新城村
自転車という交通手段が最善なモノと思っていたあの頃。そんな時代は遠い昔話のようだ。あれから数年の時が経ってチャリ旅なんて単語も死語になりつつある。一昨日より一週間ほど奥羽線を使って、とある処通わねばならなくなった。数年前からすると未来というのはまったく分からないものである。今日は天気もよかったので、自転車を使ってぶらぶらしてきた。↑村社、羽黒神社(秋田県秋田市下新城中野)国道7号からでも見える、この社、訪問は相当久しぶりである。羽黒神社の由縁はよく分からないが『中野町内史』には延暦十二年に坂上田村麻呂が戦勝を祈願し、後小松天皇の乙亥四月朔日に安藤康秀が湯殿山、月山、鳥海山の三社を相殿に建立した。天正八年には安倍愛季が当社を修復し、社地を寄進したが没落し、宝暦八年に再興したとあるが異説もあるとのことである。↑飯岡館跡相変わらず、ここは鬱蒼としているが、ここも久しぶりの訪問である。『秋田県の中世城館』によると飯岡館跡は上飯島駅の東の飯岡山に位置し、館主は佐々孫左衛門景連と伝えられる。この佐々氏は『奥羽永慶軍記』秋田山北境合戦の項にも出ており湊安東氏と何等かの関係があると思われる。↑飯岡山 ↑遠く太平山を遠望★参考文献『日本歴史地名大系5 秋田県』(平凡社)『中野町内史』(中野町内史編纂委員、1998年)『秋田県文化財調査報告書第86集 秋田県の中世城館』(秋田県教育委員会、1981)