585354 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ブログ版 南堀江法律事務所

ブログ版 南堀江法律事務所

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

やまうち27

やまうち27

Calendar

Freepage List

Recent Posts

Category

Archives

2024/09
2024/08
2024/07
2024/06
2024/05

Favorite Blog

Bar UKからのお知ら… うらんかんろさん

Headline News

2007/03/01
XML
カテゴリ:法律、制度
以下長いですが、「・・・」部分の下半分は過去の記事の引用です。上半分だけ読んでも意味はつながります。本来は27日の最高裁の「君が代」伴奏強制の合憲判決について書きたかったのですが、注目判決があったので後回しにして、以後2、3回のシリーズになる予定です。

その注目判決はというと、大阪地裁の、自動車で茨木市内を暴走し5人を死傷させた被告人が、「心神喪失」を理由に無罪になったという判決です(28日)。
「心神喪失は無罪」という刑法39条が正面から適用されたケースです。

私は、個人的には刑法39条は必要だと考えていますが、その理由については・・・の下半分をご覧ください。2月17日の記事でも引用した過去の記事を、一部省略して転載しました。全文をお読みになりたい方は、2月17日の記事にリンクしてありますのでどうぞ。

一見して、極めて不合理な判決のように思えます。そのことは私も感じます。
下半分の引用部分では、近年の記憶で「明らかに重罰に科せられるべき被告人が、刑法39条の適用のために無罪または減刑となったケースが、実際に思い浮かぶでしょうか」と書きましたが、本件が無罪で確定するとすれば、長く記憶に残るケースとなるかも知れません。

しかし、本件の被告人が本当に精神分裂などの理由で、善悪の区別ができない、または自分の行動を制御できない「心神喪失」の状態であるとすれば、やはりこの判決はやむをえないと考えます。

精神の病気については詳しくは知りませんが、行動が制御できないというのは、たとえば、ダイエット中なのに甘い物がガマンできないとか、二日酔いで今日は飲まないと誓ったのにその夜に飲んでしまうとかいったものではなくて、病的レベルにおいてそうなのでしょう。
うつ病の人はたまにいますが、ものすごく強度の躁うつ病も、心神喪失に該当する場合があるようです。もっとも私はうつ病と無縁なので、それも実感としては分かりませんが。

ともかく、そんな状態の被告人であっても、普通に処罰すべきだ、人を殺したら死刑にすべきだ、という意見はありましょう。
それでもやはり、私は刑法39条は変えるべきでないと思っています。
この事件を踏まえて、補足して書きたいことがいろいろ思い浮かびましたが、もうすでにかなり長くなったので次回に続きます。以下は過去の記事を一部省略して引用。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「宮崎勤事件と、刑事裁判制度、そして刑法第39条」

幼女連続誘拐殺害事件の宮崎被告人に、最高裁が死刑判決を下しました。責任能力がないとする弁護側の主張を排斥。17年(くらい)に及ぶ裁判が終結しました。
刑事事件記録を私が見たわけではないので、正確なことは言いかねますが、妥当な判決であると思います。

この手の事件があると、必ず聞かれるのが、刑が確定するまでに長い時間がかかりすぎるということ、そして、こんな事件の被告人を長い期間かけて弁護する必要があるのかということです。
たしかに、今の裁判制度は、民事も刑事も、長くかかるとは思う。制度の改善の余地は多いにあるとしても、人を処罰するための手続にあたって、時間がかかるのは当然と思う。
(中略)

それと、もう一つ宮崎事件で問題とされたのが、刑法39条。心神喪失の人は無罪となり、心神耗弱の人は罪が軽くなる(正確な定義は面倒なので省きますが、前者は全くワケわからん状態の人で、後者はかなりワケわからん状態の人)。この適用を争って、10数年を費やしたわけです。

「39~刑法第39条」という日本映画があります。私が司法修習生だったころ、当時のGFとデートのときに観にいってものすごく重い気分になった映画です。心神喪失を装った男が猟奇殺人をする。その動機は、昔、その男の妹が惨殺されたのだが、その犯人は心神喪失を理由にすぐに自由の身になってしまう。男はその復讐をしたのであって、猟奇殺人の被害者とは、かつて妹を殺した犯人だった。最後に心神喪失が詐病とばれて、男は法廷で、「私が凶器を突き立てたかったのは、刑法39条という不条理な規定だ」とつぶやくラストシーン。

こういった映画を観ると、そして宮崎事件のような異常な事件を見ると、たしかに刑法39条など廃止せよ、という論調が出てくるのも、心情としてはわかる。
でも、それでいいのか、と、私は思う。
(中略)

実際、刑法39条が適用されたケースというのは、たとえば、若い女性が実の父親に10数年に渡り暴行そして強姦されるという異常な状況におかれ、精神的に追い詰められて思い余って殺してしまった、というようなケースです。比較的有名なこの例では被告人の女性は心神耗弱で減刑、とされました(こんなケースですら「心神喪失で無罪」とはされなかった点に注意)。この女性を、刑法39条の適用なしに厳重に罰せよ、といってためらいを感じない方がおられるでしょうか。

それに、今、少し考えてみていただきたい。記憶の中で、明らかに重罰に科せられるべき被告人が、刑法39条の適用のために無罪または減刑となったケースが、実際に思い浮かぶでしょうか。たいていは、同条の適用が問題になりつつも、宮崎事件のようにその適用が排除された、という記憶しかないのでは。この条文の存在のために不合理な結論に陥った裁判はほとんどないのではないでしょうか。その一方で、上記の実父に長年虐待された女性を救うための安全弁として、この条文は活きているのです。
(後略)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007/03/01 07:33:26 AM
[法律、制度] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X