刑事訴訟への被害者参加の当否
法制審議会が、刑事裁判手続に被害者を大幅に関与させる方向での要綱案を作成したらしい。法制審議会とは法務大臣の諮問機関で、その決定に拘束力はありませんが、今後その方向で法改正がされる可能性が高まったといえます。これまで、刑事事件の被害者は、裁判においては「傍聴人」でしかなかった。近年の刑事訴訟法改正で、ようやく法廷にて「意見陳述」する機会が与えられ、被害者としての気持ちを被告人や裁判官のいる法廷で直接伝える機会が与えられたのは大きな改正といえますが、これもあくまで意見や気持ちを述べるにとどまります。今般の要綱では、どんなことが提案されているかというと、被害者が検察官と同じ側の席について、被告人に対して、直接質問したりできるようにするとか。また、検察官の求刑に対し、被害者自身も、懲役何年にしてください、と求刑できるようになるとか。刑事事件において被害者の保護が図られないといけないことは、誰にも異論がないと思います。では上記改正をどう評価するか、見解は人ぞれぞれだと思いますが、私は個人的には「おかしい」と思います。その「おかしい」という意味について以下のべます。これまで、刑事裁判においては被告人ばかりが保護され、被害者が保護されていない、とよく言われてきました。それはその通りだと思います。そして、それでよいと思っています。なぜなら、刑事裁判とはもともとそういう性質のものだからです。大昔の話をすると、原始的な社会においては、犯罪の容疑者は、共同体における「私刑(リンチ)」や、被害者本人や遺族による「復讐」で裁かれた。その場合、犯人でない人を殺してしまったり、苛烈な刑が行なわれたりしがちで、多くの悲惨な結果を生んだ。近代社会になるにあたって、人を罰する権限は国に預け、国は厳密な手続によって犯罪を認定し処罰することになった。そのためには、国が誤判を行なわないよう、憲法や刑事訴訟法といった法律で、厳密な刑事裁判手続が定められた。かように、近代国家においては、国民には人を処罰する権限はなく、そして刑事裁判という手続は強大な国家権力が誤った刑罰権を行使しないよう足かせをはめるためのものであって、もともと被疑者(容疑者)や被告人のために存在するものなのです。刑事訴訟法は被害者の人権を何も定めていないからおかしい、改正されないといけない、という議論がよく聞かれます。それによって実際に刑事訴訟法が変わりつつあります(それ自体には、私は積極的に賛成しないがかといって反対するわけでもないという立場です)。しかし刑事訴訟法はその存在の当初から被害者のための制度でないのであって、私自身は、刑事訴訟においてあまりに被害者が直接的に関与することには、疑問を持っています。被害者の保護を図らないといけないのは当然ですが、それは、金銭的賠償や、犯罪被害者に対する公的給付を充実させることによって行なわれるのが先決であると思います。手続関与を大幅に認めていく一方で、被害者に対する公的援助の充実がおろそかにされることのないよう望みます。