ピラミッドの奴隷時代を癒す。
今日は広島では数少ない友人と一緒にランチ&お茶をして来ました。で、そこでワイス博士のCDに関しての話になり、この間ピラミッドの奴隷時代があったらしく、その映像が見えてん。って話をしたら、友人:「それな、(越智)啓子先生がな、言うとったで。」みなりっち:「何を?」友人:「そういう前世を持ってる人はな、仕事を辞める、もしくは、“しない”ことに自由の意味を見出すねん」みなりっち:「ふむ。確かにそうだな。」友人:「せやろ?でも、本当は、前世での自由をもらえなかった、支配されて終わった人生を、開放できたら、仕事をすることが自由そのものになるねんて。」友人:「だから、奴隷時代を過去世に持ってる人はそこが才能になるねん。そういう人は会社を起こして成功したり、すごく好きなことを仕事にして成功するねん。」友人:「みなりっちの今世でのテーマの一つに自由ってのも、あるねんな。」 なんか、疑問に思ってた事を友人が全部解説してくれたって感じでした。そうそう、私のテーマはずいぶん昔からいつ何時も『自由』だった。だから、私は、ずっと一個の仕事を何年も続けることは、可能だし、仕事も出来ない方じゃじゃなかったと思うのだが、一度休憩に入ると長い。そして、今も、次の仕事何をするべ???という所で、迷いに迷って、しんどくなっていたり、自分でも、何をしたいのかがイマイチ明確になっていない状態。放っておくと、この調子だと、ずっとこのままで時間だけ経ってしまうんじゃないかと不安になってみたり。。。。。どうして、私はこんな生き方なんだろう???他のみんなは真面目に働いて、日々貯金だってしてるじゃないか。そう思って劣等感とかすごく感じていたのだけど、今日の友人が言ってくれたことで、すごく癒された気分だった。だって、それ聞いた時に鳥肌立ったもんね。実は、この間の日記には、あまり深刻になるのが嫌で、書かなかったことがある。実は、奴隷だったと思われる私は60歳代の小柄な男性で、目に生気はなく、無理やり生かされているような感じで、黙々と作業をしていた。そのやせ細った足には大きな鉄の玉がはめられていて、逃げ出せない状態だった。こうやって一個一個思い出していくと、ひょっとすると、罪人だったのかもしれないな。でも、あの歳で、今更逃げたってどこに帰る場所があるというのだろう。ってな感じで、悲壮感すら、超越していて、魂はもうそこにはいないようだった。もう、自由になっていいのよ。また、退行してみて、会えるのであれば、向き合って、そう言ってあげたい。そう思いました。