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カテゴリ:ラジオでのお話
今週の日曜にラジオでお話ししたことについて書きます。
少し前に、特急電車の座席で、男性が女性を脅してトイレに連れ込み、姦淫に及んだという事件がありました。電車内には他の乗客もいたらしいのですが、男性が女性を連れて行くのを制止するとか、車掌に通報するとかした人はいなかった。 もちろん、この男性が強姦罪(3年~20年の懲役)で断じられるべきなのは当然として、周りの乗客は何をしていたんだ、というような意見も聞かれた。 で、ラジオでもパーソナリティのお姉さん(兼定-けんじょう-さん)に聞かれました。 こういう場合、周りの乗客に責任はないのですか、と。 道義的責任ということならともかく、ここは法律家としての見解を求められているのだろうから、法的責任という意味では、ないと言わざるをえない。 積極的に手を下さなくても、傍観しているだけでも、犯人と同じ刑事責任が問われる場合があります。刑法の勉強をしていると出てくる「不作為犯」(ふさくいはん)です。 ただ、冒頭のケースで、女性が連れていかれるのを見ていただけの乗客がみな、強姦罪の共犯となり、3年~20年の懲役刑に処せられるとしたら、酷に過ぎるのは明らかだと思います。 見ているだけで犯罪となるには、その犯罪を見ているだけでなくて止めないといけない義務があった、といえる必要があります。その義務は、刑法の教科書を見ていると、「法律、契約、慣習、条理」によって生じると、昔から言われています。 たとえば、親は民法上、自分の子を監護する義務があるので、子が殺されかけているのに見ているだけだと殺人の共犯になる可能性がある(一方の親が子を虐待しているのを止めなかった、というケースが考えられる)。暴行や交通事故で人をケガさせたら、条理の上でその人を救助する義務があり、それをほうっておいて死なせると、暴行・傷害罪にとどまらず殺人罪となることがある。 このように、止めないといけないというかなり強度の義務が発生していることが必要で、「怖いから見ていた」というだけでは法的責任は問えません。 冒頭のケースでは、乗客には制止する法的義務はなかったと言わざるをえないから、不作為犯は成立しない。 道義的責任の有無については、人それぞれに考えがあると思いますが、日常生活の中で突然そういう状況になったときに、果たして何人の人が実際に制止できるかと考えると、私自身は乗客の方々を道義的にも責める気にはなれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/06/16 09:58:29 AM
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