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カテゴリ:雑感
18日の記事の続きです。
これまで私自身、いろんな刑事弁護を経験しました。被害者のところへ本人に代わって謝罪や示談交渉に行きました。一度は執行猶予判決を取ったのに、しばらくしたらまた似たようなことをやって捕まった、という人も何人かいました。 内心では正直言って、私はこれらの被疑者・被告人に、「何をしょーもないことしでかしたんや」と思っています。やりたい放題で犯罪をやっときながら、捕まったら捕まったで弁護人に「早く示談をまとめて下さい」なんていう人にはもちろんハラが立ちます。情けなく思います。 そういう人でも弁護する理由は、どんなにダメダメな人でも弁護してもらう権利はあり、それを弁護するのが弁護士の職責だからと書きました(これ自体が納得いかないという方は、がんばって憲法を改正してもらうしかないです)。 ただそんな建前論だけでなく、私を含めて弁護士が必死で刑事弁護を行なう、より重要な理由は、その事件の弁護をすることによって、被告人だけでなく、被害者も救われるからだ、と個人的には考えています。 裁判所や検察官は、犯罪をした人に刑罰を与えるための手続を進めるだけです。それはそれでもちろん重要なことですが、被害者に実際に謝罪に来てくれたり、賠償金を持ってきたりして現実の損害の回復に努めてくれるわけではしません。それをやるのは弁護士だけです。 被告人の代わりになって、被害者や、時にはマスコミにもなじられながら、被害救済のための賠償を進めていくのが弁護士です。 被告人にとって有利になるから、とだけ考えているからでなく、そうすることが被害者のためにもなるから、犯罪や被告人自身に怒りを禁じえないとしても、熱心に弁護しようという気持ちになるのです。 かくて、弁護士は犯罪に対して怒りを感じないのか、というと、感じないはずがありません。私個人は、被告人自身に対しても「何をしょーもないことしてるんや」と怒りを感じています。 少なくとも、刑事弁護を実際にやっている弁護士は、銭湯でコーヒー牛乳を飲んでテレビニュースでも見ながら「犯人の気が知れんなー。こいつの弁護するヤツの気も知れんわー」と言ってる人よりは、はるかに犯罪に対して怒りを感じています。 (注 銭湯でコーヒー牛乳を飲んでぼやいている人を否定する趣旨ではありません。 言いたかったのは、事件に無関係なギャラリーの人たちよりは、事件の矢面に立たされ批判を受けながら賠償交渉を進めている弁護人のほうが、はるかに犯罪に対する怒りを身近に感じているということです) それでも弁護をするのは、繰り返しになりますが、それが被告人だけでなく被害者の救済のため、大げさに言うと社会全体の福祉のためであると信じるからです。 そんな働きができるのは、この世の中で弁護士しか存在しないからです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/09/20 09:41:19 AM
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