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カテゴリ:法律、制度
少し前に(1日)、「制度の目的を拡げすぎると制度自体がダメになる」という話を書きました。ここで例に挙げたのは刑事訴訟法ですが、法律のおおもと、「憲法」においても、その兆しが見られます。
去年8月の記事にも書きましたが、政党レベルの憲法改正草案では、知的財産権とか、被害者の権利とかが、憲法で保障されるべき権利として上がってきている。 憲法というのは、国家が国民個々人の権利を侵害しないように国家を縛るためのものであって、憲法上の人権というのは、歴史的にみて国家によって抑圧・侵害されがちだったものが挙げられています(詳細は上記記事へ)。 典型的なのは信教の自由や表現の自由で、大昔は世界のいろんなところで、国教と異なる宗教を信じたとか、国家を批判する言論を行ったがために処刑されたということがありました。 知的財産権とか被害者の権利は重要なものであるけど、それを主張したために国家に処刑されたなんてことは一切ないはずで、憲法であえて保障する意味がない(特許法とか刑事訴訟法とか、法律レベルで保護すれば足りる)。 そして、冒頭に書いた、制度目的を拡げすぎると制度自体がダメになるという話は、ここでも妥当します。 特許や商標などの知的財産権を憲法で保障したとします。 でも、昨今の判例に見られるように、企業(注)の従業員が発明した特許の大半は、職務上の発明ということで企業に特許権が所属し、従業員には残らない。一国民たるその従業員は、憲法に知的財産権が保障されているにも関わらず、その権利を企業に取り上げられてしまう。そして、なけなしのお金が「発明対価」として支払われる。 (注、憲法は国家を縛るものですが、私企業であっても「国家に匹敵しうる大企業」の場合は、人権侵害の問題が発生します。憲法を学んだ人なら誰でも知ってる、「私人間効力」の問題です) 憲法上の権利なのに簡単に取り上げられてしまう、そういう例を憲法の中に作ってしまうと、それはきっと、他の人権にも及んでいくでしょう。 憲法上の人権はこうも簡単に取り上げてよいものなのか、じゃあ今度は、政府を批判するような表現の自由を奪ってしまおう、と(そこまで極端なことにはなりにくいとはしても)、そういう兆しを含んでしまうわけです。 刑事訴訟法は被疑者・被告人のためにある。憲法は国家が抑圧しがちな人権を保障するためにある。その根本をきっちり意識しておかないと、制度の運用がどうもおかしくなってしまうように思えます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/02/13 11:24:25 AM
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