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カテゴリ:判例、事件
最高裁が、式典において「君が代」の伴奏を教員に命じるのは「思想・良心の自由」を侵すことにならず合憲、と判決。
2月27日に出た判決で、39条のことを云々しているうちにこれを書くのも今さら、という気がしなくもないですが、休日あけでそう面白いネタもなさそうなので触れてみます。 個人的には妥当な結論だと思います。 「個人の思想や信条を理由に、命じられた義務を拒否できるか?」 という問題については、国歌斉唱時に教員が起立することを命じるのを「違憲」とした東京地裁の判決(昨年9月)が出た際にも書きました。 考え方としては、そのときの記事で書いたことで尽きているように思えます。 上記の問いに対する解答は、その義務・命令がどれだけ重要か、それに対して、それを拒否する思想・信条がどれだけ真摯で強固なものかということを比べて判断すべきだと書きました。 おそらく、「君が代」の演奏を拒否した教授の信条は、主観的にはそれなりに真面目なものであったと思います。だから本人がその内心において「君が代」の歌を憎むことは自由であっていい。 しかし、公共の式典の場で、音楽教諭としてそれを演奏することを命ぜられたとき、そして、おそらく多くの父兄が「君が代」の演奏のもとに厳粛な式典がとり行われることを望んでいるときに、本人の信条だけで「演奏拒否」という対外的メッセージを伴う行動を取ることが許されるか。 それが許されるかどうかは、社会通念からして「君が代」は国歌として本当にふさわしくないのか、かつて日本が「君が代」の歌のもとに他国に対して本当にひどいことをしたのか、式典において演奏することを忌避すべきくらいの内容のものであるのか、そういったことをいちいち論証していかなければならないと思います。 そして、それらの問題に白黒はまだつけられていない、というか、これらの問題にはおそらく永遠に白黒はつかないのだと思います。 そういう場合に、公務員たる教員としてとるべき態度は何かというと、 「ひとまずは今ある国法秩序に従っておく」ということではないのか。 どこかの新聞の社説にもありましたが、教員がこのような態度をとることは、児童・学生までをもイデオロギー論争に巻き込むことになると思います。 ということで、この最高裁の合憲判決が、上記の東京地裁の違憲判決の今後の審理にどう影響するか、注目したいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/03/05 05:45:58 PM
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