人の夫と2児の息子と共にカナダで暮らしている。 97年、ユネスコの親善大使に任命され、世界中をかけめぐり、 平和活動をしている。 そして、一番強く語っていたのは 「人を許すことについて」。 大切な人・もの・自分の体・自由・多くのものを彼女から奪っていったベトナム戦争。 そのベトナム戦争を許すまでにいたる彼女の葛藤は計り知れないものがある。 しかし、彼女は許しがたいベトナム戦争の総指揮者となんと握手を交わすまでに至ったのだ。 今では総指揮者とは友人同士だという。 恨むことはしない。でも、忘れることはない。と彼女は言う。 こんな過酷な人生を歩んできた彼女の言う「人生5レッスン」 <メモ> 1、人は辛い状況におかれてこそ、強くなれる 2、家族と神様の愛があればできない事などない 3、教育はとても重要である 4、許すことが一番難しい 5、ベトナム戦争後に私が生きている意味を理解できた 戦争のない未来を・・・という願いを込めて彼女は世界を飛び回っているという。 忘れてはならない歴史・繰り返しては成らない戦争。 今、「地球を生きる子どもたち」という写真展が 渋谷のBUNKAMURA(文化村)で開催されています。 http://www.bunkamura.co.jp/museum/index.html 当時のキム・フックさんの写真も展示されているようです。 ぜひ足を運んでみてはいかがですか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|