あるべき「脳トレ」の形とは
昨日の日経夕刊より。将棋界(日本将棋連盟)や囲碁会(日本棋院)が、大手進学塾と提携を進めていると。子供向けの将棋や囲碁のセミナーやイベントを開催し、「脳を鍛える遊び」ということで保護者も理解を示しているとか。少し前から、脳を鍛える「脳トレ」が流行りです。脳トレを目的としたゲームなんかが売れています。それで私がずっと思っていたのは、「そんなに脳を鍛えたいのなら、『詰め将棋』でもやればいいのに」ということです。「詰め将棋」とは、与えられた局面から所定の手数内で敵の王将を詰めるという、いわば将棋のパズルです。将棋を指す相手がいなくても1人でできる。私は小学校のころから将棋が好きで、よく詰め将棋の本を買っていました。今でも書店に行けば、詰め将棋の本はたくさん並んでいて安価で買える。詰め将棋が私の脳にプラスになったかどうか、それは検証のしようがありません。しかし、将棋的なモノの考え方(たとえば、相手の出方を読みながら攻める、序盤から終盤のことを考えて手を打つなど)は、人生のいろんな場面で役立ってきたような気がしています。子供たちも将棋によって、脳を鍛えるという目的もさることながら、それよりも大きな、「人生に勝つための思考力」を養ってほしいと思います。少し話が変わりますが、私は弁護士業務の傍ら、司法試験予備校や大学で講義をしたりしています。予備校からは司法試験受験用と銘打ったテキストもたくさん出ており、業務上の必要からそういったものに目を通しています。しかし、予備校講師をしている私が言うのも何ですが、司法試験に受かるために最も肝要なのは、そういった受験用テキストよりも、書店に並んでいるまっとうな教科書を読むことだと考えます。最初はとっつきにくいと思われるような教科書の文章でも、筋を追って読んでいくうちに、条文や判例の知識だけではなく、読解力や論理的思考力が養われるように思いました。私が世間の平均よりはずいぶん早く司法試験に受かったのは、教科書をしっかり読んでいたからだと信じています。昔は、学びでも遊びでも、身の回りに当たり前に存在するものを当たり前にこなすことによって、いろんな必要な能力が身についたような気がする。脳トレ用のゲームソフトとか、受験用のテキストとか、特定の目的を即席で達成できるかのような類のモノは、手軽な反面、実は本当に得るべきもっと大きなものを落としてしまっていると思っています。