みねちゃんの家造り
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日記の内容が前後しておりますが・・・ 先週末、6月13日(土)に また東海道を歩いてきました。 先月の品川宿の続きで、今回は川崎宿。 稲毛神社~六郷の渡し~宗三寺~佐藤本陣跡~芭蕉句碑~ 専念寺~鶴見神社~総持寺~道念稲荷~生麦事件の碑 をめぐる約10km。 今回も9時頃、JR川崎駅に集合。 1班に20名弱にわかれてスタート! まずは・・・ 稲毛神社 江戸時代には川崎宿など6カ所の総鎮守で 「川崎山王社」と呼ばれていたそうです。 境内には樹齢千年を越えるというご神木の銀杏や 東海道小土呂橋の遺構、田中休愚ゆかりの手水鉢などがあります。 ご神木の銀杏 大きかったな。 六郷の渡し 川崎にある真言宗の寺「川崎大師」は流行佛(はやりぼとけ)として 江戸をはじめ近郊から参詣者が訪れたそうです。 田中本陣跡 田中本陣は寛永5年(1628年)、川崎宿開設の5年後に造られたそうです。 田中本陣からでた田中休愚(きゅうぐ)は農政家として著名。 将軍徳川吉宗に登用され 荒川、多摩川の治水、二ヶ領用水、大丸用水、六郷用水の改修工事 酒匂川の補修などを行ったそうです。 佐藤本陣跡 佐藤本陣は京に近いほうにあったので「上の本陣」と呼ばれ 幕末には14代将軍家茂が上洛の際に宿泊したそうです。 ♪湖畔の宿、♪すみだ川を作詞した佐藤惣之助は この本陣の次男として生まれたそうです。 今では居酒屋に・・・^^; 芭蕉の句碑 「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」 芭蕉が門弟たちとの惜別の思いを託し句を詠んだそうです。 専念寺 専念寺は浄土宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来坐像。 また本堂に平安中期の仏師定朝作で 紫式部の念持仏と伝える千手観音が祀られているそうです。 鶴見橋 現在は鶴見川橋。鶴見川はしばし洪水を引き起こす暴れ川だったそうです。 この橋の手前あたりで“米饅頭”を売る家が多く、名産になっていたそうです。 「六郷渡れば川崎の万年屋、鶴と亀とのよねまんじゅう」 と、うたわれていたそうです。 また鶴見橋からは大山・箱根の山々がよく見える景勝地だったそうです。 これが現在の鶴見川橋 鶴見駅前、御菓子司清月さんで売られている「よねまんじゅう」 餡は、梅餡、こし餡、白餡の3種類。 鶴見神社 鶴見神社は鶴見村の鎮守で、昔は杉山大明神と称し 杉山神社と牛頭(ごず)天王社の2社を祀っていたそうです。 本殿の横にずらーっと神社が並んでいました。 総持寺 曹洞宗大本山。 元々は能登にあったそうですが 明治31年(1898年)火災により焼失し、再建の地として鶴見が選ばれ 明治44年(1911年)に移ってきたそうです。 境内の敷地面積は約50万平方メートルあり 30余りの伽藍があり、そのうち仏殿(大雄宝殿)、三松関(総門)、香積台、 待鳳館、向唐門(勅使門)、百間廊下(3つの門を含む)など 16件が登録有形文化財になっているそうです。 三松関(総持寺の総門) 向唐門(むかいからもん) 百間廊下 ← すっごいピッカピカでした! 仏殿 またここは著名人の墓所がたくさんあります。 石原裕次郎さんは有名ですね。 今もお花が絶えないそうです。 生麦事件現場 薩摩藩主の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人を 供回りの藩士が殺傷した事件。 刃傷発生現場 民家の塀に説明板があります。 ここから670m程横浜方面に行ったところに 切られたリチャードソンという英国商人が 力尽きて落馬したところに碑があります。
今回も歴史に触れつつ、10kmを歩いてきました。 解散場所がこの生麦事件の碑のところでした。 そこで、これにつながったわけです^^;
昼休憩ちう 2010.04.10
東海道を歩く 箱根宿編<訂正あり!> 2010.03.14
東海道を歩く 小田原編 2010.02.14
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